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2009.05.22 感謝の仲間(その6)<完>

<感謝の仲間(その6)>

本当に、私は、家族を亡くした人の気持ちを逆撫でするようなことを
してしまいました。
自分のことばかり、考えていたと思います。
反省しなければなりません。

いち早く撤去され更地になり、遠方へ避難したお宅では、亡くなった
方の冥福を祈りながらの避難生活で、特別の哀しみの日々だったこと
と思います。
現在奮闘中の私達は、自分達の苦労にかまけて、察することが出来な
かったのです。

どうしたらいいか聞きますと、母屋の跡地から、更に瓦礫を動かし、
同じ敷地内の東側へ移動する様に、指示がありました。
東側の収益物件は、撤去の日を待って、壊れたままで建っていました。
その前へ、瓦礫全部を移動させる様にとのことでした。

でも、前にも書きました様に、その時は、この一画の解体撤去はすべ
て終り、後はその物件の撤去を残すのみになっていましたので、もう
撤去されるのはまさに時間の問題です。長く掛かる訳ではありません。

少しの間、目をつぶって貰えないものかと思いましたが、無理でした。
結局、私の窮状は理解して貰えず怒りは収まらない様でした。  

私は、窮地に立たされました。
もう一度、ボランアティアの大学生に頼むしかないと思いました。


そこへ、救いが入ったのです。
北隣の収益物件経営の男性が、地震の跡地にはもう収益物件を建てず、
ガレージ経営に変更するとのことで土の入れ替えを行うと言うのです。

そこで使うユンボ(ショベルカー)を依頼しているので、それで瓦礫
を移動させたら良いと、言ってくれました。

お陰で、機械の助けにより、瓦礫は東側へ移動できました。


そして、更にもう一つ、同じく北隣から、有難い申し出がありました。
それは、ガレージ用のジャリを搬入した後のトラックが空で帰ること
になるので、それを利用して我が家の瓦礫を乗せて帰れば、運搬費を
折半できるので、自分も好都合だと言ってくれたのです。

又しても、救われました。
斯くして、北隣に砂利を運んだ後のトラックは、帰路、南隣から我が家
の瓦礫を乗せて搬送しました。
こうして私は、最後の最後になって、始めて解体業者の恩情に縋ること
なく、自力で(自費で)瓦礫を撤去出来たのです。

これらの費用は驚く程格安でした。
日本中から集まった解体業者は、いずれも、神戸の震災の余りの惨状に
心から同情してくれて、私達にあくまでも優しく、出来ないこと迄、目
をつぶって協力してくれたのと同じ様に、この業者も、何とかしようと
の思いから、報酬も最低限しか受け取らなかったものと思われます。
私達被災者は、身に沁みる思いで、それらの親切を受けたのです。


そして、私は感心しました。
それは、北隣の男性が、よく個人で、その様な交渉を運送業者と出来た
ことでした。
何故なら、解体業者や運送業者は、震災後、全国津々浦々から数知れず
集まっていましたが、この状況下にはすべて市の傘下にあり、その指示
で動いていたのです。
もちろん、我々は交渉権を持ちませんので、自力での復興は絶望的だっ
たのです。
北隣では、弟さんが建築関係だったので、その縁故だったと思われます。
本当に、助けられました。

ようやく瓦礫の撤去はすべて終り、解決しました。
それらの日々も、司令官と友人達が、いつも、そばにいて支えてくれま
した。
時は、すでに、6月になっていました。

瓦礫が除けられた隣家の母屋跡を、娘さんが水で浄めていました。
私は、その後1年経って神戸に戻りましたが、隣家は2~3年して戻って
来ました。
始めは、まだ怒りを解いて貰えませんでしたが、その後、ふとしたこと
から、許して貰えました。
私はネコが苦手ですが、たまたま我が家の門に居たネコを、隣のネコと
は知らず話し掛けて、それがきっかけだったと思います。


             <感謝の仲間(その7)へ続く>
           (…つもりでしたが、今回は、これで終了とします。)



ここまでは、家の復興に掛かる前の出来事で、ここから始めて、私が家の
本当の復興作業が開始する訳ですが、もう、これ以上、私には書けません。
始めは、神戸の家の復興までを、つまり、1年半後に「神戸での再出発」が
出来た感動の日までを書くつもりでした。

つまり、この後の、仲間達の、それこそ信じられない献身的な協力をこそ、
書いて残したいと思ったのですが、それらの暖かいものに包まれていたから
こそ乗り越えられた、余りにも過酷な状況と、信じられない無理解な世界、
大阪の郊外に1年半避難生活をしながら、神戸ではなく大阪と言う震災とは
無関係の地域に勤務していた為の例え様の無い無理解、不安、孤独、絶望!
それらを抜きにすれば、この仲間の信じられない献身の話は、横糸のない
織物となります。つまり、意味をなしません。

しかも、それらを書くことは私には堪え難く、身を切り刻むことになります。
思っただけで、息が浅くなります。(ハアハアと言う呼吸になります。)
友人達も、言ってくれました。
「もう、この辺で、充分よ。」と…。

そう言う訳で、このお話は、今回で終了とさせて頂きます。





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