創造

創造主とセルフイメージの世界

備後イースターフェスティバル5・8(日)pm2:00:福山リーデンローズ

2011-04-30 22:10:54 | 創世

市岡裕子さんを招いての第18回備後イースターフェスティバルが近づきました。

今は復活日からの40日間、500人以上の弟子に主が姿を現わされた復活節です。

今年は震災被害者を覚えつつ、復活の主をたたえるフェスティバルになると思います。

知人の医師でどうしても復活は信じられないという方がおられます。

数多くの方々を看取られた悲しくも厳しい現実を目にされたことを思えば無理もない

ことだと思います。

かつて熱心なユダヤ教徒だったパウロも、主の復活を信じることはできませんでした。

それどころか、復活を宣伝するキリスト教徒は、嘘をついて人心を惑し律法を破って

いる者だとして取り締まっていました。

しかし彼は太陽よりも強く輝く光の中で復活の主と出会いました。

自然界の光を超えた創造主の光のなかで主を見たのであります。

ここに復活の謎を解くカギがあります。

私たちは被造物としての自然の中に暮らしているのですが、聖書は、この世界が

人類の罪の結果、創造主から切り離されて死の力を持つサタンの支配下に陥ったと

述べています。植物や動物、生きとし生けるすべての生命は、死と言う運命から

逃れることはできないし、事実、身の回りに死に勝利したという事例を見出すことは

できません。ですから復活を信じなさいと言われても素直に信じれないのです。

けれども、それは神から離された被造物という限界とその自然の法則を前提に死を考察している

のです。

ところが、創造主が人となられてこの被造世界に割り込んでこられた時に、その前提は

くつがえされました。

創造主の永遠のいのちは、堕落天使サタンの死の力をはるかに凌駕しています。

復活の主との出会いとは、創造主の中に迎えられたことであり、至聖所に入ることです。

宗教の世界、天使のレベルの次元は聖所に入って神に近付くところまでは行きますが

神ご自身の中(至聖所)には至っておりません。

あらゆる宗教を代表するユダヤ教が、復活の主を信じられない理由もここにあります。

つまり、天使も見えざる被造物という意味において、創造主ご自身のレベルに到達

していなかったという訳です。

そして創造霊のみが、私たちの霊に触れて霊を生かし、その中にお住まいになられる

お方ですから、永遠の救いをもたらすのです。

かくして、肉体においては依然として弱さを帯びつつつも、内におられる創造主なる聖霊に

よってサタンより高い立場に生かされます。

霊の死から解放されて、神と結合され永遠を生きているのです。

創造主は私たちの内側から働いてやがて死すべき体をも復活の体に変えられます。

復活とはそれほどリアルで真実なことであります。

創造主が、今日本人が体験している、悲惨のただなかにある方々に触れ、真のよみがえりと

希望の人生に変えてくださるようお祈りします。

「仙太郎」出版は5月下旬になりそうです。

 

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made in japan か made in God か

2011-04-23 14:07:56 | インポート

捕虜を運んだ大日丸は日本製なのかスコットランド・グラスゴーで造船されたエスカダ―レ号

なのか?

http://www.333.ecnet.jp/dainichimaruhomepage.htm

http://www.fepow-community.org.uk/monthly_Revue/html/dainichi_maru.htm

元捕虜収容所の向島紡績のレンガ塀はイギリス製なのか日本製なのか?

http://www.angelfire.com/nm/bcmfofnm/mukaishima/mukaishima.html

http://www.333.ecnet.jp/brik.htm

フルベッキ写真は上野彦馬の撮影なのか、それともブラウン宣教師によるものか?

こられの疑問に対する明快な回答はいまだ見出せないでおります。

いずれも軍、あるいはその情報部に関わるものであるからではないでしょうか。

かつて日露戦争に供された戦艦のほとんどは英国製でした。日英同盟下で情報戦においても多くをイギリスに負っていたといわれます。ところが、いつしか日本軍の戦力だけがたたえられるようになりました。

やがておごり高ぶった軍は第二次大戦に突入します。大和も武蔵も日本製でした。

大戦の後、諸外国から学ぶ維新時の姿勢をとりもどした我が国は、世界有数の産業国家となりました。

英国の産業革命がジョンウェスレーによるリバイバルと時を同じくしていることがマックスウェーバーによって指摘されています。

製造は創造の模倣であるとするならば、創造の霊によるインスピレーションが大きく寄与してくるといえないでしょうか。

そしてオリジナルな発明発見は聖霊の働きの結実であるとも言えます。

そうであるなら、表面的に欧米の技術文化を模倣するだけでなく、その底流に流れている

スピリットを学ぶ必要があります。それはヨーロッパ精神というのではなく、もともとアジアに起源をもつヘブライズム、否、洋の東西を超えた創造主に源流をもつものであります。

 戦いは戦力だけでなく情報力によって決せられます。それゆえに情報は機密なのでしょう。

ですから、上記三つの謎を容易に解くことはできません。

ところで吉田松陰を始め、伊藤博文、桂小五郎も忍び(情報学)に関わりブラウン宣教師はフリーメ―ソンに属していたといわれます。

今日でいうCIAです。

王の夢を解き明かしたダニエルは「すべての秘密を解き明かすのは、創造主なる神」であると語っております。

崩壊から立ち直るために聖霊の力と知恵を求めてゆきましょう。

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十字架と復活・破壊と創造

2011-04-22 16:17:28 | 福音

今年の聖受難日は22日で復活日が24日(日曜)です。

主は、われわれの罪の裁きを自ら受けられて十字架刑に処せられました。

いつもは「父よ」と神との親密な呼びかけをしておられた主ですが、この時

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。

単に肉体の死だけでなく、「霊において神から引き離されるもっとも恐るべき死」

を主は体験されたのです。

ペテロの手紙では「地獄にいる霊をすくうために地獄に下った」とあります。

十字架は破壊であり、神の御子を引きずり落とすサタンの業でありますが、そのことに

よって、闇の世界に光を招きいれるという逆説が起こったのであります。

今日、神からもっとも遠いところにあると見える世界、神から見捨てられたように思われる

ところにも、主は居られます。

サタンが勝利したかのような時に、サタンは敗北したのです。

そもそも堕落した天使、サタンのもくろみは、人を神から引き離し自分の配下におこうと

することです。そのため、人の心を創造主からそらせるために一見善きもの(被造物)

を見させそれに依存させようとします。アダムの場合は知識の木の実でしたし、ダビデの

場合は自国の軍団でした。たぶんヨブにとっては豊かな財であり麗しい家庭であり、

アブラハムにはイサクが神よりも慕わしい存在になりえたでしょう。

天使ルシファ―にとっては、己の美と知識自体が神に代わりうるものだった訳です。

ですから被造物へ依存(偶像化)へと誘うことが堕落天使の性質になりました。

そして己の支配にした瞬間に、サタンは牙をむいて襲いかかってきます。

ヨブを襲った災難もパウロの人体に何らかの障害をもたらしたものも、サタンの介入があったと

聖書は述べております。

申命記28章にあるように、自然の法則よりも強い神の法則(十戒)を破ることがサタンの介入

としての呪いを招き、これを守ることが天使の介入としての祝福をもたらします。

律法を守れない旧約の民に代わって、毎日子羊が殺されその血の償いによって民は呪いを免れ

祝福されました。自然の法則を人間が勝手に変えることができないように、神と人間の法則も

変えることはできません。

 神の御子の十字架の血潮は、私たちのあらゆる罪を償う力を帯びております。

この贖いにお頼りするときに(信じてたよるときに)、地獄に主がおくだりになられたように

私たちの心の闇に聖霊なる神が降りてくださり、いままでサタンによって支配され神と分断されて

いた心底が光り輝きます。霊の永遠の解放であり、救いであります。

聖霊と共に私たちは神に「父よ」と最も親密に祈ることができます。

主の血潮は、私たちの霊と心と体と環境に聖霊の介入を招きいれてくださり、破壊されたところを

再創造して下さります。

 

 

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自然の法則と奇跡・科学と神学

2011-04-15 11:41:14 | 創世

被造物としての自然や人体の法則を学ぶのは科学ですが、創造主がどのように関わるかを探求するのは神学です。

石原都知事が今回の震災は日本人の貪欲への警告であると発言されました。ヨブの災難を見てヨブの罪を責めた友人

のことを思いましたが、石原軍団の著名な俳優の方々が、被災地に飛び込んで、炊き出しのために労苦されておられる

姿を見て、都知事も単なる傍観者として語られたのではないという気がいたします。

聖書は、自然現象と人格的な人間のあり方が密接に結びついていると告げます。天災は不信仰という人災の結果としても

たらされる例が多々見受けられます。

わたしも、災難にあったり病気になると、自分に罪がなかったかいろいろ考えます。そして、もし罪があるなら主よ教えて下さい

と祈ります。地震は科学的にはプレートの移動とそのヒズミが原因であると説明されるのですが 、それでも余りに大きな悲惨

を見るときな、「主よ、なぜですか」と問わざるを得ません。

主イエスもあまりに残酷な十字架の苦痛の中で、「どうしてですか?」と叫びました。

今、苦しみ悲しんでおられる方がたのところに復活の主が共にいて下さることを信じます。

このお方は自らもっとも残酷で悲惨な死を体験されたお方ですから、心の底から同情され、慰め助けてくださいます。

「貪欲」とは被造物に対する過度の依存であると言えます。

うるわしの門で、ペテロは「金銀は私にはありません。しかし私にあるものを上げます。ナザレのイエスによって歩みなさい。」

と告げました。わたしにあるもの、それは聖霊なる神であります。主イエスを信じて頼るならば、聖霊が心に宿り、神をもつもの、

永遠の尽きざる富の保有者になります。その力は自然の法則を凌駕し、被造物とその死の運命を超えさせて、復活のいのちを

生きる者へと導きます。

これが自然の不条理に対する創造主の回答であります。

 

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福島第一バプテスト教会佐藤彰牧師メッセージ

2011-04-05 12:21:44 | 福音

http://f1church.com/20110403mov.wmv

(参考資料)

「クワイ河収容所の奇跡(原作「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン斎藤和明訳:ちくま学芸文庫)」www.wlpm.or.jp/life_st/title/end_wars/index.htm

『謝罪と赦し-クワイ河にかける橋を訪れて-斉藤氏』http://www.333.ecnet.jp/kwaisaito.pdf

アガペ・恵子ホームズさんhttp://www.agape-reconciliation.org/agape.htm

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夜明けの歌・黒船に乗っていた仙太郎と幕末維新の志士たち

2011-04-04 14:18:30 | 歴史

近代日本始まって以来の大震災の中で、維新の原点に立ち返って新たな道を模索する時がきました。今、米国海兵隊員が日本の自衛隊と共に、救援のために懸命に働いている姿を見て、160年前

海兵隊員の水兵として、ペリーの黒船に同船していた唯一の日本人、仙太郎のことが浮かんできます。

香山栄左衛門の説得を振り切って、再び米国に帰った仙太郎は、世話人ゴーブルの故郷ニューヨーク州ハミルトンバプテスト教会でバプテスマを受けることになります。

宣教師になったゴーブル夫妻と共に、神奈川(横浜)に上陸したのは1860年でした。

その一年前、オランダ改革派のフルベッキ宣教師は長崎に、そしてブラウン宣教師とシモンズ医師は神奈川に到着しました。

フルベッキが志士たちと近代日本の形成にいかに大きな影響をあたえたか、近年明らかになりつつあります。

岩倉使節団の構想もフルベッキ博士によるものでした。そしてこの使節団に同行した唯一の米国人宣教師がゴーブルでした。彼は甲板で岩倉具視と会談した時のことを忘れることがなかったようです。土佐藩の雇われ教師にもなったことがありましたので、藩主の山内、岩崎弥太郎や後藤象二郎とも個人的に出会っております。

しかし、フルベッキ師とゴーブル師が直接協力したという記録はありません。

そういう意味では志士たちと仙太郎が、特別な関わりをもったとは言えないでしょう。同じ栄力丸の漂流民であったジョセフ・ヒコの方が坂本龍馬と交流し、米国の情報を話したのではないかと言われています。

 しかし、フルベッキが、オランダでの少菁年期にモラヴィアンの感化を強く受けたことを思う時に、バプテストとしてのゴーブルや仙太郎と、深いところでリンクされていることが分かります。

モラヴィアンもバプテストも、再浸礼派(アナ・バプテスト)の刻印を帯びているからです。

ドイツとスイスにルーツをもつアナバプテストは、信仰によるバプテスマを主張し、結果として再浸礼を主張しましたが、農民戦争の先導者という誤解による嫌疑をかけられたたために、カトリックと改革者たち両者の激しい弾圧と迫害にさらされました。

その一人が、やがてチューリッヒを追放され1520年代モラヴィアに逃亡したバルタザン・フープマイヤーです。

モラヴィアはボエミア(チェコ東部)にあたり、ヨハン・フス(1369-1415)の出身地です。

フスは、英国留学中、宗教改革の先駆者と言われ聖書を英訳したジョン・ウィクリフ(1320-1384)

の教えを継承しました。徹底的改革派(ラディカル)とも言われた再洗礼主義はこの地に受け入れられました。

敬虔派とも呼ばれた彼らの強調は、聖書の研究討論、日常生活への応用そして聖霊の働きでした。

やがてフォン・ツィンツェンドルフ(1700-1760)によるモラヴィアン派教会の設立に至ります。

彼らの影響は、キルケゴールやウェスレイに、そして日本近代化に多大な貢献を果たしたフルベッキ博士に及びました。

フルベッキの感化を受けた幕末維新のリーダー達、そして先駆者たちのしもべとした仕えた仙太郎、

両者は近代日本の表側と隠れた部分を担いましたが、その清冽な生涯において相通づるものがあります。

瓦礫と挫折からの日本の新たな再建は、このような精神的霊的土台のもとに始められされるということを思います。

(参考資料)

「再洗礼派-宗教改革のラディカリストたちー」出村彰著(日本基督教団出版局)

「基督教全史」E・E・ケァンズ著(聖書図書刊行会)

「日本のジョナサン・ゴーブル」カルヴィン・パーカー

 

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