創造

創造主とセルフイメージの世界

外なる人と内なる人

2022-03-25 16:53:42 | 福音

(コリント人への第二の手紙・4章7ー18)

神はご自身である聖霊を私たち、土の器に住まわせておられます。

ギリシャ思想では肉体が外、精神が内ですが、聖書では創造霊を頼る生き方を内なる人、被造物に依存する生き方を外なる人ともいえます。ですから、ギリシャ思想のように、精神(心)を絶対化して、これを頼るのでなく、内住の人格者である御霊を頼ることが大切です。御霊は信仰を与え、言葉となって現れます。

私たちは永遠の宝を内にいただいているのですが宇宙よりも偉大なお方がどうして、自分のような小さな中に臨在できるかと疑問に思ったりします。イスラエルの民が荒野の旅に出るとき、貴金属やダイヤモンドを携帯しました。現代でもユダヤ人がダイヤ生産の大半をシェアしているといわれます。非常に高価なため、いざというとき、宿代にも食費にも代えられるのです。神は自らを低く小さくされておられるのです。

そして試練の中で、ご自分に頼らせようと待っておられます。

心(魂)も体と同じように被造物であることを忘れてはなりません。

「自分の心に依り頼む者は愚か者だ。(神の)知恵によって歩む人は救われる。(箴言28:26))」 

 自分の気持ちに頼る者は愚かな者と宣言しています。なぜ聖書はそう言うのでしょうか。それは、人の心や気持ちは一瞬で変わることが多いかららです。絶えず目に見えるものに頼ろうとして 感情のジェットコースターに左右されやすく、幸福だと思っていてもすぐ心が沈み、不幸だと思います。  心が愛で満たされていると感じたと思ったら、すぐ怒りでいっぱいになることもあります。 自信にあふれていたはずなのに不安になったり・・・・。
 自分の心だけをよりどころにするのは、人間の限られた知識と気まぐれな感情に将来を賭けるのと同じことのような歩みになるのです。
 エレミヤ書、17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。
7:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

 

戦争や天災、病で死が迫る時、死を超えた神のいのちに目が注ぎます。外なる自分や環境は乏しく厳しくとも、内なる自分を見ますと素晴らしい宝が輝いております。

6章にもあるように、霊の目で見ると何も持っていないかのように見えますがすべてをもっています。

 目に見えるものから目を離すとき、いままで見えなかったものが目に入ります。暗闇でしか見えないものが見え、歌が聞こえます。試練は内なる霊の世界に目を開かせます。ダニエルは21日間の悩みと祈りの後に、目が天使の世界に開かれました。敵の大軍に囲まれて絶体絶命の時にエリシャの弟子は主の大軍を見ました。

主の40日の試みの中で。サタンと戦い勝利されたのは御霊なる神御自身でした。

死ぬような厳しい試練に会う時、自分自身の天である至聖所におられる聖霊様が働かれていることに目が開かれます。

御子の血によって心を洗っていただき、被造物依存という偶像礼拝から解放されて、御霊がご自身を現わされますように。悔い砕かれた魂(心)を通して神の働きが輝き出ますように。

今の重い試練も共にいます主と御霊にゆだねるならば、神が重荷を代わって負ってくださるので軽くなります。

やがて、聖霊はこの土の器を栄光の復活の体に変えてくださるのです。

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レントを迎えて

2022-03-10 15:32:25 | 福音

(マタイ福音書4章1-11)

「荒野の祈りと誘惑」

ウクライナの惨劇を子供にどう説明したらよいか悩むという人がおりました。3・11東日本震災やコロナ禍は自然災害ですが、今回は人災です。しかし、聖書ではこのような創造に反する破壊はサタンからくると教えています。この40日のレントの期間に、主イエスが荒野でどのようにサタンに勝利されたかを学ぶことによって、問題の本質を知ることができるかもしれません。

ここでは、直接サタンが手を下したことは書かれていません。いわば神経戦のような思いにおける戦いです。

全てこの世で起こることは誰かの心に浮かんだことだと言われます。「思いを通して」神は働かれ、同じように悪い思いを通してサタンも働きます。つまり、心は霊によって左右され支配されます。

ですからサタンは主の心に働きかけます。第一の誘惑は本能的、生理的欲望。第二は支配欲。第三は金銭欲とも解釈できます。

これを霊的に見ると、この世、すなわち被造物に依存させようとしていることが分かります。しかし、全ては聖霊なる神が造られるものであり、源泉は神にあります。イエス様は人として聖霊を受けられ、その御霊の内住といのちによって対決されます。単なる宗教的修行をしているのではありません。

人間から生じた宗教や哲学は、その生まれつきの性質を鍛錬することによって、進化論のように突然変異が起こって別の種に進化すると教えます。しかし、イエス様は、肉はどこまで行っても肉であって、人は新しく神から生まれなければならないと言われました。聖霊という神のいのちの種を宿して、はじめて神の子になれるということです。パリサイ人の宗教的パン種、サドカイ人の唯物論的パン種に注意しなさいといわれたのは、創造主の霊からでなく、創造主ご自身のいのち(ゾーエー)には程遠いものであることを教えられたからです。

永遠のいのちは、イエス様による血の贖いとそれを信じ、頼って罪を清められ、サタンを追い出して聖霊に住んでいただくことによって与えられます。

 ヒットラ-が世界制覇をもくろんだとき、告白教会の人々は、形式的に、表面上は教会の味方であるように見えるが、心はサタンによって支配されていることを見抜きました。それは霊的まどろみに悪霊が乗じてよどんでしまった霊的惨状でした。

1853年のクリミヤ戦争はロシア対オスマン帝国・英・仏の戦いでした。ゴ-ブルと仙太郎が海兵隊員として同乗したペリー艦隊が浦和沖に現れた年です。

1859年にはアメリカからフルベッキやゴーブルが日本に上陸しましたが1860年、ロシアからニコライ宣教師が函館に到着、やがて東京にニコライ聖堂が建てられます。

1871年フルベッキ宣教師が発案企画した岩倉使節団に新島襄、津田梅子、ゴーブルも唯一の宣教師として加わっていました。

1902年日英同盟が締結されましたが1904年日露戦争が勃発しました。松山市に1000人近い捕虜が収容されましたが、ロシア正教の鈴木司教が慰問し、また死亡者のため墓碑を建てました。

1914年6月28日。オーストリアの皇太子夫妻が、セルビア王国のサラエボで暗殺されるという事件が起こります。これを直接の引き金として、第一次世界大戦が勃発しました。オーストリアはセルビアに宣戦を布告、そしてロシアがセルビア側で、ドイツがオーストリア側で、という具合に、雪崩を打つように諸国が参戦していきます。この先、ドイツ側を「同盟国」、フランス・ロシア・英国側を「連合国」と呼称します。つまり、第一次世界大戦とは、「同盟国」と呼ばれる勢力と「連合国」と呼ばれる勢力が世界中で起こした一連の戦争群をさすわけです。(ちなみに日本は連合国側として参戦しました)同盟国側の参戦国:ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア帝国連合国側の参戦国:フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、セルビア、モンテネグロ王国、ベルギー、イタリア王国、ルーマニア王国、ポルトガル王国、中華民国、日本、その他

歴史と自分の心に働く霊を見ることによって、神と自分を深く知ることができます。聖霊と共に歩み聖霊によって霊を見分けます。血肉(人間)との戦いでなく、霊の戦いでは、主の血と御霊のみが憎しみと悪霊から人を解放し勝利へ導きます。

ハレルヤ教会

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