写真]慶応三年小出千之助氏洋行記念撮影
長崎(後列左から)中島永元、相良知安、堤董真、中野健明。
(前列左から)副島要作、副島種臣、小出千之助、大隈重信、中山信彬
出典『大隈伯百話』江森泰吉著 編出版者 実業之日本社 明治42.6
「長崎フルベッキ研究会」より転載させていただきました。
村瀬氏によるフルベッキ人脈については以下参照。
勇猛でヒロイックな面のあるベ-ト-ベンは心を奮い立たせてくれます。
しかし、人間がその本性から、崇高なものへ昇華してゆくことが本当に可能でしょうか。
根本的に原初的に罪に落ちた人類と被造物は、死とその背後に働くサタンに勝利できません。
死のこちら側で、苦悩し、それにあらがうのですが所詮、飲み込まれてしまいます。
したがって助けは死のあちら側、サタンを凌駕する創造主から与えられるものです。
永遠者のみが時間を解決されます。
ですから、神は人間となられて、この死の谷に降りてこられました。
そこは被造物が自力で懸命に永遠を掴もうとあがいている世界です。
己のビオスを永続化しようと、生存競争に奔走し、せめて種の保存のための強烈な生殖本能に翻弄されます。
ダ-ウィンやフロイトの法則はその面においては妥当するかもしれません。
しかし、それはあくまで、罪と死のもとにある世界、すなわちサタンの支配下のことであります。
創造主が、この死のただなかに降りてくださり、さらに聖霊として人間に内住されることによって、
神のいのちゾ-エ-の新次元が開かれ、解放と創造の法則、すなわち復活の世界が現実化されます。
私たちの内側で神が歌い、天が地に現れます。
バルトはモ-ツアルトの響きのなかにその啓示の光を感じ取ったのではないでしょうか。
白鵬によれば、モンゴルには「山が高いと言って引き返してはならない、行けば必ず超えられる」ということわざがあるとのことです。
確かに私たちの人生には越えなければならない山々があります。しかし
詩篇7・5「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」とあります。
ともにおられる主が、願うところ、思うところのすべてを超えて成し遂げてくださるよう祈ります。(エペソ3・20)