minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

藤井郷子オーケストラの巻

2006年01月12日 | 映画、本、芝居関係
 わ~、初ライブが11日だなんて暇なミュージシャンだなあ。しかも昨日のブログで書いた、所謂「フリー」のビッグバンドで新年早々ピットイン。やはり「フリーの人」と言われても仕方ないか。一字違えば「フツーの人」なんだけど・・・。

 藤井郷子オーケストラは泣く子も黙るフリーのバンド。彼女はNYから東京に拠点を移してもう4、5年だろうか。それでも一年に何度もヨーロッパやアメリカツアーをしてCDの数も半端でなく出している。(1年に少なくとも5枚は出しているようだ)。見習うところの多い女性アーティストだ。ピアノも弾くが作曲家といったほうがいいのかな。殆ど自分のオーケストラではピアノを弾かないし。作曲する事の方がきっと好きなんだろう。2歳年上だけど私の事をステージ上で「大先輩です。」なんぞぬかしてケロッとしている。まるで私が年上みたいじゃん、と睨み返す。このあたりの応酬が隣に座っている第2アルトの和泉君に言わせると「一触即発」のようでびびるらしい。女同士の戦いなんてないのよ、私たちは大人なのでご安心を。

 夫婦(旦那さんは田村夏樹tp)で世界中ツアーして回っているなんて羨ましい限りだ。私もこういうのが理想だったんだけどやはり子供が生まれてからはそうもいかなくなってしまった。彼女の書く曲は独特の音階から成り立っていて、初めて音を出したときはなんじゃこりゃ?って正直思ったのだが、だんだん慣れてくるとそれも心地良いサウンドに聴こえてくるのが不思議。不協和音とか変な和音というと、「私にとっては美しい和音なの」って彼女に怒られてしまうのだがこんなサウンドもありかな~?って思うようになった。それもこれも長くやり続けるっていう事が大事なのね。「フリー」といっても彼女の音楽は変拍子があり、♪が飛び交うような難解な譜面も沢山あって、それが嫌だ、と言ってやめていった諸先輩方もいらっしゃる。私は結構譜面読むのが好きだからいいんですけど、ブラバン時代を思い出して。大勢集まって一斉に音を出す心地よさも加わるのできっとコアーなファンがいるんだろう。普通のビッグバンドだと思って来た人はあわてて帰りますが。ま、猛獣が檻のなかで暴れている動物園にでも行くような感覚で聴きにくればいいかも知れない。それにしても人を貶めるようなメンバー紹介のMCだけはなんとかしてね、藤井さん。

 

フリーの人

2006年01月11日 | 家族の日常
 この言葉になぜか私は抵抗感がある。今まで私の事をこう呼ぶ人のいかに多かった事か。デビューが山下洋輔さんのビッグバンドだった事や初めてヨーロッパに呼ばれたときもフリーのトリオだったから仕方ないのかも知れないけど。
 日本の音楽界で「フリー」という言葉は「自由」でもなんでもなく「フリー=でたらめ」というイメージがある。もちろん山下洋輔氏の音楽はでたらめではないし、私もでたらめな演奏なんて一度もしてないのよ、というプライドがこの「フリーの人」という言葉にいちいち、ぴくぴくと反応してしまう。

 本来は良い意味なんだと思う。英語で「クレイジー」という褒め言葉と同じように。それにしても日本のフリージャズのイメージがあまりに狭く、ネガティブな意味がありすぎなのだ。昔、大阪のファンの人が私のグループを呼びたいけれど、ライブハウスで「早坂紗知ってフリーの人でしょう?」と断られたという話を聞いて本当にがっかりした事がある。私の演奏もCDも聴いた事もない人がフリーというイメージだけで音楽を判断する。なんて恐ろしい事だろう。そんな事が沢山あってトラウマになっているようだ。

 フリーと言えば、昔、富樫雅彦(dr)さんの家に若い頃連れて行ってもらった事があった。「君はどんな音楽をやっているの?」その頃フリー音楽の最先端を走っていた富樫さんは私に質問した。「はい、ビーバップとかフュージョンとか・・・」しどろもどろで答えると富樫さんは驚いた顔で「俺たちの時代はビーバップは新しいものだったから一生懸命追いかけたんだよ。でも今更なんでビーバップなの?」私は絶句した。そのときに初めて自分のやりたい音楽ってなんだろう、って考えてなんにも実際は考えてない事に気づいたのだ。富樫さんはこうも付け加えた。「悲しいときにも楽しい曲を演奏する、ってつらいでしょ?悲しいときは悲しいっていう感情をそのまま出す、これがフリーなんだよね。」まだ20代だった私には目からうろこの連続。このときから私はオリジナルを作って演奏するようになった、と言っても過言ではない。富樫さんに心から感謝している。
 それにしても、今「ビーパップ」を新鮮に感じて若いミュージシャン達がそれに向かって精進する姿を多くみかける。それはそれで素晴らしい事なのだろう。時代が逆行しているようだけど、彼らにとっては新しい事なのだろうな。でもそれがどうしたの?と富樫さんと同じ気持ちが正直言ってある。もっともっと自分の引き出しをいっぱい作って、一音一音に命をかけた方がいいのに・・・と自分にも言い聞かせる今日この頃。そういう意味では「フリー」って重要な音楽の要素だな。いつまでもこだわっている私ってバカみないだけど、フリーコンプレックスなのかなあ?Lost and Found!(迷ってみつけよ。)

結核にはご注意を・・・

2006年01月09日 | ライブとミュージシャンたち
 今日がサックスの吹き始め。遊びすぎてしまったな、と反省しつつ楽器を吹いてみる。うう~、なんて新鮮なんだろう。練習嫌いの私が何時間でも吹いていたい衝動にかられるなんて・・・。

 藤井郷子さんのオーケストラのリハーサルで荻窪へ向かった。このスタジオのそばにある酒まんじゅうがとってもおいしいので今日こそは沢山買って帰ろう!っと意気込んで行ったらまだお正月休みだった。残念。とにかく早く着いてしまったので誰もいないスタジオで初練習だ。アルトサックスの音を出したところ、自分の音色にうっとり。(こういうのを最近の小学生の間では<ナルシ!>って言うらしい。)

 このオーケストラに参加していたバリトンの吉田隆一くんが結核で入院して半年近くなる。心配だったので松本君tsに尋ねると、吉田くんは早くて2月頃に退院、でもすぐにはサックスは吹けないようだ、との事。可哀想だなあ。入院するまでは「俺、喘息って医者に言われてるんだよ。ゲホゴホ。」と凄い咳をして,血痰を吐いてようやく大きな病院に行ったらしい。
 怖いね~、私も喘息だと思っているけどいつ隔離されるかも知れないのね、という会話をしているところへ和泉(as)登場。げほげほ。大きなマスク。「和泉君、風邪?」「あ~おかしいんですよ。血の塊も吐いてしまって・・・」「!?」笑い事ではなく、みんなで声をあわせて「早く大きな病院で検査して!」と御願いしました。もちろんリハーサルも私の隣だったけど、今日は特別席を設け、私からはなれたところに座ってもらいました。ごめんね和泉君。でもマツケンが一言「結核菌って20年潜伏期間があるんだって。」「俺、その頃まで生きてるかなあ。」とにかく一日も早い復活を祈ってますよ、吉田君。

 リハーサルが終わり、夕食を食べにおいしそうな餃子専門店に入った。でも家に帰るとレッスンの生徒が来るのでにんにくは食べれない・・・とあれこれ店のお兄さんに餃子のにんにく使用頻度などを質問していると利樹が横から質問を始めた。「この餃子はどのくらいのにんにくが入っているの?」お兄さんは困った顔で「この餃子ならそんなに匂わないと思いますが・・・。」「6畳くらいの密室でも大丈夫?これから、この人は一対一でやらなくてはいけない事があるんでね・・・」
 結局おいしそうなニンニク入り餃子をほおばる利樹をにらみつつ、私はにんにくの入っていない紫蘇餃子とやらを頼みましたけど、よ~く考えてみると、利樹の説明はなんか変。密室で一体何するっていうのよ?

豪雪より愛をこめて

2006年01月08日 | 
 お昼過ぎから降り出した雪がかなりつもり、毎日殆ど新雪でしたが今日はまた格別。「紗知さんは雪女ですね?」って言われてしまった。晴れ女だったのに・・・。それにしても今日(土曜)から3連休というので尾瀬も賑わっておりました。そして仲間がわいわい集まって夜からハーフパイプの下で小さなパーティをやるというので帰りを遅くして参加。
 めったに見られないプロ級のボーダー達が遊びでがんがん滑ってくる。面白くない訳がない。遼介も興奮気味(ただあまりに寒く、火のそばから離れがたかったのは事実ですが・・・)。なんでボーダーってあんなにカッコイイのかなあ。尾瀬の仲間たちはみんなスノボーが大好きで移住してしまったのが理解できる。毎日こんなに楽しくていいのか!いいんだなあ。羨ましい限りです。はい。とにかく景色も美しいのでぼ~っとなってあっという間に帰る時間。後ろ髪ひかれつつも尾瀬とお別れ(涙)。素敵な時間をありがとう。
 家に戻ると山ほど年賀状が待っていた。ごめんなさ~い、徹夜でこれからお返事出しま~す。おそ~く来る年賀状っておまぬけだけど許してくださいね~。東京に戻るとちょっと前までの豪雪の世界が嘘のようだ。現実はきびし~い。

尾瀬再び

2006年01月07日 | 
 小学校の新学期は10日からというので、遊びすぎの感もあるが遼介連れて突然正月は尾瀬に来てしまった。あまりの雪の深さに驚き、遼介は大喜び(まだまだ可愛い小学6年!)。新潟などには及ばないがやはりこの冬の積雪量は半端でないようだ。ぱふぱふの新雪は本当に気持ちいい。

 夜ナイターを滑るというのでけんちゃんに連れていってもらったスキー場で私はあまりの寒さに3本しか滑らずリタイア。指が凍傷になりそうだった。腱鞘炎の指がますますボロボロになりそうなのでやはり寒い季節のスキーはだめだこりゃ。悲しい。歳をとるにつれてだめなものがどんどん増えている。遼介と利樹はスキーでがんばっていた。 

 翌日父と息子はスノーボードに挑戦。私は高原ホテルで温泉などに入ったりしてゆっくりさせて頂く。去年初めてはいたスノーボード用のシューズは遼介と私は同じ足のサイズだったが、今回は父よりも大きいサイズ、26,5だって。まったく1年でどんだけ成長するんだろう。私の身長を超されるのも時間の問題だな(って今、殆ど同じくらいだけど)。スノーボードも進歩するのだろうか。子供の成長の早さに驚くお正月になりました。尾瀬万歳!

初詣はしご酒の巻

2006年01月02日 | 家族の日常
 新年明けましておめでとうございます。今年も一年素敵な年になりますように・・・。この場をかりてご挨拶です。

 昨年末は利樹が酒屋から足を洗ったおかげで自宅の大掃除に大活躍。生まれて初めてゆっくりとした時間ができて本人も私も大喜びでした。私もやったことのなかったところのお掃除までしちゃって、しかもおせち料理(田つくりと煮物程度ですけど)をゆっくり作って夕方から格闘技三昧。魔裟斗ってかっこよすぎ。ああ、今年も無事に過ごせてよかった・・・。

 11時頃から年越しそばの用意をして食べ終わったころ親戚中がわらわらと集まり出し、恒例になっている除夜の鐘をつきに近くのお寺へお参り。甘酒飲みながら、はい、次行くよ~って、今度は御嶽神社へ。今年は去年より寒くなかったのに人が少なかった、何故だろう?義妹は「きっと景気が良くなってもう少し大きな神社に行ったんじゃない?」って本当かな?景気に左右されず、いつも貧乏な音楽家の家庭にはわかりませんが、永田家大集合の記念撮影を通りがかりのお兄さんに御願いしたら「ずいぶん大勢ですね!」って笑ってシャッターきってくれました。こうして家族が健康に毎年集合して初詣に行けるのはあと何年くらいだろう。来年からみーもりょうもあつとも中学生、つきあってくれるかなあ。幸せをかみしめつつ、さてお賽銭今年はいくらあげようか、って迷っていたら義弟が「俺は45円!だって、しじゅうご縁がありますように、ってね。」ふ~ん、そんなもんかな。ポケットに用意した50円を探りつつ、そっちのほうがいいなあと思っていたら、義妹が「あら、あたしは15円、十分ご縁がありますように、ってね。」「うまい!私もそれのった!」と15円を改めて握り直してお参りに・・・ああ、お賽銭くらいケチんなくてもと思いつつ、今年もお金には縁がなさそうな幕開けの話でした。でも今年も沢山楽しい音楽ができますように・・・。どうぞ宜しく!