michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

それでもやっぱり、人と関わり合って    〔聞こえ〕

2010-01-07 07:57:35 | Weblog
きのうは、整形外科へ。
4回目です。

3回目までは、
ちゃんと難聴を配慮してもらってた。

名前を呼ぶのは、私の目の前に来て、
「michiさんですね?」と。

そして、診療の間、
看護師さんがそばに付いててくださった。

  先生は、話しながらパソコンの画面にカルテを打ち込むので、
  一緒にそれを見ることが出来る。
  それ以外の話などは、
  看護師さんが書いて下さったんです。

ところが、きのうは、そういうのナシ。。


名前を呼ばれても聞こえず、
うっかりしてたら
私は居ないものとして飛ばされるところだった。。


「レントゲン撮ってきてください」
と(たぶん)言われたときも、
私は聞きとれないまま、
看護師さんが、ジェスチャーで「あちらへ」という感じ。。

  「レントゲン」くらい、ゆっくり言ってもらったら
  口の動きで分かるんですよ…。


友だちと話していても、
聞こえたり、聞こえなかったり。

聞きとれなかった部分は、
うやむやなまま、テキトウに流してしまう。。
  (だって、聞き返したら、
   それを聞き取らないといけなくなるもの。)



いったいどういう風にしたら、
コミュニケーションが、まともにとれるようになるのでしょう。。

こういうことで
疲れないでいけるようになりたい。


      


ケガするまで、
私は、なるべく何ごともなく
一人静かに暮らしたかった。

聞こえない、聞こえづらいことで
クタクタになったりなんか、
これ以上重ねたくなかった。

  (そういうことで、自分がつぶれてしまいそうで…。)


人との関わりも大事だけど、
それは、手紙やメールなど、
見える形を主にしてやりたかった。

  時々人と逢ったときは、
  にっこり微笑み合ったり。



それがケガしてから、一変しました。
自分は何ひとつ出来ない。


たとえば
入院中、よく喉が渇いた。
ベッドサイドの机の上には、吸い飲みがあって、お茶が入っている。

元気な時なら、チョイト手を伸ばして取れるんだけど、
身体じゅう痛くて、とても取れない。

それで、看護師さんの姿が見えたら、
取ってくださいと、声を発して、お願いする。


ティッシュも、メモも、何もかもそういう調子。



このひと月、何度「ありがとう」と
謝意を述べたことか(心から、そう思うので)。




聞こえづらくて少々疲れたりしても、

 人と関わり合って生きてゆくことですよ、

と、
やっぱり神サマの教えが
おりてきたんでしょうか。


コメント
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