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幸せに生きるには

2006-12-14 | 無能唱元・唯心円成会
幸せに生きるには
 徒然草の第一二三段には次のような記述があります
 「人間にとって大事なことは、衣食住の三つに過ぎない、そしてそれに加えて薬、すなわち医療です。この四つに不足のない状態にあるならば、その人は幸せに生きていられる状態なのだ」
 私はこの段を読んで、まさにそのとおりだと思いました、この四つ以上のものを求めて、あくせくと心を労するのはぜいたくというものではないでしょうか?
 とは言えど、これに私流のもう一つを付け加えるならば、それは「自分の氣分にそって生きていく」すなわち日頃から私の提唱している「いい加減に生きるため秘訣」です。
 となると、私の場合は、幸せに生きるための最低条件は「衣食住と医そして氣分」の五つになるようですな。

「まなざし」という同人誌を出している(廣瀬童心・氏)の中で、私の心にしみる言葉に接しました

 笑顔は善の波動だ
 皆さん、我々は教養とか知識とか、風格とか、すべては笑顔に出くるのです、絶対すべて笑顔に出るのです。
 それは人の「善の波動」です、人間の一番すばらしい行為は、相手の顔に喜びの笑顔を浮かべさせることなんです。
 皆さん、笑顔というものは、どんどん伝播していきます。そして世の中はよくなるんです。そしてその波動が広がっていったら、世間に事件がなくなっていくでしょう。

より高い自我
「自由」という言葉の意味について考えてみましょう。
普通いわれている自由とは、他人によって自分の行動が拘束されない、という程度の意味でしょう、いってみれば、それはもっぱら肉体的活動の面においてのみです。
 しかし「自由」とは、むしろ心の活動面において考えられるべきではないでしょうか。
 本来、心とは自由闊達に次々と連想を重ねて、それこそ無限にあらゆる次元に飛翔していくものです。一説によれば、心の原義は「コロコロ」であるといいます。これは絶えずコロコロと思考過程が変化していくことからでたものでありましょう。
 ところが、人間ひとたび不安、恨み、後悔などの否定的情動に捉われると、その心の動きが一ヵ所に固定してしまいます。たとえば破産した場合・・失恋とか、こうした状態が常駐化すると、これはもう地獄であります。
 心が限定して動かなくなると、身体の方も次第に動かなくなります、現代病といわれる うつ病 がまさにこれです。部屋の隅にジッとうずくまり動けなくなります
 自由とは、のびのびと心が動き働いている状態です、しかし、この自由は、他人によって与えられるものではありません。「自由」は「みずからによる」と読むのだそうです、すなわち、自分の心の動きは、自分自身のもう一つの心によって管理されているのです。

 このもう一つの心を「ハイアー・セルフ」すなわち「より高き自我」と呼ぶのです。
この、より高き自我を取得した人間こそ、真の自由人たり得るのです。

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 今の命も・・何かの力で・・生かされている
限りある・・時・・今使い・・生かされ・・感謝