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michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

「おなら」の話題、2話

2015-09-02 08:42:37 | ふれあい

先日 図書館で『かぐやのかご』という児童書を借りてきました。

表紙に「課題図書」のシールが。これはおもしろいかも。

すぐ読んでみた。

テーマはいくつかあり、

  〇友だちとの関わり方

  〇手仕事(カゴ作り)

  〇村のおばあちゃんの役割

  〇粗相について        etc...

特に、最後の粗相、「おなら」が主なテーマかも。

展開がおもしろく、

一つ一つのテーマについて、考えさせられる。

この本なら 読んだ子ども達の感想は

色々出てくるでしょうね。

  私も二回 読みました。

 

  (サルスベリでしょうかね。木が大きくて2階建ての屋根くらいの高さ。

   もっと近くで撮りたかったナ。)

 

夕べ、なんとなくしんどくて8時ごろベットにごろり。

タイマーかけてたけど結局、目覚めたのは夜中過ぎ。

TVをつけると、タイムスクープハンター『江戸おなら代理人』。

なんという偶然でしょう☆

 

この番組、スジをうんと簡単に言うと、

お見合の席で緊張した娘がおならをしてしまい、

落ち込んで引きこもってしまった。

でも、久しぶりに外に出た時、たまたまその相手の男性と出会い、

「あの時、恥らうあなたの姿が忘れられませんでした」と

愛しく想っていることを告げたのです。

 

私の場合は ここが気に入った。

  世間の常識とか、マナーとか、

  人って、そういうものばかりじゃないんですよね。

 

  生きている限り、様々なことが起きてくる。  

  その、なにかコトがあった時に、どう反応するか、

  そこじゃないでしょうかね。

 

『かぐやの かご』の おばあちゃんの、

とっさにとった行動は、見事でした。

それは普段の生き方が表われてのことでしょう。

 

 

 

 

 

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「情けなかった…」と言っているのに

2015-04-18 10:01:24 | ふれあい

NHK『介護百人一首』は、春・夏・秋・冬に放送がそれぞれ二夜連続であるんだけど、

放送日が分からず、よく見のがしてました。

それでNHKさんに問い合わせたところ、ご丁寧なお返事を戴いた。

放送予定をメールで伝えてくれるシステムです。

それで今回の「春編」はバッチリ視聴できました。 ↓

https://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-04/16.html

 

この中で紹介された作品の一つ、

   何もかも出来ぬわたしに一つだけ吾は味見の師匠でおわす 

                                  (静岡県  松谷 粂子)

 

作者によると、最初下の句が全然ちがうものだったとか。

とても傷ついたことがあり、そのまんま作品にした。

その短歌を見るたびに 自分が情けなくて泣けてきた…。

ふと、ラジオで「自分を褒めると前向きになれる」と聞いて

やってみようと考え直して、この作品が生まれたそう。

ちょっとユーモラスに威張ったような、前向き・肯定的な生き方、

素晴らしい作品になった。

ところが取材者は、「その最初の作品では、どんな言葉だったんですか?」

とご本人に訊いたのです。

私はエッ!?と驚きました。

なんでそんなこと聞き出そうとするの?

自分が情けなくなった、あんなの誰にも見せられない…、と悲しい顔されてるのに。

 

いろんな感覚・考えの方がおられるけど、

それはそれで否定はできないけれど、わたしは

人の心の痛みを、少なくともわかろうとする人でありたいと思ったことでした。

 

 

 

 

 

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Tさん、お礼をお伝えして お別れしたいです

2015-03-25 10:21:18 | ふれあい

 いわゆる障がい者といわれる友人が 何人かいます。

その中でも大切な友、Tさんは盲(進行性)だった。

見えなくても積極的に、何でもやってしまう。

その前向きな生き方には ハッとさせられることが、しばしば。

なにか一役、お役に立てたら嬉しい、という感じのようでした。

でも口数は少なく、はばらない。 なんとなく、ほのぼのとしたお人柄。

 それが1年くらい前でしょうか、手術で視えるようになったと嬉しい知らせが。

本人はもちろん、周りじゅうで歓び合ったことでした。

 そのTさんが永眠されたという。 まだ70代の前半。

せっかく視えるようになったのに……と思った。けど、

長い期間でなくても、視える世界を取り戻せて本当に良かった、

と思いました。

 

             

 

   Tさんへ

 突然の報せを受け、ビックリしました。残念でたまりません。

 あなたに教えてもらったことは、たくさんあり、お礼の気持ちをお伝えして

お別れしたいと思いました。

 

 ○扇子のこと

ある合宿での休憩時間に私が扇子を使っていると、隣りにいたTさん、

「なんか、ゆらゆらしてるなァ」。 私が「扇子であおいでるのよー」と言うと

「あぁ、そうか~♪」。

それでよく分かりました。目が見えないんじゃない。

ゆらゆら視えるんだ――。

そして例えば、自分の左側の方が明るいと、そちらに窓があるらしいと分かる。

人が前に居ると ぼぅっと視えて、人がいるのが分かる。

そういう世界…。

 その頃、私は聴こえづらい状態をうまく言い表せないし、

聴こえない、とにかく聴くのがタイヘン…、という感じでした。

それが、お陰で少しずつ、

それなりに、自分なりにやっていくんだ、となってきました。

 

○お花見のこと

 ある時、4人くらいでお花見に行こう!となった時、

ふと「Tさんは、どうかしら?」と思って声かけてみたら、

即答で「あ、行きます。」って答えてくれましたね。 

見えない人にとってのお花見? どうなるかしら…という心配は全く無用でした。

ウチらおばさん連中がはしゃぐ中に、それなりに溶け込み楽しんでくれたようでしたね。

 まさに 五感で味わって――。

散り始めた花びらを帽子で受けとめ、ワイワイ言いながら味見。

すると、桜の種類で花びらの味が違うことが判明☆

また、そこは大きな公園で桜以外にも様々な種類の樹があって、名前のプレートが。

それで「○○の樹だって」と伝えると、

「あ、触らせてください」と言うので幹に誘導すると、

両手で触って「ああ、うん、これこれ…」というように確かめていましたね。

あのお花見の味わいは、何年経っても忘れられません。

 

○オキザリス~母とのつながり

 私が十数年前にここに移ってきて しばらくした頃、母から手紙が。

私が娘時代に点字ボランティアをしようと勉強していた、その点字の用紙が

たくさん出て来たと。 それで小包で送ってもらった。

そしてTさんに問い合わせると、「下さい」ということで送りました。

それから半年くらい経った頃でしょうか、Tさんからオキザリスの球根が小箱にいっぱい

送られてきたんです。嬉しくて、母にも半分送りました。「あのTさんからよ」って。

とても可憐な花が咲いて、母と「ウチの、咲きましたよ~♪」「あら、こちらはまだ蕾よ」など

faxし合うのも楽しかったです。

そんなことをTさんに出逢ったときに伝えると、満足そうな表情をしてくれましたね。

その後、母のは毎年花をたくさん咲かせ、

今年もきれいに咲きましたと、嬉しそうな報告が。

これからも母を元気づけてくれそうですよ、Tさん。

 

 生きていく上で大事なことを、さりげなく自然な感じで いっぱい

いっぱい教えてもらいました。本当にありがとうございました。

 どうぞ安らかにお眠り下さい。

 

 

 

 

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気にしてるから そこを つかれたように思っちゃったのね

2015-03-23 16:35:52 | ふれあい

オリヅルラン、水栽培にしたら、1年間花が咲かなかった。

黒っぽく病的な感じになったので、

2月にハイドロカルチャーに。

それが良かったのか、ランナーを伸ばし、花をつけました

2cmにも満たない小さな花だけど、

喜びは私の胸いっぱいに。

 

 

ポトスも、2つに分けてハイドロカルチャーに。清潔な感じだけど、

やっぱり土の鉢のが一番青々として元気いっぱい。↑

 

 

 

 

ある人から、反応メッセージをもらい、ちょっと戸惑った。

手作業していても、何度か思い出されてきて、考えちゃった。

  う、う~ん、、

尊敬している人なので、チャンと話をしたいと思い、

思ってるそのまんま出してみたら、

こちらが誤解していたことが分かり、チャンチャン☆

 

  それにしても、どうしてあんなことになったのかしら?

 

私は日頃、思っていてもナカナカ出来ないことを

無意識のうちに気にしてるらしい。

そこを、

その敏感なところを突かれたように思ってしまったんだと思う。

 

とにもかくにも、グジグジ考えたりしてないでカクニンしてみて本当に良かった。

スッキリしました。

 

 

 

 

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想いを伝えたら応えてくれて、それが嬉しくて――

2014-08-15 07:31:25 | ふれあい

きのうTVをつけたら、Eテレ。

赤ちゃんの育て方を、高校生か中学生に教える番組でした。

基本的な事柄のあとに、興味深い実験が。

 

  (1)5ヶ月の赤ちゃんをベビーラックに寝かせ、その前にモニター画面。

  お母さんは別の部屋で赤ちゃんの画面を見ながら、ニコニコとあやす。

  赤ちゃんは、喜んで、笑う。

  それを見たお母さん、さらに笑顔になってあやす。

  (2)同じ赤ちゃん、同様の場面設定。

  モニターに映るのは、あらかじめ撮影しておいたお母さんのあやす笑顔。

  最初、赤ちゃんは笑ったけど、すぐに笑顔は消えて不機嫌になったんです。

 

つまり、お母さんの笑顔でも、録画じゃダメなんです。

赤ちゃんが笑ったことで、お母さんは嬉しくなって笑顔になる。

そのことが赤ちゃんは嬉しくて――互いのコミュニケーションが成り立っていくんですね。

そんな心の響き合い。

これは、2人の子どもを育てた親として実感します。

 

大人でもそうなんじゃないでしょうかね。

きちんと受けとめてくれた。また、心から声かけてくれた。

そんなことが嬉しくて有りがたくて、反応してそれを返す。

そんな響き合い。積み重さなって絆、心が結びついて信頼関係が生まれ――

 

一番たいせつなことの一つじゃないかな、って思いました。

 

   (*番組では、「コミュニケーション」という言葉ではなく、別の用語だったような気がするけど、

      覚えてなくてゴメンナサイ。)

 

 

 

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カエデの種みたいにクルクル飛んでみたい

2013-06-29 19:38:52 | ふれあい

カエデの種って、竹とんぼみたいにクルクルって回りながら

自由に飛んでいくんだよね。

 

              

 

最近、改めて思うんだけど、

「あの人は、こう言った」と聞いても、

その言葉通りに受け取ると、事実とは異なることもあるよね。

 

例えば、Bさんが皆んなのこと想ってやってくれてることに対して、Aさんが

「あんなこと せんでもええのよ」と冷たく言い放った――、

ように見えて、私は、

AさんとBさんは犬猿の仲かと思っていたら、そうじゃないらしく、

とっても親しげに話し合ってたり。

 

そういう類のことが時々ある。

 

自分のことでも、ひとこと言われただけでショック受けて、

いつまでも頭にこびりついてしまったことが何度か。

でも時が経つにつれて、相手はそんなつもりじゃなかったのかも、

って何となく思えてきたり。

私はどうも真に受けすぎる、みたいな傾向があるのかもしれないね。

 

人が「も、タイヘンなの」と言っているので、

本当に大変そう――と思って、

あの手、この手、考えたりしてたら、

ただ、ちょっと聞いてほしかっただけだったことが分かったり。

 

            

 

キャッチボールって、球を受けるときは、

手を伸ばして取って、次の瞬間には、自分に引き付けて受けとめるよね。

 

それを、自分の場合は、

手を伸ばしたまんま必死で受けてしまうのかも。

これ、クッションが少なくて、手が痛いし、うまく受けとめにくいよね。

  こういうの、練習かなぁ。

 

 

 

 

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ひとが生きていくってことは、

2013-05-22 16:41:22 | ふれあい

身内に不幸があり

ちょっとバタバタしています。

自分は、いろんな人にお世話になったり、

心配かけたり迷惑かけたり、

気にかけてもらったり。

今も、そしてこれからも・・・。

  そんなことが想われるこの頃です。

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お隣の青年が巣立って

2013-03-30 08:13:01 | ふれあい

春。

旅立ちのときですね。

お隣りの青年が、巣立っていったそうです。

私がここに越してきたときは、まだあどけない小学生。

それが、筍のようにグングン背が伸び、

たくましく爽やかな若者に。

行ってしまうのは残念な気もするけれど、

あのコならきっと、周りに爽やかな風をもたらしていくことでしょう。

いってらっしゃい 元気でね

 

社会に出て行くと、タイヘンなことにも出会うでしょうが、

陰ながら応援しているおばさんが、

ここにもいますよ。

 

この連翹(レンギョウ)を撮った日は、

どんよりとした曇り空。

なのに、

ある建物に近づいたとき、この辺りだけパ~ッと明るいんですよ。

なんだかハッとしたほど。

まるで連翹が光をはなっているかのようでした。

 

  彼もきっと、この連翹のように――。

 

 

 

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話の伝え方、そして聴き方。心しなくては…。

2013-03-08 08:16:56 | ふれあい

5日におしゃべりした、サンデル先生の番組、

ほかにも感じたことは いくつもあるんですが、

その一つに、話すペース があるんです。

ひと言ひと言、とても丁寧にゆっくり、間をおきながら話しておられるようですね。

そして、一語一語を大切に、じっくりと話される感じ。

なので、分かりやすく、充分に伝わってくるんです。

 

  よく、特に専門家の方では流暢にペラペラと話す方がおられて、

  一見カッコ良く見えたりもするけれど、

  こちらは素人。話を理解しながら付いてくのに必死だったり。

  ご自分が伝えたいことを話したい、という気持ちも分かりますが、

  「分かりやすく、伝わりやすいように」という視点をもってくれたらなぁ、

  って思っちゃうんですけどね。

 

こういうことって、人によって感じ方や考え方など様々でしょうけど、

少なくとも、「多くの人に伝えたい」という場合には、

「日本語が分かる人なら、義務教育を終えたくらいの人なら

誰でもスッと理解できて」分かるように話す、

というような視点ももってもらえたらなぁ、って思ったりしますね。

 

  と同時に、自分が人に話すときには、

  「この人にスッと伝わるように」っていう視点があるか、

  心しておきたい、って思いました。

 

         

 

6日の『天声人語』は、グッときました。冒頭から最後の結論まで。

「 人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。 」

これなんですよね。。

 

最近読んだ文章で、まさにそういうものがあった。

ごくごく一面しか見ていないにもかかわらず、

全体を掌握しているかのように、上手に(!)書いてある。

しかも、昔々の話を、今も続いているかのように言っていたり。

 

  人の話を聴いたり、読んだりする時には、

  そんなこともあるかも、って

  よほど心しなければ、と思いましたね。

 

 

  

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ひとと『話』したら、思い方が変わっちゃった☆

2013-03-04 07:57:22 | ふれあい

この頃、この小さなblogは、さらに小さくなってきたような。。

  ご無沙汰です。

netでは、他のところ(いくつも)で話を聴いたり発信したりで

終わっちゃうんです。

そんな中で、発見がいくつも。

 

自分としては、しばらく考えちゃってたようなことも、

フッと出してみたことで、

相手が感じたこと、思ったこと言ってもらって、

(それ、多少ポイントがズレてたにもかかわらず)、

その問題は、ほとんど気にならなくなっちゃったり。

 

また、なりゆきで自分のこと出したら、色々言ってもらえて、

自分の中で、堂々巡りしている実態が浮き彫りに。

 

自分が、とか、ひとが、ということでなしに、

    周りから見える客観的なことと、

    自分の側から見えることって、

ほんっと違うことが よくあるなぁ、って改めて実感――。

 

 

 

 

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主観にならぬよう、まず確認だね☆

2013-02-09 06:08:14 | ふれあい

きのうは、最高気温が1℃でした。

 友だちに「も、寒すぎ~ 」って言ってしまった。

今日は、朝から雪。  今んとこ5cmくらいで、

こんな話、雪国の方には笑わますよね。

           

このblogをやっていると、

「一年前にあなたが書いた日記」というメールを送ってくれるんです。

それを読み返してみると、

  へぇ、私って、こんなこと思って書いたんだー

と、チョッピリ俯瞰した観方ができたり、

  ゼンゼン変わってない。 同んなじとこウロウロしてるやん。。

って思ったり、

  結構おもしろい観方してるわねぇ~

って思ったり。

 

また、こんな拙いblogにも「イイネ☆」を付けてくださる方がいて、

それが意外な、小さなつぶやきに付いてたりして――。

  (ありがとうございます )

 

やっぱりblogを書くって、

  良いですね。

 

            

この頃つくづく思うこと、それは

『音声でも文字でも、話をする時は、まず事実(情報)を共有すること』の大切さ。

それを痛感することが、いくつかあったんです。

  「送ったけど、届いたかしら? (読んでもらった?)」とか、

 「この言葉って、ふつう◎△◆って意味で使うけど、どういうことなのかなぁ…?」とか、

まず確認して、初めて『会話』が成り立つんですね。

 

また、あるとき、

今後に繋げるために、あることを確認しようとしたら、

なんだか、どっちでも良いみたいな反応だった。

  私って、余計なこと考えすぎかな――

 

でも、その時の情景を思い浮かべてみたら、

その人は、ちょっと慌しい雰囲気で、目の前の仕事に気がいっているようだった。

それで別の日に、ゆとりのありそうな時に改めて確認したら、

じっくりと打ち合わせ出来て、改善の方向に。

 

なので、

 「今、忙しい? ちょっと確認したいことがあるんだけど、後にしましょうか?」

と、いま相手が聴ける状態か、一緒に考えたり出来る状況か、

を訊いてからにしたら良かったと反省。

 

そして、相手の反応をパッと見ただけで、

「ああ、これはこうなんだ」なんて推測しちゃいけないですね。

 

 

 

 

 

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場の空気に流されちゃう

2013-01-27 08:01:49 | ふれあい

このごろ、いろんな場面で思うんですが、

その場の空気っていうのが、結構

自分に(それぞれに?)影響しているな、って。

空気がゼンゼン読めない、っていうのも困ることあるけど、

影響され、左右されちゃう、っていうのも・・・。

 

例えばね、ある話し合いで

『すごく活発に意見が出され、盛り上がって、こういうことで一致した

という風に報告されることがしばしば。

 

でも、事実はその通りかどうか。

そしてちょっとカメラを引いてみたらどうか。

 

それは、もしかしたら、

そういう傾向の意見をもった人の集まりだったかもしれない。

また、

ある人の存在が大かったり、または話し方が上手かったりして、

違う意見の人がいても、それを出しにくかった、ということもあるかも。

 

色んな面から観ないと、客観的な事実は分からないですよね。

 

その、同じ話し合いに出席した人でも、

人によって、「いや、こうだったよ」と、全然ちがう報告を聞いたことも

しばしば。

 

 

とにかく、その場の空気に影響されたり、流されたりして、

左右されちゃう、

今は、まだそんな自分(たち?)であることを

とりあえず押さえておいたら良いんでしょうかね。

 

そしていつかは、鳥のように自由自在に飛び回れるように、

  そんな自分になりたいナ。

 

 

 

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よくよく話を聴いてみると――

2013-01-23 07:49:18 | ふれあい

こないだ、ある書き込みに目がいった。

  うん、わかるわかるぅ~

そこから自分の体験を思い出して

裏付けしちゃったり。

 

ところが翌日、別の人のコメントがついて、

その二人が反応し合ううちに、

最初読んだ「事実」とはかなり違っていたらしいことが分かってきた。

  おっと、あぶない、アブナイ。。

一面だけを見て反応していた自分が恥ずかしくなりました。

 

その二人は、コメントし合うことで気づきあって、育ち合い、

関わっていた もう一人も同様に。

それらを読ませてもらうこちらも、大事なことに改めて気づかせてもらった。

 

音声による会話や話し合いも、

文字によるものも、

パッとその瞬間だけでは把握しきれないことがよくある。

  (もしかして、多くがそうなのかも 

なので、心していきたい。

その奥にあるものまで読み取ろうとしたり、

別の側の人の話を聞いたりなどして、

  少なくとも、短絡的に判断したり、

  一方的な観方になったりしないように――。

 

 

 

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心の動きまで 真っ直ぐに ありのまま伝えたら、

2012-12-29 12:38:21 | ふれあい

最近、ある出来事が。

Cさんに声かけられた時、

自分の思ったまんま、感じたあたりを、そのまま率直に伝えてみた。

 

どう展開するかは全く未知数でした。

でも結局、良い方向へ一歩進めることができた。

互いに心が近くなれた手ごたえも。

  よかった~。

 

 

率直に言えば いつも成功する とは限らないよね。

そんなこと期待するのは甘い甘い。

でも、これまでの体験などから、

自分の感じた、その心の動きなど、

ありのまんまの事実・実態を、そのまま真っ直ぐに伝えさせてもらうと、

分かり合えることがよくある。

 

石橋を叩いて、無難なところへいったりしがちな自分は、

今回のことは、『日記に書いて』忘れずにいようと思ったんです。

  Cさん、こんな自分ですが、これからもよろしくね。

 

 

 

 

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さりげない心くばり、ありがとう♪

2012-12-03 07:14:11 | ふれあい

あ、こういうの良いなぁ~ って思える言動に出会ったんです。 

詳しく書くと長くなるんですが、、

同僚のY子さんは、しばらく不在になるので、

あることを私に頼んでくれて、私は快諾。

 

そのことをボードのメモで皆んなに伝えていってくれたんです。

これで「michiは、留守の人のとこ開けて、何しとるんやろ  」

なんて思う人はいなくなるはず。

 

こういう細やかな心配りが出来るって、

あったかくて素敵だな、って思ったんです。

 

 

 

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