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2019.09.04 温泉での危機一髪、そして思ったこと。

(8月26日)の続き

神戸の温泉に行った日のこと。

露天風呂の場所には、幾つもの大中小のお風呂があった。
大きな岩風呂があり、その一郭にゆっくりと斜めに身体を横たえる場所が2つ並んで
いて、目の下に、まやさんの頭があって彼女はそこでゆっくりお湯に浸かっていた。

上からお湯を透して見るとかまぼこ板の様に斜に切り出されている岩の上に、彼女は
身体を横たえているのだと思った。
彼女の横にもう1つ席があったので、私も隣に寝そべろうと思って、水の中に足を
踏み入れた。そこから、身体を斜めに滑り込ませようと思っていた。

ところが、水の中は私の大きな錯覚だった。石の席は斜めではなかった。
実際は、座り姿勢の形で岩に背中を当てる様になっていて、岩は切り立っていた。

しかし、そこへ足を踏み入れてしまった私は、何もない水の上に乗った形となり、
浮力で勢い余って身体は傾き、横に付いている手すりを越えて、大きな岩で作られて
いる風呂の縁のゴツゴツした岩と手すりの間に頭から落下した。
岩壁との間が少し空いていたことと、ここに水があったことで命が助かった。

仰天した同行の仲間は、私の無事を知って安堵し、私のことを「◯◯さんは、いつも
護られてるね。あの阪神大震災の時も日本に居なかったもんね。」と言っていた。

確かに、もし、岩と手すりの間に隙間が無かったら?  もし、そこに水が無かったら?
それを思うと、ぞっとした。人生何が起こるか分からない。危機一髪だった。
もしこの岩盤にぶち当たっていたら、頭部が大怪我となり、どうなったか分からない。
万一命が助かったとしても、長期入院は必至で自分の名前も分からないかも知れなかった。

一番いけないのは、お風呂に入る為の入り口から入らずに、縁から直接入ろうとしたこと
だった。
 



<良かったこと>

この事件で良かったことは、心配した仲間に、「もう、怖くてお風呂に誘われへんわ。」
と言われたこと。
もちろん冗談だが、私にとっては、この方が都合が良い。
私は自宅のお風呂が好きで、大浴場は苦手だから。
お風呂はパスして、その後の夕食だけは行っても良いし。^^

<悲しかったこと>

この出来事の翌朝のこと。起きた時、左腕に激痛を感じた。
多分、水に落ちる時、無意識に何処かの岩を掴んだものと思われる。 当然そうだろう。

しかし、次の瞬間、急に寂しさが襲って来た。
何故かな?と一瞬思った。
この悲しさは何か、すぐに分かった。
のばらさんが生きていたら、朝一番に「オーちゃん、大丈夫?」と電話をくれた筈だった。
それどころか、当日の帰宅後にも、必ず「大丈夫?どこも、何ともなかった? 」と電話を
くれただろう。

のばらさんは、私が新しい世界へ挑戦して夜も寝なかった最初の10年間(神戸)、そして、
今の住居へ転居して新しい仕事に全力投球して朝迄眠らなかった10年間(西宮)、いつも
朝11時頃に電話をくれた。「オハヨー!オーちゃん、起きてる?」優しい綺麗な声だった。 

その後、私の仕事が一段落して徹夜時代が終わってからは、メールになった。
決まり文句は、「今日は午後空いてるよ。そっちは?」だった。
2人は、どこかで合流して、彼女の車で出掛けたり、街中で会ったりした。
互いに、何もコンタクトを取らない日は無かった。
私が電話すると、ご主人はスマホにしろ、固定電話にしろ、黙って受話器をトイレや、風呂場
に持って行ってくれた。 彼女が「今お風呂よ。」「今トイレよ。」と言うので分かった。
個室での音声は響きが違った。親切なご主人で、私はいつも感謝していた。 

私の寂しさは、これだったのだ。
あの日、私が帰宅後、急変して大変なことになっていたとしても、誰にも分からない。
2〜3日後に発見されるケースもよくある。
これを覚悟しなければならない。一人で生きて行くと言うことはこういうことだ。

のばらさんを失った私は、今更の様に深くこれを自覚した。
私は何ものにも代え難いものを失ったのだ。 これは充分知っていた。
でも、それを改めて身に沁みて感じた瞬間だった。 

そして、思わず「身辺の整理を急がなくては!」と実感した。 
私は、物持ちが良くて、仕事関係の書類もほとんど保管していて、部屋が満杯である。
これではいけないと強く思った。 

有難いことに、右腕の激痛は午前中に治った。
私は護られていると思った。

 

 

 

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