(三)十八章166ページ
「さてアダムス艦長は浦賀奉行に一つの手紙を渡した。この手紙は、艦隊所属の一日本人で、水兵たちの間にサム・パッチSam Patchというあだなであまねく知られた者が、彼の友人たち宛てて書いたものであった。サムは乗組員の一人で、日本の沿岸から嵐に吹き流された一日本船内十六名のなかの一人であった。
一艘のアメリカ商船がたまたま同船に遭遇して日本人を乗り移させ、彼らをサンフランシスコに連れてきて同地で彼らを一巡羅船に移したのである。巡羅船に留まること十二か月、合衆国単橋帆船セント・メリー号に収容されて支那に到り、同地でサスケハンナ号に移された。その汽船が日本に赴くペルリ提督の艦隊に加わった時サム・パッチを除く他の日本人全部は、もし帰国したら命がなくなりはしないかと恐れて、支那に留まる方を選んだのであった。
サム・パッチは船に留まり、乗組員の一人として規則正しく船勤めをしていたのであって、第一回の日本訪問の際にも艦隊と行をともにしたのである。手紙を栄左衛門に差し出すとき、指図通りにそれを友人に渡してくれと要求し、彼もそれを約束したが、彼は同胞の一人が乗組員中に居るという事実にいたく驚いたらしく、会ってみたいと熱心に語った。そこで栄左衛門に対し、二三日中に要求に添うようにすると約束した。・・・・・
(170ページ)約束によって、サム・パッチが連れだされて、日本役人の面前に出された。彼はこの高官たちを見るか見ないうちに、明らかに全く恐縮して直ちに平伏した。サムは祖国に到着すると生命が危険に曝されるだろうと述べるので航海中仲間の水夫たちからしばしば笑われ、からかわれていた。そしてこの哀れな奴は、多分最後の時が来たのだと思ったに違いない。
アダムス艦長は、極めて哀れ千万な恐怖を抱きつつ、四肢を震わせながら跪いている彼サムに膝を上げるようにと命じた。サムに対し自分がアメリカの軍艦にいるのであり、乗組員の一人として全く安全であって、恐怖すべきことは何もないことを思いだささせたかったが、祖国の人の面前にいる間は気を取り直せることができないと判ったので、間もなく立ち去らせた。」
(四)二十四章185ページ
「提督はそれらの犬を合衆国まで持ち帰ることに成功して、今ではワシントンで繁殖している。提督は自分で二匹を手に入れたが、そのうち一匹だけが合衆国に到着した。
提督が出発する二三日前、森山栄之助は他の役人数人を伴ってパウアタン号に来り、すでに述べた日本人『サム・パッチ』の日本に残ることを許されたいと乞うた。
提督は彼らに対して、本人が望むならば残留することには何ら反対しない旨を告げたが、それはサム自身の自由意思によらねばならないこと及び委員は同人が日本にいなかかった兼で決して処刑することはないという誓約書を与えねばならぬと言い聞かせた。そればかりではなくサムは遭難者であって、神意によってアメリカ人の保護に頼り、また自ら進んで一アメリカ船上の人となったのであるから、アメリカ市民としてあらゆる保護と保証とを受ける資格があった。それゆえに提督は、強制手段に訴えて同人を日本に残留せしめることに承認を与えることができなかったのである。日本の役人たちは、同人を日本に留めて何らかの傷害を加えるのではないかとの考えを一笑に附し、決して同人を苦しめることをせずに非常に会いたがっている友人たちの所へ直ちに許せという御要求に対する保証をば委員たちは喜んで与えるだろうと語った。
さてサムが呼び出されたけれども日本人たちのあらゆる饒舌と説服をもってしても彼を船から去らせることができなかった。事実サムは艦隊の日本滞在の全期間中、自分の位置の独立と安全とを充分に諒解した様子が全然なかった。長い間の習慣によって、日本において自分より身分の上の者に戦き屈する卑屈さがひどく身にしみていて、役人たちとの会見も彼に哀れな恐怖以外の感情を起こさせなかったのは甚だ明らかなことであった。
サムは祖国の風習通り役人たちの前にひれ伏した。そしてもしベント大尉が、アメリカの艦上、合衆国国旗の下では、人間の形を有するいかなるものにたいしてもかかる屈従を示さすべきではないと決心して、すぐに立ち上がれ、と断固として彼に命じなかったならば、彼は右のような姿のままでいたことだろう。
サムは乗組員の一人たる地位にあって、その善良な性質のゆえに仲間の水兵全部から好意を、もたれていた。全部の者がその不幸を哀れんだし、また陸戦隊員の一人でゴーブルという信仰厚き者はサムに特別興味を抱き、彼が柔順で悧巧であるから然るべき宗教的訓練を施せばきっと良い実をむすぶということを発見したので、ゴーブルは彼に教え始めた。ゴーブルはこうしてこの日本人を相当な英語学者とするばかりでなく、忠実なキリスト教信者にしようと期待したのであった。サムはミシシッピ号に乗り、優しい仲間の水夫たちと献身的な教師に伴われて合衆国にすなわちゴーブルの財産が置かれてあるニューヨークの奥のゴーブルの家へ帰ったのである。最近の報告によると二人は一緒に同地に生活しているという。またサムは忠実なアメリカの友人からうけた教育のお陰で、今日日本帝国と我が国との関係が発展した際日本に帰還する暁には、彼自身の国により高くより立派な文明を紹介することを助ける手段となるだろうと期待するのも不当なことではない。特に仁愛を施したるアメリカのキリスト教徒たる陸軍隊員に栄光あれ!
読者はカリフォルニアの沿岸で拾い上げられて、彼らの祖国に連れ戻すために上海に連れてこられた日本人のうちでサム・パッチ(仙太郎)は我が日本遠征隊と行を共にした唯一の者だったことを思い出すだろう。他の者は全部恐れを抱き、サムもまた恐れ戦きながら行を共にしたのであった。」