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無為自然に目覚めよ

2006-12-13 | 無能唱元・唯心円成会
無為自然に目覚めよ
「無為にして、すべては整う」と老子はいいました、工夫才覚を動かしも、人生のことはなかなかうまくいかないのに、為すところなければ、すべてうまくいくとは何ということでしょうか、もしそのようにうまくいくならば、あなたの人生ゲームももっと気楽に勝ちを収めていけるでしょうか。
 「何もしないことをやりなさい」とおかしなことを老子は勧めております。こんな安易なことはないように思えます。ところが、それはそれほど単純で簡単なものではないのです。では、この「何もするな」というのを、どのような言葉で表現しているのでしょう。それは老子は「無為自然」と言います。

荒木であれ
 もう一つ老子は「荒木」ということをいっております。
 荒木とは材木までいっていない山に木切って薪にしたようなものをいいます、我々はこの木から道具を作るが、道具になると、その用途にしか使えない、大は小を兼ねるというが、しゃもじは耳掻きにはできません、我々がしゃもじになると大変です、しゃもじになると、人間的にしゃもじとしてしか役に立たない。

「人間はよきしゃもじであることが一番大切である」これが普通の人に言うことです、しゃもじのように生きていれば必ず成功し、人ともうまくやっていけて、幸福な人生が過ごせる、これを座名の銘とかモットーなどといいます。
とこるがこのような教えが、時と場合によれば役に立たないどころか正反対のマイナスの力を発揮してえらい目にあうこともあるんです、しゃもじはしゃもじの役にしか立たないものです。
 自分が荒木であれば、それから先は何かの役に立ちます、しゃもじになってくれ といわれればしゃもじになれる、そのうちに環境が変わり、人に耳掻きになってくれいわれたら、今度は耳掻きになれる。
 こういうことを老子は言ったのです。そのためには、人間すべからく最初から荒木でなければなりません。

 文豪、夏目漱石の言葉に、次の一文を見つけたことがあります。
 私はこの「自己本位」という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました・・今まで呆然自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かねばならないと指図してくれたものは実にこの「自己本位」の四字なのであります。
 この言葉は、私・唱元 にも同じく、いやそれ以上に強く大きな力を与えてくれました。
 私はいつも言っているとおり、自分の人生は「いい加減に生きよう」と思っています。
 この夏目漱石「自己本位」の言葉は私に「いい加減に生きよう」という意義そのもののように私には思えたのです。
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 とても出来ないと思っても 「出来る」と繰り返し言ってみたまえ
そしてこれを口癖にしたまえ ある日君はそれが出来ている
自分を発見しているだろう。

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いい加減・・
 お湯に例えれば、熱くなく、冷たく無く・・いいアンバイが・・
 肩に力入れすぎず・・肩に力抜き過ぎず・・いいアンバイが・・
 右にも左にも・・中道が・・いいアンバイが・・