「今日のお散歩は、ちょっと足腰を鍛えるつもりで…」と「知恩院」の奥へと足を伸ばします。
山腹に位置する知恩院は、御影堂までもかなりの数の階段が。
ミモロが入ったのは、「瓜生石」の前の黒門です。そこからも、正面の三門よりは、ややなだらかながら、長い階段が続きます。
現在、東山の「知恩院」は、中心的な建造物、御影堂の大修理の真っ最中。その大修理は、屋根瓦の全面葺き替えや、傷んだ部分の修繕、さらに耐震補強工事など、8か年計画で進むもの。もちろん、その間も、参拝は可能です。
改修中の御影堂の前から、ミモロはトコトコとお寺の裏手へ。
浄土宗の開祖、法然上人のお像に手を合わせ、そして「知恵の道」へと入ります。
「ここ上ると、知恵が付くのかなぁー」、そういいながら、トコトコと。
フーフーフーミモロの荒い息遣いが聞こえてきます。
「フー、知恵より筋肉が付き添う…もうダメー」。がんばれ、もう少し!
やっと階段を上りきり、「勢至堂」に参拝。ほっと一息ついたミモロは、そこから本堂の横の道へ。
どこ行くの?
「あのね、ここまで来たら、絶対にお参りしたい場所があるの…」というと、墓地の中をさらに奥へ。
お墓が並ぶ奥に、鳥居と社がひっそりと佇んでいます。
「濡髪明神」です。ここは、知恩院を火災から守る濡髪童子をお祀りした社。その名前からか、祇園のきれいどころ女性たちの信仰を集める、縁結びの明神様です。
縁結びと、聞くと、絶対にお参りしたくなるミモロ。深々と頭を下げて、また何やらとお願い事をしているよう。また、お願い事したの?「まぁね…」。この1年、どれだけお願い事をしたのでしょう。
「でも、いろいろな人と知り合いになれているから、どこの神さま、仏様もミモロのお願い叶えてくださっているんだよ」と。確かに1年、病気も怪我もせず、無事に暮らしてこれたのは、ミモロのお願いの賜物かも。
さて、参拝を済ませたミモロは、墓地の中央に聳える一際大きなお墓の前に。
千姫のお墓です。
大河ドラマ「お江」にも登場した千姫。2代将軍、徳川秀忠とお江の間に、慶長2年(1597)に長女として、伏見城内の徳川屋敷で誕生。翌年、数え年で2歳の千姫は、6歳になった、いとこの豊臣秀頼との婚約の儀を。そして慶長8年(1603)7月に7歳になった千姫は、大坂城へ輿入れ。波乱に満ちた生涯の幕が開きます。
秀頼と千姫は、仲睦まじく暮らしますが、大坂「夏の陣」(1615)の大坂城陥落で、叔母で、姑となる淀殿と夫、秀頼が自害するなか、千姫は落城する大坂城から、徳川家の元へと、戻されます。
その後、20歳の時、桑名藩主 本多忠政の嫡男、忠刻に嫁ぎ、1男1女に恵まれます。
しかし・・・長男は3歳で急逝。夫、忠刻も結核で他界。30歳になった千姫は、江戸に戻ることに。
その後の江戸での暮らしが続き、寛文6年(1666)逝去。享年70歳。
墓所は、現在の東京、小石川の「伝通院」と常総市「弘経寺」に。そして分骨にて、ここ「知恩院」に分骨宝塔が。
数奇な運命に翻弄された戦国の女性のひとり、千姫。
「きっと、すごくしっかりとして、それでいて、やさしい女性だったんじゃない?そして、どんな運命にも、自分を見失わないで、そこでベストを尽くした…多くの人に愛されたお姫様だねー」とミモロ。
千姫のお墓にも、手を合わせたミモロは、再び、長い階段を慎重に一段一段下りて行きます。
*「知恩院」の詳しい情報は、ホームページから。
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