http://www.ccel.org/ccel/nee/normal.toc.html
The Normal Christian Life by Watchman Nee
ウォッチマン・ニーの「キリスト者の標準」(いのちのことば社)は現在絶版で
古書価格では48,000円となっていました。
しかし英文では無料で、本文と多くの関連記事を読めます。
現在中国には地下教会を含む一億人以上のクリスチャンがおりますが
多くがウォッチマン・ニ―の影響を受けているとも言われます。
著作を読むと霊的深さに驚かされます。
日本語訳の一部を紹介します。
「私たちが赦されるために、神の子は私たちの身代わりとして十字架で死なれ、そして私たちが罪の力から解放されるために、私たちに代わっていきておられるのです。このように二面の身代わり、すなわちわたしたちの赦しを獲得するための十字架にかかられた身代わり、および私たちの勝利を獲得する内住の身代わりが存在するのです。」(2頁)
「神との交わりを保つためは、私たちは最も新しい感覚で(主の)血の価値を知らなければなりません。神は毎日、毎時、毎分、そのたびごとに、私たちが血によって罪を清算されることを要求されます。この事実をしっかり把握していれば、決して血は神の近づく土台としての効力を失いません。至聖所に入る時、血以外の根拠がありうるでしょうか」(13頁)
「神の子らの悩みや心配事は、もし彼らの目が、彼らの心の内にかくされている宝の偉大さに向かって開かれるなら、すべて消え去ってしまうでしょう。あなたは、あなたが直面し得るあらゆる環境の要求を満たす十分な資源があなたの心の中にあることを知っているでしょうか。あなたは、心の中に、あなたが住んでいる都市をも動かすに十分な力のあることを知っているでしょうか。あなたは宇宙をゆするに足る力のあることを、知っているでしょうか。もう一度、心の底からの敬虔をもって、言わせていただきたいのです。神の御霊によって生まれたあなたは、心の中に神を宿しているのです。」(153頁)
「旧約時代には神は石で造られた宮に住まわれましたが、現在では、生きたキリスト者によって構成された宮に住まわれるのです。神が私たちの心(霊)をご自身の宿られる場所とされたことを真に知る時に、深い敬虔の念が、私たちの生涯ににじみでるでしょう。自分は神の宮であり、神の御霊が自分の内に宿っておられるということを知る時に、すべての軽率さ、くだらない言動、および自己を楽しませる態度などが消えてなくなるでしょう。行く先行く先に、あなたは神の御霊を一緒にお運びしているということがほんとうにおわかりでしょうか。あなたは聖書とか神のよき教えとか持ち運ぶのでなく、神御自身を運んでいるのです。」(155頁)
「あるキリスト者は勝利の生活を営んでいるのに、あるキリスト者は絶えず敗北の生活を送っているのはなぜでしょうか。その違いは、聖霊が臨在されるか否かにかかっているのでなく、(なぜなら、聖霊はすべての神の子らの心に住んでおられるから)ある者は聖霊の内住を認めるけれども、ある者は認めないというということにあるのです。聖霊の内住の事実に関して真の啓示が与えられたなら、いかなるキリスト者の生活も改革されるでしょう。」(155頁)
「御霊にあって生きるとは、自分自身ではなし得ないことを、私の内において御霊がなして下さるために、御霊により頼むことです。」(194頁)
「主に罪のゆるしを求め、かつ自分の内に来て下さることを求めた時に、彼の心は生きた神の住居となることを、絶えず私たちは新しい信徒に対して明確にするように努力します。神の聖霊は今や彼の内にあって、彼が聖書においてキリストを発見するために聖書を開き、祈りを導き、彼の生活を支配し、彼の内に主の性質を再現させれるのです。」(222頁)
「私たちの内に実在する神のいのち(ゾーエー)のゆえに、主は讃美すべきかな。しかし、なぜその主のいのちの表われが、あまりにも少ししかないのでしょうか。なぜそれは、自分の内にだけ留まっていて、溢れ出て他の者にいのちを与えないのでしょうか。なぜそれは、私たち自身の生活においてさえ表われることが少ないのでしょうか。なぜいのちがあるのに、そのいのちの印が非常に薄いのでしょうか。それは、わたしたちの内にある魂(プシュケ)が、そのいのちを包み、かつ閉じ込めてしまうために(ちょうどもみが麦の粒を包むように)いのちは出口を見出すことができないからです。私たちは魂によって、生きており自分自身の生来の力によって働き、かつ奉仕しています。私たちは神から力を引き出していません。いのちが溢れ出る道に立って妨害しているのは、魂なのです。その魂を失ってください。そうしてこそ満たしがあるのです。」(294頁)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-494.html
小島氏と藤原氏によるフルベッキ師についての対談が
紹介されているサイトです。
アーネスト・サトウについても言及されています。
尚、幕末長崎のC・M・ウィリアムズ(立教大学創立者)
はアメリカ・ヴァージニア出身の聖公会の宣教師で
1860(安政6)年6月長崎に到着しました。
改革派のフルベッキは同年11月7日長崎入りしました。
教派は違っても30歳のウィリアムズと29歳のフルベッキは
深い友情で結ばれ、フルベッキは長崎生まれの男子に
ウィリアムズの名をとってチャニング・M・フルベッキと名づけました。
(「長崎聖公会略史」長崎三一教会・50ページ)
細川藩士で横井小楠派に属した荘村助右衛門(後に省三と改名)
は慶応2(1866)年2月、表門と裏門に見張りをおき、外人ひとりを
立会人としてウィリアムズから洗礼を受けました。
1861(文久元年)長崎で「連邦史略」(合衆国史)を読んだ前島密は
ウィリアムズを訪ねて教えを願いました。
ウィリアムズは答えました。「そもそも通信は国家にとって、人体における
血液のようなものです。・・・・政治経済を始め百般の事物に関し、血液たる
通信がとどこうりなく全国にゆきわたるため、アメリカも今日のように活発
な大国になったのです。」
これを契機に前島は明治政府のもとで郵便事業を創設しました。
また元東京市長の後藤新平は荘村助右衛門(後に省三と改名)に仕えていましたが
その時西郷隆盛に会ったことが記されています。
荘村と西郷は親交があったことが知られます。
聖公会は別名イギリス国教会(アングリカンチャーチ)で沖縄最初の宣教師
ベッテルハイムもその宣教師です。日野原重明氏が理事長をされている
聖ルカ国際病院も同系列です。
英国皇室も所属しております。
「仙太郎―ペリー艦隊・黒船に乗っていた日本人サム・パッチ」(初版第一刷)正誤表
正誤表
- 謝辞・8行目 (誤)宮地康信→ (正)宮地慶信
- 1ページ・4行目(誤)1929年 → (正)1829年
- 80ページ・2行目(誤)マコーリー→ (正)マッコーリー
- 245ページ・14行目(誤)「静岡語学所」→(正)「静岡学問所」
- 245ページ・写真説明(誤)マー・ヒル→ (正)マース・ヒル
- 索引・11ページ・右側下から2行目(誤)マコーリー→(正)マッコーリー
科学としての神学の基礎 http://www.amazon.com/Ground-Grammar-Theology-Consonance-Between/dp/0567043312 現代英国神学書の紹介 『科学としての神学の基礎』The Ground and Grammer of Theology by Thomas Forsyth Torrance Published by University of Virginia in 1980 著者は1913年中国成都生まれ.父は宣教師。 エディンバラ、オクスフォード、バーゼルの大学でカール・バルトのもとで神学を学ぶ。 日本語訳された著書「カルヴィンの人間論」(泉田栄訳)「バルト初期神学の展開」(吉田信夫訳) 「空間・時間・復活」(小坂宣雄訳) (紹介の動機・序言) 和解の旅で向島を202年3月に訪問された元英国軍捕虜カーター氏からの手紙で、この地で召された仲間のためモニュメントを建てた日本人に対しての謝意とともに、広島長崎を破壊した原爆投下に謝罪したいとのことばを頂いた。 原爆については、投下後米国内のキリスト教関係者も抗議したがトルーマン大統領は、「日本は予告なしにパールハーバーで我々を攻撃した。米人捕虜を殴打し、餓死させ、処刑した。日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を使用せざるを得なかった。」と答えたと言う。(「京浜地区の捕虜収容所・中間報告:笹本妙子著3ページ」) 因島収容所捕虜であった英国人元捕虜ジョン・フレッチャ-・クック氏が「天皇のお客さん」-書かれざる戦史-日本捕虜収容所<江藤訳・徳間書店>のなかで以下のように述べている。「自己の体験に照らしてみても、前記の諸事件に照らしてみても、もし原爆が広島と長崎に投下されなかったら、おそらく捕虜は、誰一人として生きて日本から帰れなかったであろう。私はこれを二つの理由から言いたい。まず、この脅威的な原爆の投下が、日本人の心を覚醒させたこと、またとくにわれわれ捕虜の監視兵の心に、つねづね漠然と感じられていた不安がはっきりしたことである。…さらに重大な事がある。原爆の投下と、それがなお続くのではないかという恐怖、これこそ日本人をして降状条件を受け入れしむるに至った決定的要因であったのだ。長崎に第二弾の投下される前に、日本人がもはや広島の再現に耐えられぬことを、何故天皇は自ら口にしなかったのか?国土を荒廃させた爆弾であったが、爆弾は連合軍をして、日本への上陸を無抵抗裡にさせる結果となった。今仮に、連合軍が上陸にあたって抵抗を受け、戦闘を強いられたとしよう。日本人がわれわれ捕虜を“絶滅する”ことは論をまたない。ほかでもなく、神聖なる日本国土を汚す外敵を迎え撃つには、捕虜を養い、監視する暇などありえなかったからである。二個の原爆がその数万の犠牲者にもまして、より多くの人命を救った事はもはや疑う余地のない事実である。それは数万の捕虜の命はもちろん、数十万の連合軍将兵の命、おそらく数百万に及んだと思われる日本人の命を救ったのだーつまり、天皇とその内閣が戦争の続行を決定したなら間違いなく日本人全員、文字通り最後の一兵まで戦ったはずである。…」 カーター氏の和解と謝罪のおことばとクック氏の偽りのない心情と、この両面を日本人として私は謙虚に受け入れなければならない。 その意味では被爆者達、アジア諸国の2千万人とも言われる侵略戦争による犠牲者、また戦地でその多くは餓死したといわれる2百万人の日本軍戦死者、そして虐待と飢餓のなかで死んでいった連合軍の捕虜達の血の上に、今日の新しい日本の民主主義と平和とがもたらされたともいえるのだ。 2002年、日英同盟百周年のこの年、モニュメント建設の協力に関わることになって、太平洋戦争とはなんだったのか改めて考えさせられた。 また、瀬戸内海宣教が約100年前「福音丸」とビッケル船長によって開始されて今日に至っているのだが、この伝道船はスコットランド・グラスゴーのアラン夫人の献金によって建造されたのであった。 人間の過ちと神の摂理の中で、歴史は終末と主の再臨に向かって動いているのだろう。 (アウトライン)
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