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2009.05.20 感謝の仲間(その5)

 <感謝の仲間(その5)>

お隣の家は、地震で全壊し、その時倒壊した母屋で、ご主人が亡く
なりました。
そのお宅は、一部我が家の塀の上に乗り上げ、そして西側の玄関部
分は、道の上に倒壊しました。
それが道を塞いでいて、通れないので、この家を一番先に撤去する
ことが決まり、そして、そのお宅は、撤去し更地になった後、すぐ、
遠くへ避難されました。

しかし、その敷地には、もう1棟、収益物件が建っていたのです。
その収益物件は、近隣一画(12軒)の中での、最終の撤去と決まっ
ていて、もうその時は、家を解体せず修理する我が家1軒のみを残し、
廻りはすべて撤去されていて、この収益物件の撤去作業を残すのみ
となっていました。

司令官は、業者と掛け合って、その最終撤去時の瓦礫と共に、我が
家の瓦礫を搬出してくれることを応諾して貰っていたのです。
その為、我が家の瓦礫を、隣家に運び込む必要があったのです。
もちろん、そのことは隣家の避難先へ電話を入れて、了承して貰っ
ていたのです。

お陰で、私は、我が家の瓦礫搬出の、最後のチャンスを辛うじて
掴んだのでした。
これに、間に合わなかったら、我が家の瓦礫は取り残されるので、
私達は必死だったのです。


ところが、その後、たまたまやって来た、その家の娘さんから、
怒りの苦情があったのです。
理由は、こうでした。
ここは、父親の亡くなった神聖な場所である。
ここへ、瓦礫を置くことは承知できない。
しかも、土まで運んで来ている。土迄とは承諾していない。

この一画は、同じ時期に建った分譲住宅でしたので、我が家と隣家
とは、元々の工法は同じでしたが、隣家は、その後、一階の上に継
ぎ足して、二階建てにしたので、その時点で屋根の構造は変わり、
新建材になっていたことから、倒壊しても、屋根から土などは落ち
なかった為、我が家から、瓦礫が土ごと運ばれたことが理解出来な
かったものと思われます。
事実、我が家の様に、築40年の木造住宅を、大きな改修も行わず、
そのまま使っていたのは、我が家ともう1軒だけでした。

大量の屋根土の中におびただしい木片と、瓦のかけらが混じってい
るのが、その時点での我が家の瓦礫の状態でした。
と言うのは、これが震災後何ヶ月も掛け、懸命な支援者達の尽力で、
大きな瓦を取り除けるだけ取り除き搬出した後の状態だったのです。
この土の中の瓦礫は、汗と努力の結果でした。
ここから土だけ除けることは不可能です。


            <感謝の仲間(その6)へ続く)>


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