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音楽鑑賞の感想雑文と、相場から経済情勢を
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私は 恵まれている ありがとう

2006-11-30 | 無能唱元・唯心円成会
決して悲観しないこと 状況がどうであろうとも 
自分は豊かであると 信じることが最も大切だ。

今日の命を心から感謝する これが玄徳を積むことに他ならない。

 私には希望が幾つもあり それがだんだんと叶いつつある ああ それはなんと 
素晴らしいことなんだろう。

 窓一杯に 陽光が輝いている すべては アラヤの命ずるままだ ああ それはなんと素晴らしいことなんだろう。 アラヤ・奥深い潜在意識・声(ある偉大な力)

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 朝の目覚め 今 活かされて 朝のお茶 何と旨いことか

 音楽が 活力となり 今の命に 感謝 

 陽光を 浴び 今 活きる 感謝




玄徳を積む

2006-11-29 | 無能唱元・唯心円成会
玄徳を積む
 われわれ人間は、この世に生まれ出た後も、玄のエネルギーに支えられて
生きているのです。
 あなたは玄徳を、日常のごくさりげない行為の中で積むことが出来ます。

 では玄徳のやさしい積み方を次にあげましょう。
まず第一に掲げておきたのは次の言葉です。

川や海を出来るだけ、自然のままに残しておくのが、玄徳を守ることなのです。

会社のリストラで失職し、その後都会に見切りをつけて、体力を資本に、農業や林業などに働くのは、玄の徳に生きることなのです。

 一人で外食する時、時には納豆定食を食べましょう。
 
 食事はできるだけ、雑穀入りのご飯を食べ、白米を避けることです、パンも同様に・・

 駅のエスカレーターの横に階段があったら、ゆっくりでいいから、階段の方を
 歩きましょう。
 
 電車・バスでは出来るだけ、立つように・・小さな積み重ねが若さを生むのです。

 株への投資に人生を賭けてしまうべきではありません、あくまで遊びか、楽しみにとど めるべきです。

 消費のために借金をすべきではありません。

 失敗した時、負債となってしまうようなら、事業のために借金をするべきではありませ ん。

 おばさんの知恵を試してみるのは、玄徳を得る方法です。

 小銭を小びんにためて、一万円になったら預金を・・お勧めします。

 倹約と吝・ケチは違います、倹約は誰にも迷惑をかけません、ケチは他人に迷惑をかけ るので。

 他人に恨まれるような攻撃をすべきではありません。いずれその攻撃は反転して、自分 に帰ってくるからです。

 薄利多売を心がけるのは、玄徳に沿う商売法です。

 玄徳とは、今やっている仕事を愛することです。

 玄の力を得て、アラヤに刻因する これが神の力を動かす方法です。

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玄・・微妙で深遠な理、老荘の道徳における微妙な道・・天地ー(広辞苑)

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 徳積みを・・自然を愛し・・利他を自他を 愛し・・
 かえり矢や・・矢を放せば・・おのれに・・矢はかえる

私は 恵まれている ありがとう

2006-11-28 | 無能唱元・唯心円成会
私は 恵まれている ありがとう

信念を持ちつづけること それが成功のための第一条件である
と同時に それが人生の 生きがいである

玄徳尊守     無事平穏
げんとくそんしゅ ぶじへいおん 

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今生きている ありがとう

継続は力なり・・ローマは一日にして成らず・・

平凡でも 無事 平穏 今生きる 感謝

創造的欲求について Ⅱ

2006-11-27 | 無能唱元・唯心円成会
そしてこれらの欲求を自力でコントロールしない限りその人は心身の健康をふくめて激しい不幸感におそわれるのです。 

実現とはアウトプットにある
 原点に帰って人間の生理活動というものについて、観察しなおしてみたいと思います。 まず、吐く息と吸う息があります、活動と睡眠があります、生産と消費があり、書くことと読むことという人間的行動があります。

 それは現代的に言えば「アウトプットとインプット」です。東洋哲学的に言えば「陽と陰」です。宇宙の万象は、陰陽相伴うことによって初めて発動するのです。

自己実現とは、アウトプットであり、精神的な生産活動とも言えましょう、それは心身を活性化させる行動です。
 ですからこの欲求が不足したりすることは、人生を身一杯に生きているとは言えないことになってしまうかも知れません。

心しずかに、自己内洞察を試み、自分の自己実現欲求がどのあたりにあるのか一つ探ってみようではありませんか。

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我独り・・一人・・我しか出来ない事が・・我 活かす

いつ しすか わからない いのち いま いかす 
なにを やりたいのだろう
いつ しすか わからない ときに むかい なにを なにを 
いま いかす

・・41番 モーツァルト を 聴きながら・・ナガラ
昔、唱元先生を モーツァルトに 例えて・・簡単で、単純でありながら・・
何か 奥深い もの が と・・

創造的欲求について

2006-11-27 | 無能唱元・唯心円成会
創造的欲求について
 エイプラハム・マズローの「人間欲求の五段階説」によれば、人間の「自己実現への欲求」は五段階のトップにあるものだと定義づけていますが、私は、ごく初期の段階にある人間たちにも、サルのような知能水準の低いものでさえ、この欲求は漠然とした創造的欲求ではあるが、確かに存在していると考えるのです。

 ここでマズローの「欲求の五段階説」について、かいつまんで簡単に説明致しましょう。「人間の欲求は五段階ある」とマズローは言うのです。
 第一段階は「存在欲求」です、これは言い換えれば生存的欲望と言えましょう・飲食・睡眠などの動物的なものです。
 第二段階は「安全欲求」です、これは生活の安定を求める欲求だと言えるでしょう。
 第三段階は「社会的欲求」と呼ばれます、これを私は「群居衝動」と呼んでおりますが要するに集団の一員として、それに所属していたいという欲求です。
 第四段階は「自我欲求」です自分という存在にプライドをもっていたいという欲求で、独立的欲望とも言えます。自己主張は自主性からの表れですが、これはこの欲求のしからしむるところです。

そして最高位の第五段です。これは「自己実現欲求」と呼ばれます。自分の能力をもって第四段階の自我欲求を、ある形において表現したい欲求とも言えるでしょう。
芸術などの創造的表現や、他人を支配したり、自己規制するなど、またボランティア活動に対する意欲なども、この欲求の現れです。

以上五段階の欲求は一番下の「存在欲求」からほぼ満たされれば、次の高い段階の方へ段々に移って行き、より高位の欲求を満たして行こうとするのが人間だというのです。
 これは言い換えれば人間の欲求とは、単純な動物的欲求から、より高度な人間的欲求へ移って行こうとするものである、ということでしょう。
 ここで、少し我々の周囲を振り返って現在の我々の文化のあり方というものを観察してみたいと思います。

三段階までは満たされている
 これは私の独断的意見かもしれませんが、私は大変おおざっぱな言い方ですが、今の日本人の欲求のあり方は五段階の内三段階までの欲求はほぼ満たされているのではあるまいかと、考えているのです。簡単にいえば、今の日本には餓死はありませんし、生活保護法というものもあります。また外国に比べれば、凶悪犯罪は少ないですし、社会的に言っても学校や会社、仕事場などの集団への帰属場所はあります。

 つまり「存在欲求」「安全欲求」「社会的欲求」はほぼ満たされているわけです。
 ところが、低位の三つの欲求が満たされている分だけ、高位の「自我欲求」と「自己実現欲求」が強く求められてきているのであります。

 この意味で、今の日本人は欲求不満に落ち入っているのであります。
現代日本の小中学校の「学校崩壊」という現象は生徒の「自我欲求」や「自己実現欲求」に応える機能を学校が失ってしまったために起こった現象であると私は思っているのです。
 学園という言葉がありますが、現代の学校における児童教育はこの言葉とはうらはらにそれは「学びの園」のイメージなどとは、はるかにかけ離れた存在です。
要するにそこは閉鎖され、管理された教室であり、極言すれば、そこは○○所にも似てその監禁された状態では、そこに自由な発想や創造性が育つにはあまりにも愛が貧しい環境なのです。
 そして初期的な欲求をすでに充足した現代の新人類としての児童たちは、個我としての人間欲求を求め始めております。この人間欲求を充足するためには、まず第一条件としてできる限り彼は自由であることを欲します。
 このような理由をもとに、現代の不登校児の問題は発生したのです、また学級崩壊などの現象も起きたのです。
 昔は自己実現などの欲求は成人になってからの問題でした、つまり学校卒業後、社会人となってから考えるべき課題だったのです。
 この故に、マズローの言う欲求五段階の、すでに三段までを凌駕してしまった現代日本社会では、自己実現欲求が小学校のような低年層にまで拡大してきたのです。
 これが皆食べるのがやっとというような飢餓状態であるならば、自己実現欲求などは、ほとんで起こらないでしょう。
 しかし言うなれば、太平の世に慣れた我々は、第四段階の「自我欲求」第五段階の「自己実現欲求」の衝動に激しく晒されております。

 そしてこれらの欲求を自力でコントロールしない限りその人は心身の健康をふくめて激しい不幸感におそわれるのです。  つづく