友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「司法」「立法」「行政」の根本からの見直しの時

2010年10月28日 20時38分52秒 | Weblog
 民主党が企業・団体からの献金を受け入れるという。国民が政治に何を求めていたのか、民主党はわかっていない。政権交代を実現したら、やっぱりお金が必要だった。予算は減らせないから消費税の増税も頭において議論するとか、政権を維持するためにはお金がいる(?)ので、企業・団体からの献金は受け入れる。事業仕分けをするが、なくす金額が重要ではない。何だか言っていることが私の期待とは逆さまだ。

 戦後は右肩上がりの経済に支えられ、行政もどんどん膨らみ、政治家と官僚が甘い汁を吸い続けてきた。また、一部の国民にも甘い汁はばら撒かれ、相互に依存しながら自民党政権が維持されてきたが、政治と金が問題になってきた。そこで小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言って出てきた。それはわずかに自民党政権が生き延びるために時間稼ぎだった。こうして、やっと経験交代が実現されたけれど、いまや民主党はますます自民党化しつつある。

 事業仕分けも大事であるし、予算の見直しも大切だと思う。けれども本当に改革をするならば、政治の仕組みそのものを変えることだろう。民主主義の3本の柱と教わった「司法」「立法」「行政」のあるべき姿について、根本から見直すことが必要だろう。検察が証拠を操作できれば誰でも犯人に仕立てられる。裁判員制度で市民参加の司法もよいが、「司法」の仕組みにもメスを入れる時だろう。

 国会はなぜ2院制なのか、議員の役割や数、議論や決定の仕方、これまで慣習でやってきたけれどああいう国会でよかったのか。「立法」のあり方は根本から見直すべきだ。「行政」は古代から延々と続いてきた。みんながみんな行政に参加できないから誰かに委託せざるを得なかったけれど、つまり国民や市民の代わりに働く人々が生まれたのだけれど、そうなると国民や市民から離れて肥大化してしまう。行政はいつもそんな宿命を背負ってきたけれど、どうあるべきか問い直す時期だろう。

 私の友だちは「65歳を定年とし、議員も社長も首長も首相も一人の例外も認めるべきではない」とか、「高齢者の投票率が100%近くあり、20代の投票率が30%以下は異常な社会だ。全然民主主義になっていない。高齢者の投票を1点とするなら若者には同じ投票で2点を与えるくらいでなければ、若い人たちの政治への関心を高められない」とか、もっと極端な発言は「80歳以上の高齢者からは投票権を無くす方がいい。でなければ、結局現状の利益に甘んじている連中のための政治が続くことになる」と言う。

 この人の論理はいつも極端すぎてなかなか多くの支持が得られないけれど、本質は突いているように思う。選挙でひとり1票が与えられ、すべての人に平等な権利が保障されているように見える。けれど、よく問題になるように1票に格差が生まれている。都会では、120万人で1人の国会議員なのに、田舎では20万票そこそこであるのは不公平だろう。投票率30%で首長があるいは50%で議員が決まるのもおかしいだろう。

 政治なんてものはそんなものだと諦めることはない。理想のかたちを求めて、論議を重ねて言って欲しいものだと思う。

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