創造

創造主とセルフイメージの世界

向島メモリアルプレ-ト除幕式報告・小林皓志氏

2013-05-29 17:36:20 | 捕虜レクイエム

http://powresearch.jp/news/?p=202

 

http://www.us-japandialogueonpows.org/MukaishimaMemorial-J.htm

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同志社大の三代目総長横井時雄は何故伊勢時雄と名のったのか

2013-05-28 21:24:52 | 歴史

http://www.natural-cma.com/rekishi.html

以上に依れば、横井時雄は小楠の息子で、別名日下部太郎とも言われたが難を逃れるために藩主の松平春嶽は彼を守るため八木八十八に日下部の襲名を命じたとのこと。

そしてフルベッキ写真に写る侍を標的にする刺客からも守らせたということである。

フルベッキ師はキリスト教禁制下で、信仰者が身の危険にさらされることに心を痛めていた。

ユダヤと伊勢神宮の関係を究明しようとしたのも、神道主義の暴徒との対話を模索したからかもしれない。

伊勢時雄という名もそのような背景があるのだろうか。フルベッキ写真が表立って公表されなかったのはそのような背景があったのかもしれない。

帰国した後の最初の日本人バプテストである仙太郎の写真がないことや「敬天愛人」を説いた西郷隆盛の写真がいまだ一枚も見つかっていないのも同じ理由かもしれないと思う。

仙太郎の漂流民の時の銀板写真は、日本人最初の被写体として広く知られているのである。

 

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13229

にはグリフィスと横井時雄の交流が記されている。

読売新聞に掲載されたフルベッキ写真について、これをカラ-化されたことで知られるサンメディアの横山社長から原版をス-パ-インポ-ズして検証したいとの依頼を受けた。

記事の執筆者でもある前慶応大学の准教授高橋信一氏にメ-ルでお願いしたところ、「歴史読本7月号」の口絵にガラス写真版が掲載されるので参考にされたいとのご返事をいただいた。

今日、書店で買い求めたところ、「特集・山本覚馬-会津近代化の先駆者」とあった。彼らがキリスト教徒として新島襄と協力しながら同志社大学を創設していったことを知らされた。

そんな記事の中に「新資料発見・ついにフルベッキ写真の年代が確定」と10ぺ-ジにおよぶ論文があり、撮影は明治以降であると断言されている。

私はフルベッキ写真と、やや不明瞭な写真を比較して果たして同一人物であると結論づけていることに疑問を持たざるをえなかった。

史実の慎重な検証なしに、過去を解釈することの危うさが日本の政治の問題でもある。

聖書の解釈が神学であるとすれば、歴史の解釈はその史観ということになる。

バルトは新聞を読むように聖書を読み、聖書を読むように新聞を読んだといわれる。

何の先入観もなく、過去と現在の現実を直視し、そこに一つの法則を見出すことは未来への判断力を養うことになる。

先週は徳島県下の神父牧師の集いがカトリック教会であり、林神父の説教そして元神戸改革派神学校校長でバルト研究で知られる牧田牧師の講演があった。

林師は「三位一体の神がその一部である御子を自ら切り裂いて世にお与えになったところに神の痛みと愛があると語られ、さらに御子が人のみ体を持って父のもとに帰られたことに依って、人間が神御自身の永遠の交わりに入れられる道が開かれたことを証しされた。そして大切な決心をする場合は自分の判断に頼らず静まって聖霊に依る識別を待つことを勧められた。

牧田師は神の言葉は人間には語り得ないのであるが、その事実に直面した時にこそ、神自らが語って下さることをバルトと共に知らされたのだという。

神の赦しは神から与えられ、神のいのちと力も内住の聖霊から与えられる。

土曜日はドイツ館で、業界第一位!日本食研会長大沢一彦しによる「賀川豊彦先生から学んだこと、実践したこと」の講演があった。一は「一粒の麦」[死線を超えて]から、彦は豊彦の彦から命名されたとのこと。

若くしてただ一人で神と共に始めた企業が今や世界規模になっていることの秘訣は、賀川から学んだ弱者を尊ぶこと、夢を持って歩むことだと教えられた。

賀川豊彦にはどこかラウシェン・ブッシュに似た神の国思想があるように思われる。復活の主が、活力の源泉である聖霊を我々に住まわせ、生活全分野を活性化させてゆくのである。

この活という言葉はギリシャ語のゾ-エ-に相当すると思われる。

今治市の壮麗な工場は見学客が絶えないそうであるが、上に神社があるので戸惑うクリスチャンが多いらしい。

賀川がへブル詩歌を学ぶうちに、伊勢とイシェの同一性を信じ、日本神道のル-ツはユダヤ教であると本気で信じたことに影響されたのだろうか。

太平洋戦争時に多くの日本の教会がアジアでの神社参拝に反対しなかったのもこういう経過があったからかもしれない。

そしてこの課題こそ、正しい歴史解釈を迫られている。結局、従軍慰安婦、侵略の問題、そして捕虜虐待の認識と混乱はそこに起因しているからではないだろうか。

いずれにせよ、ハッキリわかることは死を克服されて、今も活きて働きたもうそのお方にすべての解決があるということである。

 

 

 

 

 

 

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神化か進化か

2013-05-23 15:57:34 | 神学

自然は神の被造物でありますから、作品が作者を反映するように、創造主の栄光を写しています。

その意味でカルヴァンは一般恩寵(啓示)としての自然を、特殊恩寵としての聖書における啓示と共に重視しています。内村鑑三は学ぶべきは自然、読むべきは聖書と語りました。

問題は今日の人間をも含めた被造物である自然が、本来のオリジナルなものであるかということです。

アダムは神に似せて神のかたちに造られましたが[創世記1の26,27]、アダム以降の人間はアダムに似せてとあります。オリジナルなアダムではなく、アダムのコピ-として、現代的に表現するならアダムの遺伝子に依って人類の歴史が始まったことになります。

この神性(霊性)を失った人間性は動物や自然界にも及んでゆきました。

「被造物自体も滅びのなわめから解放され神の子供たちの栄光に自由の中に入れられます。私たちは被造物全体が今に至るまで、共にうめき共に生みの苦しみをしていることを知っています。」とロ-マ人への手紙8章21,22でパウロが語ったように、自然界は罪によってサタンと死の支配下で呻吟しております。

自然科学は、いわば失われた人間がその限界の中で、同じく失われた自然を対象に営まれています。

その世界の中での法則を見出し、それを新技術として活用する訳です。ただ大きなカッコである大前提に上述した霊的な死とその結末があります。

これに対して、超自然としての聖書の史実があります。ある神学者たちはドイツ語でウワ・ゲシヒテ、すなわちオリジナルな原歴史だと表現します。

イエスキリストの、処女降誕から復活に至る生涯は、アダムのコピ-としての人類史と自然史の枠外にあります。それは創造主と直結した創造霊の内住と活動としての生涯であるために、人類史の範疇を凌駕します。

進化ではなく神化としての人生であります。

バルトとブルンナ-の自然神学論争がありました。自然の中にある残存する恩寵を説こうとするブルンナ-にバルトはバルトはナインを発します。

私なりに解釈すれば、ブルンナ-は主の生涯の中に自然の法則を折り込みました。処女降誕を否定したのです。

ナチスとそれを支持するリベラルな自然神学と対決していたバルトは、ブルンナ-の主張にそれと相通じる傾向を嗅ぎとったのだと思います。

ドイツイタリアと三角同盟を締結した日本の体制を支えたのは、国家神道とその民族主義でした。キリスト教会の側からいえばまさしく、啓示と自然の混淆でありました。恐らく日ユ同祖論を背景にした伊勢イコ-ル、イエス信仰であり、ドイツ的キスト者と共通するものでした。

そこではコピ-されたアダム性が礼讃されました。かの地ではドイツ民族の優秀性をこちらでは大和民族の選民性が謳歌されました。

ドイツにおいては告白教会の抵抗と戦後の悔い改めに依って、ユダヤ人に対する謝罪と表明がなされました。ナチズムの本質についての究明と反省がなされ、現在被害者であったユダヤ人たちの多くは最も尊敬する国家としてドイツをあげています。

我々は日本人として、皇室を敬うものでありますが、戦時中の天皇制のどこに問題があったのか究明しなければなりません。近隣諸国との真の親睦をはかるためにも。

私はオリジナリティに富んだ歩みをしたいと願うものです。まことの人となられたお方から、日々創造霊の油そぎを受け、その恵みが生活の中に神の川となって流れ出て下さるような日々を願います。

それは主イエス御自身が言われたように、神に荷を下ろした、心爽快な人生でありますから。

そこでは世の法則に引きづられるのでなく、解き放たれて創造主の力と活動に依る歩みがあります。地球に近づけば、あらがうことのできない地球の引力の支配に生きます。月に近づけば月の引力の中で生きることになります。

主が地球の引力の法則を超えてガリラヤ湖上を歩まれたのはなぜでしょうか。人類死滅の法則を超えて復活されて生きておられるのは何故でしょうか。

すべてのまさる創造主と結ばれ、いつもみそばを歩まれたからです。

我々も主の血によって、いつも心を洗っていただき、接近してくるサタンの悪い思いを遠ざけていただき、いのちの泉がこころから湧き出て生活の中に流れていくようにしたいと願わされます。

 

 

 

 

 

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新島八重の兄、覚馬と横井時雄

2013-05-21 22:27:53 | 歴史

http://www.natural-cma.com/rekishi.html

幕末維新のフルベッキ宣教師と日ユ同祖論、伊勢神宮について記されています。

キリスト教会と天皇制がどのように関わることになったかそのヒントがあります。

日本文化と対決の姿勢をとったのか対話融合の道を歩もうとしたのか先人から学ぶことは

今後の日本の進路に重要な示唆を与えると思います。

バプテストのゴ-ブルは、横浜に伊勢の像が移された時、エペソ教会が対決したアルテミス女神

をアマテラス神に感じ取りました。

一方、川守田牧師は伊勢はイシェ、すなわち主は救いの意味を持つ旧約聖書に由来するもの

とみました。八紘一宇に通じるものでした。

英国のオリバ-クロムエルによるピュ-リタン革命とその後の王政復古。

幕末維新におけるイギリス外交官、ア-ネスト・サトウの西郷隆盛や安保清康との共闘も

検証さるべき史実であり、サトウの日記(萩原訳)だけでなく「安保清康自叙伝」の口語訳

出版されることが望まれます。

幕府の背後にフランスがありましたが、薩長安芸藩、そして土佐4藩には英国の影響が

ありました。

世界に類を見ないキリシタン弾圧の背景にも新旧キリスト教の反目があったともいわれます。

それ以前に東方キリスト教会と西方教会の分裂がありました。

さらに遡って、パリサイ派あるいはサドカイ派ユダヤ教によるキリスト教の迫害があり、

サドカイ的思考はユダ人フォイエルバッハやマルクス、エンゲルスに代表される唯物論を生み

それは進化論という形で現代思想の一つになりました。

このような宗教と思潮の海の中で真実を見分けるのは困難ではありますが、真理の御霊に

より頼むことに依って光の中を歩めるのです。

 (参考サイト)

http://holyspirit.blog.ocn.ne.jp/mmm/2009/10/post_d41f.html

 

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「賀川豊彦から学んだこと」大沢一彦氏講演(ドイツ館・5月25日午後1:30-)

2013-05-20 17:33:46 | 歴史

http://kitajima-cho-shokokai.org/news/20130410/news.pdf

今治ご出身の日本食会長の大沢氏が賀川豊彦の薫陶を受けられたとは知りませんでした。

瀬戸内海国際巡礼コ-スのビジョンを持つ者として興味深い講演です。

徳島の吉野川の河畔に賀川豊彦の墓がありますが、この川の名の由来について以下のサイトに信じられないような事実が記されています。

http://www.historyjp.com/

瀬戸内海に存在した各国の捕虜たちが過ごした収容所跡といわゆる遍路コ-スが二重写しになってきます。

そして東方キリスト教である景教の影響がみられる空海が古代日本における失われたユダヤ10支族の痕跡をこの地に見出していたとは!

私は川守田英二著「日本へブル詩歌の研究」を学んでおりますが、記念出版基金の寄付者名に賀川豊彦も名を連ねています。

日本近代化の父と呼ばれ、ル-ツがユダ人であったフルベッキ宣教師も日本の文化について関心をもっておりましたが、すべての点が線でつながれてくる思いです。

 

 

 

 

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「主を仰ぎ見る」5月5日徳島恵教会メッセ-ジ

2013-05-17 14:21:09 | ゴスペル

http://www.youtube.com/watch?v=qjMI31wxIkY&feature=em-upload_owner

 

[ユ-チュ-ブを使用して録音を公開しました。参考サイトは以下です]

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n4842

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創造主依存

2013-05-13 11:44:18 | 福音

原罪とは創造主でなく、被造物への依存あるいは信頼を意味します。それを偶像礼拝とも呼びます。

偶像は英語でアイドルと表現され、人の心をとらえ、夢中にさせ、喜ばせ誇らせ、そして依存させる対象でもあります。

そういう意味では原罪とは被造物依存症ともいえます。そこからすべての問題の根であると聖書は語ります。

つまりいのちの源である創造主[創造霊]から、この世に心を転換し、その交わりを失うことに依って、アダムは妻への責任転換の生活をするようになり、兄のカインは自らの非を弟アベルのせいにしました。

神依存をやめると、それに代わる被造物依存が始まり、おたがいのもたれあいに耐えられなくなって失望し、やがて不満が爆発して破局を迎えます。

主はこのような破滅から私たちを救い出すためにこの世に来られました。真の人とは創造霊を心に迎えその偉大な力といのちの中で生き方を自らお示しになりました。

徹底的な神依存が死をも克服する復活と永遠の道であることを証明されたのです。

アダムと真逆な生き方でした。主は贖いの血を流されて誰でも神に直接結ばれる道、すなわち御霊を宿すことが出来るようにしてくださいました。

こんにち、すべての人に神は御自身を与える備えを完了されておられます。神の驚くべき自己贈与の愛です。

創造主を持つことにまさる栄誉と富はこの世にありません。主の十字架を見上げこれに依存する瞬間に、罪が除かれて、神である聖霊が私たちの霊(腹)に住んで下さるのです。

これ以上の奇跡はありません。そしてあなた方の腹の中から活ける水が流れ出るであろうと主が予言された如くに、創造主のいのち、愛、力、知恵が現われてきます。世の資源はやがて枯渇しますが、創造者御自身である資源は無限であり、無尽蔵であります。

旧約聖書には無一文であった人々が、神から引き出した知恵や力によっていかに豊かにされたかという実話で満たされています。

新約に至って、この人生だけでなく永遠に渡る富の約束が実現されました。

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霊における対決と人との対話

2013-05-10 09:46:09 | ゴスペル

創造主がその永遠のいのち(ゾ-エ-)を人間に分与されるため、人としして受肉され、その身に聖霊を宿され、そしてその聖霊を罪人である私たちにも住まわせるため、十字架上で贖いを成し遂げられました。

同時に、復活されて40日後、昇天され御座に着かれました。それは人としての神化の道をたどられたのです。

神が人になられることによって、始めて人が神のいのちに生かされる道が開かれた訳です。

受肉という西方教会が強調した神としての主イエスは同時に、人の神化という東方教会の強調点と結びあわされています。まことの神にしてまことの人であることが主イエスの真実であります。

マルコ福音書はクリスマスの奇跡については触れていません。しかしヨルダン川でのバプテスマに依って比類のない形で聖霊が鳩のように主の中に宿られたことを明らかにすることに依って、主が神と同質の聖さをもつ神の御子であることを指摘します。

アダム以来罪に汚れた人間に創造主の聖い霊が内住することは不可能となりました。従って神の介入は天使やその声を聞き分けうる預言者や祭司を通してなされました。

神が宿られる神殿の至聖所は閉ざされたままでした。本来「神のかたち」として創造された人間の内に神は宿られるはずでしたが、罪とサタンがそれを遮り、神の宮として建てられた物体の中に降下されたのでした。

しかし、罪なき御子の登場により、聖なる御霊がその御子の至聖所である霊の内に宿られたのです。

形である肉体の中に創造霊を宿すというまことの人間の出現でありました。ヨハネ福音書では御子の誕生を「幕屋を張られた」と表現します。そして幕屋の構造に沿って主の生涯を編纂しています。

ところで、信仰告白とは、聖霊が私たちに働いて、復活の主に出会わせて「主よ」と交わりに招き入れて下さるのは、私たちの霊が御霊と共に創造主のレベルに引き上げられて、永遠のいのちの産声をあげているのだと証言されています。

霊の次元におけるこのレベルの問題が宗教の問題になります。被造霊である天使レベルには永遠がありません。永遠は創造主のみに属する特質でありますから。

諸宗教が至聖所を遮る幕の手前、すなわち天使のレベルのものであることを知らなければなりません。

確かに旧約聖書にもモ-セやエリヤが体験した偉大な奇跡がありますが、永遠的霊のよみがえりとそれに続く体の復活には至りませんでした。ステパノはただ一回の福音的メッセ-ジによってユダヤ教の限界を指摘してパリサイ派ユダヤ教徒であるパウロの怒りを買ったにちがいありません。

人は己が絶対化しているものを否定されたり、それ以上のものを提起された時動揺します。

被造物を絶対化することは偶像礼拝でありますが、それはより高い次元の霊の視点に立って始めて分かるのです。創造霊と被造霊を区別できるのは、聖霊の能力以外に不可能であります。

しかし、ステパノにとってパウロは敵ではありませんでした。神のかたちを与えられ、御子が彼のためにも血を流された神に愛されている同胞でありました。

ステパノは石で打たれて死の直前、霊の目で主を仰ぎつつ「彼らをおゆるし下さい」という驚くべき祈りを捧げました。

この祈りが成就して、復活の主がパウロに現われ、彼に聖霊を与えられることになります。

カ-ルバルトは通常の宗教の対話とは別の仕方でするのだと語りました。諸宗教の最高峰にキリスト教がそびえたつというのでなく、イエス・キリストが根拠であり、この根拠に依って諸宗教と新しい対話が開かれうるのだと。

創造霊と被造霊の違いを認識した者の発言ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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東方と西方のはざま

2013-05-08 09:31:51 | ゴスペル

神学の思想史において東方的視点、人としての主イエスが、聖霊の内住に依って神の業をなされてゆくいわば神化の思想と、他方神としての主イエスが受肉に依って人の罪を負われ贖いの業を成就される西方的視点がある。

前者はヘブライ的キリスト教、メシア[油注がれた者]としての特質をもち、後者は贖罪者キリストとして特に異邦人的キリスト教の傾向がある。

ペテロはユダヤ人への宣教を、パウロは異邦人への宣教をゆだねられたとガラテヤ人への手紙2章7節でパウロ自身が述べている。

両者には際立った対照性がある。ペテロはガリラヤ湖で漁師生活をしていて主イエスと出会った。パウロはエルサレムでエリ-ト教育を受け、パリサイ派ユダヤ教徒のリ-ダ-でありローマ市民権ももっていた。クリスチャン迫害の急先鋒としてステパノ殺害にも立ち会ったが、その後ダマスコへの途上で復活の主に出会い、劇的な回心を遂げた。

両者とも、宗教の枠を越えて福音の世界を知らされた使徒である。天使の次元を越えた創造主ご自身のいのちの中に引き上げられ永遠を体験した人物である。

しかしこの二人に代表される福音伝達の強調点が微妙に違っているのも否めない。神学的には聖霊論的キリスト論と受肉贖罪論的キリスト論であり、それは歴史的には東方的信仰としてオリエントに広がり、また西方的キリスト教としてラテンおよびゲルマン、アングロサクソン、スカンジナビアを席捲した。

フェリオケ(神とキリストからの油注ぎ)を強調する西方神学は、人とし聖霊の油を注がれる主イエスを見失いがちであった。プロテスタントはその抗議運動の表れとみてよいかもしれない。ルタ-は聖霊の働きとしての信仰告白を語り、カルヴァンを聖霊の神学者と称されることからも。(ただし二人ともフェリオケ西方神学の流れに立ち信仰告白なしの幼児洗礼を認めている点では課題が残されたことをカ-ルバルトは指摘している。)

聖書にもどって、当時エルサレムを支配していたロ-マ政権に反発するかのように、ペテロと行動を共にしたマタイは主の働きの中心ををガリラヤ地方にしぼるかのようである。その系図はユダヤ民族の父祖アブラハムから始められる。誕生の後エルサレムを避けてエジプトへ逃亡する。預言者エリヤやエリシャを輩出したガリラヤ近郊こそが主の霊的ふるさとであったといわんばかりである。復活の主が弟子たちと親しく交わるのはご自分を十字架につけたエルサレムでなくガリラヤである。

他方パウロの協力者ルカは、主の誕生序曲をエルサレム神に仕える祭司ザカリアから始める。3章の系図はアダムにさかのぼる。エルサレム近郊での復活の主の顕現が強調される。

ペテロは民族主義的傾向を帯び、パウロは国際主義的である。

以上多少長いプロロ-グ[前書き]になったが、我が国の宣教において特筆すべきは1860年長崎に着き日本最初のプロテスタント宣教をになったフルベッキ宣教師(英語読みでヴァ-ベック)であろう。オランダ出身の米国改革派の宣教師でル-ツはユダヤ人であった。

フルベッキ師は日本民族の立場に立ち、国防や教育改革、留学生の世話など我が国の近代化に計り知れない影響を与えた。

そして伊勢神宮のダビデの星紋章や日本とイスラエルの関係の研究についても少なからず貢献されたという。

東方と西方を対話とみるか対立とするか、それはキリスト教徒とイスラム教、さらには仏教との今後の大きな課題と思われる。

 

 

 

 

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日英米友好メモリアル除幕セレモニ-報告

2013-05-03 20:42:27 | 捕虜レクイエム

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=2013041610505371_ja

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20130415-OYT8T01186.htm

http://0845.boo.jp/times/2013/04/20213907.php

       日英米友好メモリアル除幕式次第(Program)

                        2013年4月15日(月)午後2時

 

                                司会 小林氏

1.      賛美“Amazing Grace” クップ師

2.      挨拶(謝辞・経過報告)尾道赤レンガの会・南沢代表Acknowledgement & progress report by rev. Mitsuo Minamizawa

 「本日は英米国人捕虜の方の追悼メモリアルのため貴重なご時間を割いてご列席して下さった皆様に心から感謝申し上げます。特に米海兵隊岩国航空基地の司令官スチュワート大佐、他2名、イギリス領事のフィシャ-さんご出席いただいたことは光栄に思います。中央小学校4年生のみなさんと先生ありがとうございます。海兵隊は2011年3月の東日本大震災と津波の際には、真っ先に駆けつけてくださり被爆の危険も顧みずに救済に尽力してくださり、一日本人として心から感謝します。日本人の最初の海兵隊員は瀬戸田町出身の仙太郎で漂流中、米国船に救助され、1853年ペリー司令官と共に黒船に乗って浦賀沖に同行しました。本をお読みください。この地は戦後日本で初めて米国国旗星条旗がひるがえった地であります。投下されたパラシュ-トの布で捕虜の方々が地元の日本人の協力で国旗を製作し、向島、尾道を行進しました。星条旗は軍人博物館に保管されているとのことです。日本を開国に導き、第二次大戦においては民主主義国家として再生する道を開かれた事をも忘れられてはならないことです。向島教会は戦後遣わされたブラネン宣教師によって始められ今日に至っております。11日にカリホルニアで天に召されたとのことです。私自身その後遣わされた米国人宣教師によって導かれてキリスト者となりました。11年前の時点では英国人捕虜の死亡は確認できましたが、当時読んだ資料では米国人の死者はゼロであるとのことでした。しかしその後、小林さんや今日列席され、英国エリザベス女王から勲章をいただいたPOW研究所代表の笹本氏スタッフにより、一名のアメリカ人、Bernard George 氏が過酷な捕虜生活の後、1945/2/13 脚気でこの地で死亡されたことが明らかにされました。おりしも、昨年、元捕虜収容所の旧レンガ塀の解体により、メモリアルの移設の必要が迫られ、左側に移設するとともに、右側に、ゆかりのレンガを旧向島紡績山白政治郎氏より提供いただき、170×65㎝メータ―のステンレス名板をはめ込むメモリアルを設置することになりました。エブリイ、ヒマワリ、ダイソウかくス-パ-の深いご理解と協力を賜り、小林氏が碑文の製作、光名板によるステンレス部の製作、大畠商会による施工によって完成することが出来ました。設計に当たっては建築デザイナ-細谷和良氏、安井謙介氏他のご指導をいただきました。エブリイ、村上鈴子氏加藤慈然先生他から、丸善製薬みなさまからの尊い寄付をたまわったことを感謝します。レンガの購入やケレン作業のためボランティアをして下さった方に感謝します。また報道して下ったメディアのみなさんに感謝し、さらなる和解と友好を願って列席者のみなさんに心からの感謝と共に挨拶とさせていただきます。尚、敷地については尾道大学や園山氏の協力をいただいて完成の予定です。恵子ホ-ムズさんの足型設置や運動公園で育っているイングリッシュオ-クのドングリを培養して植える案などもありますのでよろしくお願いします。

3.      聖書朗読・祈祷・メッセージ-島田師 仏教による法要-加藤師他

Bible reading by rev. Mr. Shimada & Buddhist memorial service by priest Mr. Kato 

4.      除幕――米国側スチュワート司令官、郷力副市長、猪原「エブリイ」店長

英国側:フィシャー総領事、住田自治会長、小学生・大磯さん、今岡さん 

5.      献花(Flower offering)――米国側:スチュワート司令官、小学生・大磯さん

            英国側:フィシャー総領事、小学生・今岡さん 

6.      来賓挨拶( Guest speakers)――郷力副市長、スチュワート司令官、フィシャー総領事、

       杉原市会議員、笹本POW研究会代表、小学生代表、大出あおいさん 

7.      来賓紹介

 宮澤賢治の弟の孫 宮澤和樹氏他

 8.      記念撮影(集合写真)

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