大相撲が、いよいよ
おもしろくなってきたね。
子どもの頃は、ほとんど関心なかったんだけど、
父が、よくTVにクギ付けになり、
「いけ!」 「それっ☆」 「よしよし~」
なんてやってたのが
今だに目に浮かぶんです。
とても無口な父だったけど、
お相撲の時だけは…。
微笑ましく、好きな姿でした。
相撲ってスポーツは
なんか面白いですよね。
土俵に上がった力士が、
その二人の 息がピタリと合った瞬間が
‘開始’となるんですよねぇ。
(こういう表現でいいんでしょうか?)
こういうのって、他のスポーツでもあるんでしょうか・・・?
昔は手拍子なんて無かったように思うんですが、
このごろは時々、
パン・パン・パン…と手拍子が
会場全体に響く。
時には、立会いの瞬間になっても、まだ。。
こういうのって、力士たちには、どうなのかしら?
これだけ、グッと集中していく その時に、
手拍子・・・。
集中していて、気にならないんでしょうか?
観客として盛り上がるのは分かるんだけど、
「制限時間いっぱい」辺りからは、
もう静かに見守って
心の声援に切り換えてはどうなのかしら、
なんて、余計な心配をしてしまいます。
こちらの想いはあっても、
「この人の立場になってみたら、どうなのかな?」と、
ちょっと考えてみる。
――そんなことが、いろんな場面で大切だったりするのかも。
日々、身の周りでいろんなことがある。
好意的に聞いてきてくれたので、
じっくり詳しく説明し、
かなり分かってくれたようで、
ホッとして嬉しくなった、そのときに、
また思いがけない言葉が返ってきたりすると、
(ゼンゼン理解してもらってない…)と
ガッカリ。。
でも、そういうときも、
ちょっと相手の立場に立ってみたら――。
自分の受けとめ方も
少し違った風になってきたりするんですよね。
おもしろくなってきたね。
子どもの頃は、ほとんど関心なかったんだけど、
父が、よくTVにクギ付けになり、
「いけ!」 「それっ☆」 「よしよし~」
なんてやってたのが
今だに目に浮かぶんです。
とても無口な父だったけど、
お相撲の時だけは…。
微笑ましく、好きな姿でした。
相撲ってスポーツは
なんか面白いですよね。
土俵に上がった力士が、
その二人の 息がピタリと合った瞬間が
‘開始’となるんですよねぇ。
(こういう表現でいいんでしょうか?)
こういうのって、他のスポーツでもあるんでしょうか・・・?
昔は手拍子なんて無かったように思うんですが、
このごろは時々、
パン・パン・パン…と手拍子が
会場全体に響く。
時には、立会いの瞬間になっても、まだ。。
こういうのって、力士たちには、どうなのかしら?
これだけ、グッと集中していく その時に、
手拍子・・・。
集中していて、気にならないんでしょうか?
観客として盛り上がるのは分かるんだけど、
「制限時間いっぱい」辺りからは、
もう静かに見守って
心の声援に切り換えてはどうなのかしら、
なんて、余計な心配をしてしまいます。
こちらの想いはあっても、
「この人の立場になってみたら、どうなのかな?」と、
ちょっと考えてみる。
――そんなことが、いろんな場面で大切だったりするのかも。
日々、身の周りでいろんなことがある。
好意的に聞いてきてくれたので、
じっくり詳しく説明し、
かなり分かってくれたようで、
ホッとして嬉しくなった、そのときに、
また思いがけない言葉が返ってきたりすると、
(ゼンゼン理解してもらってない…)と
ガッカリ。。
でも、そういうときも、
ちょっと相手の立場に立ってみたら――。
自分の受けとめ方も
少し違った風になってきたりするんですよね。
笑える話も、笑えなくなったりしますから。
この視点の変え方、大切なことだと思います。
>笑える話も、笑えなくなったり
そうなんですよね。。
TVでも、現実の身近なことでも、
よくあります。
心していきたいです。