michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

合わせどころがハッキリしてない?    〔関わりあい〕

2011-10-30 06:52:16 | Weblog

自分はいろんな仕事してきましたが、

どれも「橋渡し」みたいな感じに見えるんです。

自分の役割は、大きなつながりの中の、ひとつなんだよね、って。

 

たとえば、職場メンバーの洗濯の仕事をしていた時だったら、

  (分業でやってました。)

洗う時には、干す時のことを想い、

 自動洗濯機から取り出した洗濯物を、

 すぐに一枚一枚バラして、シワにならぬよう、充分に さばく。

干すときには、取り込む人が、ムダな動作は一つもない作業になるように

 常に頭において。

取り込む時には、畳む人がやりやすいよう、向きなど考え、揃えて……。

 

 心を寄せて、毎日その細かい打ち合わせや連絡をしあって、

 そういう気風の中で (身体は疲れても)充実感を覚える日々でした。

 「やっぱり聞いてみないと分からないんだねぇ~」なんて気付いたりね。

 

どの仕事に就くようになっても、

あの味わいは私に中に残っていて、ベースにあるようです。

未熟ながら、方向性としては、目指していきたい、って。

          

日常、仕事していて、ときどき

「こういうことは、一声かけてくれたら、こんなにあれこれ考えたり調べたり、

ムダな手間ひまかけることなかったのに…」なんて思うことが。

でもすぐに

「でもまぁ、自分が勘を働かせたら分かったんじゃない?」とか、

「そんでも、大した時間じゃなかったでしょ」なんて思って、

自分の中で納めていくことが多い。

「そのうち気付いてくれるかも――」とか

「みんなは、私よりずっと忙しいんだもんね」とか。 

 

  自分は、言われ弱かったり、

  ミスしたらショック受けて、

  それ以後しばらく緊張してしまうこともあるんです。

  ということもあってか、人には なるべく言わない方にいく傾向、という現状。

 

明らかな間違いについても、

「これは、困る」となったら率直に伝えるけれど、

自分ですぐ処理できることは、それで済ましてしまうことが多いと思う。

 

  なんか、つらつら書き綴ってしまいましたが、

  合わせどころがハッキリしてないみたい、

    ってことがハッキリ見えてきちゃいました。。

 

 

時々メモに、ひとこと書き添えてあったりして、

「michiに、すぐ分かるように」っていう心遣いが感じられて、

その、ほんのひと言が有り難く、

心があったかくなったりしてます。

 

 

 

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