旧約時代、天使を通して与えられた律法を守ることが主の命令でした。
それを守れば天使を通して祝福が与えられ、破れば呪われました。天使のレベルの祝福とは、体や環境に関わることでした。
天使は人の霊に触れ、内住することは許されなかったからです。
総じて、宗教はこの分野に限定されているといえます。
これに対して福音は、受肉された創造主の働きです。
そして、今日、神は遣わされた御子を信じて永遠のいのちを受けるように命じておられます。
すなわち、主を信じることによる永遠の祝福をもつことが神の願いであり、命令です。
主の十字架の贖いに依り頼む時に、神の血による罪の清めに与かり、聖霊が私たちの霊に住んでくださいます。
生まれつきの能力に依存しても、限界がありますが、御霊にお頼りするならば、御霊の性質と能力で生きてゆけます。
永遠のいのちとは創造主なる神のいのちのことですから、自己をはるかに超えた力で生きてゆくことになります。
ルターやカルヴァンによる宗教改革とは、御霊による信仰生活の再発見でした。
聖書に忠実な信仰です。
それは御霊の働きを解放することであり、教育や文化、経済や政治の分野にも一大改革をもたらしたのです。
inside to outsideです。
ローマ人への手紙をみると、主と共に十字架につけられ、復活の主ととともに歩むという表現があります。
自我への依存をやめて、御霊への依存に生きるときに、そこは創造主のレベルの次元であり、復活していまも
働いておられる主イエスと霊的にまみえるところであり、そのみ力に与かる歩みであります。
霊の混沌(カオス)のなかにあって、創造霊と被造霊の違いを見分けることは、人間的肉の能力では不可能でありますが
聖霊の能力では可能です。(コリント第一の手紙12章)。
人の思考や宗教的信念、あるいは時代の思潮というようなものは、何らかの霊的影響下にあって、いわゆるマインド・
コントロールを受けております。
偽りの霊は、本人の知らぬ間に、その思考をコントロールします。創造主なる聖霊はあらゆる被造霊と被造物をはるかに凌駕
していますので、すべてを識別されます。
したし、御霊なしには、真偽の判別は困難です。
旧約聖書でしばしば、天使と神が混同したように記されているのもそのせいかもしれません。
神が被造物にすぎない私たちに、ご自身のいのちの霊を吹き込み、神の子供として永遠のレベルで交わり、生かしてくださる
とは、まさしく人知をはるかに超えた恵みであります。