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28日 プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」マリインスキー・オペラ

2008-01-31 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守


 初物観たさでした、音楽はプロコ節?・・パーカッション、木管の旋律、弦群のウネリ
音型が独特ですね、けして綺麗、美しい旋律では無いのですが・・繰り返し、繰り返しの旋律に惹きこまれますね
1、2幕・・3,4幕約50分程でしたが、音楽が途切れる事無く、声楽と合唱の流れ楽しいオペラでした。
 ホヴァーンシチナ共、オケの合奏力が素晴らしいですね、音楽に強い風圧を感じます・・歌手人も良く歌い込みしてますね・・

 プロコフィエフは米への亡命を決意へ、日本滞在後米国へ・・青年期の精神状態は・・国に絶望し心の反映を音楽に??・・当時、山田耕作がニューヨークで出会い「皮肉なユーモアと純粋な美」とプロコフィエフの音楽を評したと・・その翌年28歳頃シカゴ・オペラの依頼で書き上げた、3つのオレンジへの恋・・日本を呼吸し、米国を呼吸し外からロシアを観・・その時期の精神・音楽創造がオペラにも反映されているかの様ですね・・

亡命と日本滞在(1918年)
1918年(27歳)「古典交響曲」の初演を果たした直後、プロコフィエフは米への亡命を決意し、5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し・・8月になるまで日本に滞在してから北米へ向かうことにする。11日までは東京、横浜周辺に滞在。12〜18日、京都市に滞在し、琵琶湖疏水、祇園などを散策。13日には大阪市を訪れている。19〜28日、奈良市に滞在し・・米国へ1919年山田耕作が米国でプロコと出会いその音楽を「皮肉なユーモアと純粋な美」と評した・・其の頃にシカゴ・オペラの依頼で作曲された・・・


文化会館・4FL3-13・22,000円・妥当な額
マリインスキー・オペラ
プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」
1月28日(月)19:00開演終演21時20分
指揮 ワレリー・ゲルギエフ  マリインスキー劇場管弦楽団

『三つのオレンジへの恋』(みっつのおれんじへのこい、l'amore delle melarance)は、カルロ・ゴッツィによって書かれた寓話劇。1761年に初演。1921年にセルゲイ・プロコフィエフによってオペラ化された。
原書のあらすじ
ハートの王は極度のうつ病にかかった王子のことで悩んでいる。家臣のパンタローネは王子を笑うことによって治すために道化師トルファルディーノを呼び寄せることを提案する。王子の病気が治ると王位をとることができなくなってしまう姪のクラリーチェと大臣のレアンドロはこの計画に反対する。レアンドロは魔女モルガーナに相談する。そして、宴会の日が来るがトルファルディーノは王子を笑わせることが出来ない。ところが王子は邪悪な魔女ファタ・モルガーナが転んだのを見て笑い、怒ったモルガーナに三つのオレンジに恋をするという呪いをかけられてしまう。王子はトルファルディーノをつれて三つのオレンジがあるクレオンタの城へ旅に出る。
セルゲイ・セルゲイェヴィチ・プロコフィエフ(ロシア語:Сергей Сергеевич Прокофьевスィルギェーイ・スィルギェーイェヴィチュ・プラコーフィイェフ;ラテン文字転写の例:Sergei Sergeevich Prokofiev、1891年4月23日 - 1953年3月5日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。
 現在のウクライナ、ドネーツィク州(当時はロシア帝国領)ソンツォフカ(Сонцовка)生まれのロシア人。
 帝政期のロシアに生を受け、サンクトペテルブルク音楽院で作曲・ピアノを学ぶ。革命後、シベリア・日本を経由してアメリカへ渡り、さらにパリに居を移す。20年近い海外生活の後、1930年代後半に社会主義のソヴィエトへ帰国。作風は、こうした外的な環境に応じて大きく3つの時期に区分できる。
 ソヴィエト時代には、ショスタコーヴィッチやハチャトゥリアン、カバレフスキーらと共に、社会主義国ソヴィエトを代表する作曲家とみなされたが、ジダーノフ批判を受けるなど、必ずしも総て順風であった訳ではない。

トレーフ王 (B) ゲンナジー・ベズズベンコフ(28日)
アレクセイ・タノヴィツキー (29日)
王子 (T) ダニール・シトーダ(28日)
       アンドレイ・イリュシニコフ(29日)
クラリーチェ (王の姪/MS) ナデージダ・セルデューク(両日)
レアンドル (大臣/B) ワディム・クラーヴェツ(両日)
トルファルディーノ (T)・セルゲイ・セミーシクル
クラリーチェ (王の姪/ ナデージダ・セルデューク(両日)
レアンドル (大臣/B) ワディム・クラーヴェツ
ファタ・モルガーナ (魔女/S) エカテリーナ・シマノヴィチ (両日)
リネッタ姫 (MS) アンナ・キクナーゼ(両日)
ニコレッタ姫 (S エカテリーナ・セルゲーエワ(両日)
ニネッタ姫 (S)アナスタシア・カラーギナ(両日)

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亡命と日本滞在(1918年)
1918年(27歳)「古典交響曲」の初演を果たした直後、プロコフィエフは米への亡命を決意し、5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し、6月1日、東京に到着。冬シーズン中の南米行きの船便を探すが出航した直後で、次便ではシーズン終了後になることから、8月になるまで日本に滞在してから北米へ向かうことにする。11日までは東京、横浜周辺に滞在。12〜18日、京都市に滞在し、琵琶湖疏水、祇園などを散策。13日には大阪市を訪れている。19〜28日、奈良市に滞在し、奈良ホテルに宿泊。奈良公園周辺を散策している。この奈良市滞在中に、ピアノ協奏曲第3番等の原型となった白鍵四重奏曲の構想を練っている。29日に東京に戻り、以後離日まで東京、横浜周辺に滞在するが、7月19〜21日には軽井沢を、28日には箱根を訪れている。更に7月6日、7日には東京で9日には横浜で自作を含むピアノ・リサイタルを開催した。8月2日、離日。このプロコフィエフの日本滞在は、ヨーロッパの大作曲家の最初の日本訪問と言うことができ、評論家大田黒元雄などとの交流により、日本の音楽界に少なからず影響を与えたといわれる。プロコフィエフはサンフランシスコに上陸し、9月にはニューヨークへ到着した。
遍歴:アメリカとパリ(1918年 - 1932年)

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 2月のオペラ・演奏会予定
2月 2日 マリインスキー・オペラ イーゴリ公 NHK
2月 3日 新国立 サロメ 初台
2月 8日 ノリトン シュトゥッガルト 川崎
2月14日 ハーディング 東フィル 東京オペラシティ
2月15日     〃   〃   サントリー
2月17日     〃   〃   渋谷
2月23日 飯守指揮 ワルキューレ 上野・文化会館
2月24日   〃    〃      〃

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 12月に4日間連続演奏会とは、大変な企画ですね・・ 
2日(火)、3日(水)、4日(木)、5日(金)
ロンドン交響楽団≪プロコフィエフ・ツィクルス≫
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
◎カジモト・イープラス 0570-06-9960
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ムソログスキー
プロコフィエフプロコフィエフ日本滞在日記

キャスト・マリインスキー・オペラ

歌手のコメント
マリインスキー開演

26日 マリインスキー・オペラ ムソルグスキー「ホヴァーンシチナ」

2008-01-27 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守

マリインスキー・オペラ
ムソルグスキー「ホヴァーンシチナ」ショスタコーヴィチ版
1月26日(土)14:00開演終演18,30・2回休憩 
             5F1-9 空きが・2列でユッタリ16,000円安い
1月27日(日)14:00開演・・ダブルキャストで今日は替わります。

 合唱の力強さ、女声、男声と聴き応え十分ですね、合唱が民衆、宗派、銃兵軍・・ 
歌手人もバス・バスバリトンが共演、競演で3人も素晴らしい、其れに絡む、ソプラノ、アルト、テノールが存在感あります・・
 オケも弦群の力強い弾きこみ、打楽器の切れ味も良く、終始重たい暗めの旋律が・・
何処か楽劇に似ていますね・・5幕ではトリスタン・・神々の黄昏の終幕を連想させます??・・
 鍵を握るマルファ・オリガ・ザヴォーワのアルト・メゾ?が素晴らしいです
今が旬かな・・野菜で例えれば、時の物は味が良い

指揮 ワレリー・ゲルギエフ  マリインスキー劇場管弦楽団
出演
イヴァン・ホヴァーンスキー公(銃兵隊長官)・セルゲイ・アレクサーシキン(B)
アンドレイ・ホヴァーンスキー公(息子) オレグ・バラショフ(T)
マルファ・オリガ・ザヴォーワ
エンマ・タチアーナ・パヴロフスカヤ
ワシーリー・ゴリーツィン公 (T) アレクセイ・ステブリアンコ
シャクロヴィートゥイ (大貴族/B) ヴィクトル・チェルノモルツェフ
代書屋・ワシーリー・ゴルシコーフ

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 題名は「ホヴァーンスキー事件(ホヴァーンスキー騒動)」の意味で、史実を基に、ムソルグスキーの友人で評論家のウラディーミル・スターソフの助言をもとにムソルグスキー自身が台本を製作。作曲者が1881年に他界した時は未完成だったため、作曲者の旧友リムスキー=コルサコフによる実用版が作成されて、ようやく1886年2月21日にサンクトペテルブルクで初演された。

しかしリムスキー=コルサコフ版は多くの削除や改作、ワーグナー風の重厚壮麗なオーケストレーションなどによって、オリジナルをほとんど書き換えている。
 このため後に、ムソルグスキーを敬愛したショスタコーヴィチにより、オリジナルのピアノ譜と、作曲者自身の3管編成管弦楽法の手法をもとに、改めて原曲に忠実な実用譜が作り直されたが、オーケストラの規模は当時のムソルグスキーの2管編成の様式ではない。しかしこんにちでは《ホヴァーンシチナ》の上演に用いられる実用譜はたいていショスタコーヴィチ版であり、リムスキー=コルサコフ版は有名な前奏曲「モスクワ河の夜明け」が演奏・録音される程度である。

前作《ボリス・ゴドゥノフ》と同様にロシア史の一こまを扱っているが、この事件に最初にムソルグスキーに注目させたのはスターソフだった。西欧的な近代化をはかったピョートル大帝に対する、イヴァン・アンドレーヴィチ・ホヴァーンスキー公とその従者たちの謀反が扱われている。結局ピョートルが帝位に就いて謀反は挫折し、ホヴァーンスキー公側の分離派教徒の集団自決で幕切れとなる。

《ボリス・ゴドゥノフ》ほど有名ではないが、本作はある意味おいて、《ボリス・ゴドゥノフ》より親しみ易い。舞台進行は緩やかで、声楽の旋律線は、《ボリス・ゴドゥノフ》のレチタティーヴォ的な構成手法に比べて、より伝統的である。「ペルシャ人奴隷の踊り」などの情熱的な労作もある。旧ソ連以外ではなかなか上演されないが、録音は何度か行われており、日本語訳つきのDVDも出回っている。2007年にはウェールズ・ナショナル・オペラによって、ウェールズとイングランドで上演される運びである。2008年にはワレリー・ゲルギエフの来日公演において、下記のゲルギエフ版の上演が予定されている。
版の異同
作品が未完のままでムソルグスキーが死んだため、終結部のあり方をめぐっては、作曲者の歿後に多くの問題を引き起こした。結果的に、録音で今のところ確認できるものでは、次の4つの終結が存在している。

リムスキー=コルサコフ版
遺稿をすべて引き取ったリムスキー=コルサコフによって1882年加筆され完成された。古いものは新しいものにとって変わるという、スターソフも納得するテーマのもとにピョートル軍を肯定。分離派教徒が自ら火をつける集団自殺の後にピョートル軍が登場し、プレオブラジェンスキイ行進曲で肯定的に終わる(ハイキン盤など)。

ストラヴィンスキー版
スターソフへの手紙をもとに、音楽が次第に消えていくのに合わせて分離派教徒たちが退場して幕になる終結部をムソルグスキーは考えていた、とパーヴェル・ラムは推論した。1913年ストラヴィンスキーは、厳かで悲壮な分離派教徒の合唱が次第に弱まって幕になる(ラムの見解と一致する)終結部を完成させた(アバド盤)。

ショスタコーヴィチ版
1959年、映画製作のため完成させた。三管編成。リムスキー=コルサコフ版の流れを踏襲しているが、プレオブラジェンスキイ行進曲のあと、そのあまりの悲惨さに唖然とするかのように音楽が弱まる。その後に悲しいロシアの運命を嘆く第1幕の「民衆の合唱(リムスキー版では省略されたもの)」をもう一度繰り返し、さらに序曲「モスクワ川の夜明け」を繰り返して静かに終わる。ロシアの本当の夜明けは革命を待たなければならなかったというプロパガンダが背景にあるようだ(チャカロフ盤)。
ゲルギエフ版
ショスタコーヴィチ版を使うが、プレオブラジェンスキイ行進曲以下はカット。その代わり分離派教徒の合唱の音楽がブラスによって重々しく奏されて、悲劇的に終わる

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マリインスキー・オペラ
プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」
1月28日(月)19:00開演
指揮 ワレリー・ゲルギエフ  マリインスキー劇場管弦楽団

『三つのオレンジへの恋』(みっつのおれんじへのこい、l'amore delle melarance)は、カルロ・ゴッツィによって書かれた寓話劇。1761年に初演。1921年にセルゲイ・プロコフィエフによってオペラ化された。
原書のあらすじ
ハートの王は極度のうつ病にかかった王子のことで悩んでいる。家臣のパンタローネは王子を笑うことによって治すために道化師トルファルディーノを呼び寄せることを提案する。王子の病気が治ると王位をとることができなくなってしまう姪のクラリーチェと大臣のレアンドロはこの計画に反対する。レアンドロは魔女モルガーナに相談する。そして、宴会の日が来るがトルファルディーノは王子を笑わせることが出来ない。ところが王子は邪悪な魔女ファタ・モルガーナが転んだのを見て笑い、怒ったモルガーナに三つのオレンジに恋をするという呪いをかけられてしまう。王子はトルファルディーノをつれて三つのオレンジがあるクレオンタの城へ旅に出る。

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 2月のオペラ・演奏会予定
2月 2日 マリインスキー・オペラ イーゴリ公 NHK
2月 3日 新国立 サロメ 初台
2月 8日 ノリトン シュトゥッガルト 川崎
2月14日 ハーディング 東フィル 東京オペラシティ
2月15日     〃   〃   サントリー
2月17日     〃   〃   渋谷
2月23日 飯守指揮 ワルキューレ 上野・文化会館
2月24日   〃    〃      〃
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ムソログスキー
プロコフィエフ

キャスト・マリインスキー・オペラ歌手のコメント

22日 新国立 ジャコモ・プッチーニ  ラ・ボエーム

2008-01-24 | 新国立オペラ・・

今年最初のオペラ ラ・ボエーム・新国立   
               4公演・2回目3F2-50・6300円。妥当な額
そのプッチーニ・今年生誕150年なんです・・・

 瀕死の状態で屋根裏部屋に運び込まれ、愛するロドルフォの傍らで息を引き取る。

プッチーニ節に泣ける場面ですね、ムゼッタの祈り、哲学者の歌唱・・4幕は見応え、聴き応え十分ですね・・今回はピアニッシモの響きが実に美しいオケ、歌手陣ですね

 全体を通しては甘い、緩い、オケの響きかな、歌手人も指揮者の解釈と歌唱とづれがある様な?・・佐野さんの低音、中音声域が綺麗ですね、高音声域がやや不満かな?・・

ミミ】マリア・バーヨ 【ムゼッタ】塩田 美奈子・・終幕の歌唱には感動かな

ラ・ボエーム
パリの屋根裏部屋に灯った恋。ボヘミアンたちのほろ苦い青春像。
イタリア・オペラの魅力を余すところなく堪能できる巨匠プッチーニの青春オペラ。クリスマスのパリを舞台に、明日を夢見る若い二人の純愛物語に加え、当時パリの屋根裏部屋に住む若いボヘミアンたちの生活ぶりを流麗な音楽で描きあげています。ミミを演じるのは、ヨーロッパを中心に活躍するスペインの歌姫マリア・バーヨ。ロドルフォ役には“光り輝く美声”で世界的に評価の高い佐野成宏が登場。暖かくほろ苦い恋物語、ラストはハンカチのご用意を・・・。
ものがたり
クリスマス・イブのパリ。若くて貧しい芸術家4人が住む屋根裏部屋で詩人ロドルフォが独り仕事をしていると、階下のお針子ミミがロウソクの火を貰いに現れ、たちまち恋に落ちる。画家マルチッェロも元恋人のムゼッタとよりを戻し、若者たちは恋を謳歌する。数ヶ月後、ロドルフォは、胸を患うミミを救うために痛恨の別れを決意する。その後、子爵の庇護をうけて生活していたミミが、瀕死の状態で屋根裏部屋に運び込まれ、愛するロドルフォの傍らで息を引き取る。

スタッフ
【作 曲】ジャコモ・プッチーニ
【原 作】アンリ・ミルジェ
【台 本】ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ
【指 揮】マウリツィオ・バルバチーニ
【演 出】粟國 淳
【美 術】パスクアーレ・グロッシ
【衣 裳】アレッサンドロ・チャンマルーギ
【照 明】笠原 俊幸
【チーフ音楽スタッフ】石坂 宏
【舞台監督】大仁田 雅彦
【芸術監督】若杉 弘
キャスト
【ミミ】マリア・バーヨ 【ロドルフォ】佐野 成宏
【マルチェッロ】ドメニコ・バルザーニ* 【ムゼッタ】塩田 美奈子
【ショナール】宮本益光 【コッリーネ】妻屋 秀和
【べノア】鹿野 由之
【アルチンドロ】初鹿野 剛 【パルピニョール】倉石 真

【合唱指揮】三澤 洋史 【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団
【管弦楽】東京交響楽団
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 ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858年12月22日 - 1924年11月29日)はイタリアの作曲家。その作品であるトスカ、蝶々夫人、ラ・ボエームなどのオペラは今日でも上演の機会が多いことで知られる。イタリアのルッカに生まれ、ベルギーのブリュッセルで没した
生涯
プッチーニ家は、18世紀から連綿と続くルッカの宗教音楽家の家系であるが、中には器楽作曲家もいた。この中で唯一オペラ作曲家を目指し、なおかつ今日、唯一世界的音楽家として名声を残したのがジャコモ・プッチーニである。
 わずか5歳のときに父親が没したため、叔父フォルトゥナート・マージより、温情をもって教育を与えられる。最初は教会オルガニストの職を得るが、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『アイーダ』の上演に接して、オペラ作曲家を志した。1880年『グローリア・ミサ Messa di Gloria』の完成をもって、初期の音楽修業と、家業である宗教音楽家の道に区切りをつける。この作品では、やがてミラノの舞台においてプッチーニが開花させることとなる劇的な表現力を、魅力的なまでに垣間見せている。
 1880年から1883年までミラノ音楽院にてアミルカーレ・ポンキエッリとアントーニオ・バッジーニに師事。1882年には、出版社ソンツォーニョ社主催の1幕物オペラの作曲コンクールに参加、入賞することはできなかったが、提出作品『妖精ヴィリー Le villi』は後に1884年に舞台化され、出版社リコルディ社主ジュリオ・リコルディに注目されるきっかけとなった。こうしてリコルディ社の依嘱によって作曲されたのが、1889年に完成された2作目のオペラ『エドガー』である。1891年には、トスカナ地方のトッレ・デル・ラーゴに別荘を購入し、終生にわたって仕事場兼自宅とした。プッチーニの亡骸が眠っているのもこの地である。プッチーニ
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偶然BSで映像、メンコン?、3楽章のみ観ました・・深い音楽性と技量の確かさが・・
江藤俊哉氏(バイオリン奏者)が死去(読売新聞) - goo ニュース

13日 指揮 イルジー・コウト  ・スメタナ :連作交響詩『わが祖国』  プラハ交響楽団   

2008-01-14 | 外来 演奏会・指揮者

今年最初の演奏会へ わが祖国・1882年11月5日、初演

 聴き慣れた出足の旋律が綺麗ですね、ハープ2台の出から,美しい旋律が・・よどみなく流れる旋律が、氣持ち良く,町並み、流れる風を感じます・・前半、後半も40分程で
全曲は初めて聴くかな・・後半が特に曲想が内省,奥深い精神性を感じます、心の鼓動の高まり、高揚感、呼吸感の高まりが・・演奏が熱いですね・・・

 聴きながら,わが祖国とは・・国外から観た我が国への愛国心・・帰国・宅すれば,我が家は良いと思いますが・・わが祖国とは??・・生活する場、稼ぐ場??・・

祖国とは・・・日本軍人,政治家が僅か63年前朝鮮半島、中国・・侵略したのでは・・

 チェコでは1800年代もハプスグルク帝国の・・最近でもナチに占領され、ロシアにも、スロヴァキヤと分離後、民主国家に僅かな年月しか経っていないですね、
 プラハ城へ他国の王・王妃、アドルフ・ヒトラー(独:Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30)も 城で政務をしたとか・・

 初演時、スメタナ1882年に、まさかヒトラーに、わが祖国を占領されるとは思っていなかったでしょうね。
 日本も私の勉強不足で沖縄・琉球国?て,米国領でしたか・・沖縄の米国占領統治下・・音楽を聴き終わり,何かまとまらない,想い,考えが・・

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連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Má Vlast) は、ベドルジハ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩から成る。
 全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にある会場で行われた。この曲は、毎年行なわれるプラハの春音楽祭のオープニング曲として演奏されることが恒例になっている。
ヴィシェフラド
Vyšehrad  『高い城』とも訳される。
 かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯盛衰を歌う、という内容である。この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭-E♭)が音として刻まれている。
ヴルタヴァ
Vltava  『モルダウ』の名で知られる。
一連の交響詩群の中で最も知られた作品であり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様子が描かれている。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ちが現れている。また日本では合唱曲に編曲されている。

 プラハ交響楽団ニューイヤー・コンサート
曲目 スメタナ :連作交響詩『わが祖国』
指揮 イルジー・コウト       
                   サントリーホール2F・P7-7・4千円

ターボル
Tábor
1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名である。フス派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描いている。彼らの間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられているが、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

ブラニーク
Blaník
1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山地の名である。その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖人と勇士達が眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよみがえって救いの手を差し伸べる、という伝説がある。曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という内容である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スメタナ
ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Bedřich (Friedrich) Smetana, 1824年3月2日 - 1884年5月12日)は、チェコの作曲家であり、「ヴルタヴァ」(モルダウ)を含む一連の6つの交響詩から成る『わが祖国』(Ma Vlast)が特に知られる。
生涯
スメタナはビール(→チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリトミシュル(Litomyšl, Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。父親の抵抗にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。
1874年に梅毒に起因して中途失聴者となるが、作曲活動を続け、この出来事の後に書かれた代表的な作品に『わが祖国』がある。
1884年にスメタナは正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終えた。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。
スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であるといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。 彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを多用し、また、彼の書いた旋律は時として民謡を彷彿とさせる。彼は、同じ様にチェコの題材をその作品中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな影響を与えた。

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沖縄は・・琉球独立論・・歴史、独自の文化,行政が
 1952年(昭和27)4月28日発効の日本国との平和条約で、沖縄は潜在的な日本の主権は認めながら、正式にアメリカ軍の管理下に置かれるようになった。アメリカは琉球政府を創設して沖縄を軍政下に置き、沖縄の各地にアメリカ軍基地・施設を建設した。アメリカ兵による事故・事件が頻発し、住民の死亡者も相次いだ。この状況に対し、住民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こし、また、このころから住民は日本復帰を目指して活発な祖国復帰運動を行い、1960年(昭和35)に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なお、このころの米大統領アイゼンハワーは、沖縄を返還する気は全く無かったようである。
 1960年代のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地とされると、駐留米軍が飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。一方、米軍による需要がある土木建築業、飲食業、風俗業などに携わる勢力は、復帰反対や米軍駐留賛成の運動を展開し、彼等の支援された議員が復帰賛成派の議員と衝突した。1968年(昭和43)11月には琉球政府の行政主席選挙が行われ、90パーセント近い投票率を記録した。この選挙によって復帰協の屋良朝苗が当選、「即時無条件全面返還」を訴えた。
  日本の施政下へ
詳細は沖縄返還を参照
 日本の佐藤栄作政権は、1970年(昭和45)に予定される安保延長と共に、沖縄の本土復帰を緊急の外交課題とした。このため、70年安保延長反対を唱える日本社会党や日本共産党は、安保と同列の沖縄返還論に反発し、新左翼や学生運動、各種労働組合までも反安保、反返還の一大運動を日本国内で繰り広げた。しかし、これらは沖縄県民の運動とはほとんど結びつかず、県民の真意を汲み取ることにはならなかった。
 1970年(昭和45)12月20日未明、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、米軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機にコザ暴動が発生した。常日頃から米軍兵士が優遇され沖縄住民が不当に差別されたことに対するコザ市民の怒りが表面化したもので、これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に知らしめた。アメリカ政府にとっては、日頃温厚な琉球の人々が暴動をおこした事は大変ショックを受けた。
 1969年(昭和44)の日米首脳会談では、アメリカ大統領ニクソンが沖縄返還を約束した。屋良朝苗や復帰賛成派の県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望んだが、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、佐藤はニクソンとの取り決めで、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの利益を最大限尊重した。1972年(昭和47)5月15日に琉球政府は沖縄県となり、沖縄は日本へ復帰した。
 また、日本政府は返還協定第7条にもとづき、特別支出金として総額3億2000万ドルをアメリカに支払った。特別支出金の内訳は、米軍政下で設置された琉球水道公社・琉球電力公社・琉球開発金融公社のほか、那覇空港施設・琉球政府庁舎、あるいは航空保安施設、航路標識などの民生用資産の引き継ぎの代金1億7500万ドルが含まれていた。県民の間からは、「これらの施設・資産は無償譲渡されるべきものであって、アメリカ政府に対価を支払うのはおかしい」といった批判が噴出したが、日本政府は取り決めに従いこの巨額の対価を支払った。このため、沖縄県民や沖縄に同情的な人物の中には「沖縄は日本政府によって金で買い取られた」という認識を強く持つ者、琉球独立論を唱える者がいる。
 この本土復帰を日本による琉球再併合と規定し、沖縄返還ではなく第三次琉球処分と呼ぶ者もいる。
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 アドルフ・ヒトラー(独:Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)はドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党党首として民族主義と反ユダヤ主義を掲げ、1933年首相となった。1934年にヒンデンブルク大統領死去に伴い、国家元首に就任。正式の称号は「指導者兼国首相」であり、これは通例、総統と邦訳されている。軍事力による領土拡張を進め、第二次世界大戦を引き起こしたが、敗色が濃くなると自殺した。「指導者原理」を唱えて民主主義を無責任な衆愚政治の元凶として退けたため、独裁者の典型とされる。イスラエル人ピアニストのD・バレンボイム氏、パレスチナの市民権取得
1月14日19時23分配信 ロイター
 1月13日、世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(写真)が、パレスチナの市民権を取得。2006年11月撮影。代表撮影(2008年 ロイター)

 [ラマラ(ヨルダン川西岸) 13日 ロイター] 世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(65)が、パレスチナの市民権を取得した。イスラエルとパレスチナ間の和平の見本になることを願っているという。
 バレンボイム氏はここ数年、アラブとイスラエルの若い音楽家の接触を推進しようとヨルダン側西岸のラマラで活動している。
 同氏は12日夜、当地で開いたベートーベンのピアノリサイタルの後「パスポートをいただけるとは大変に光栄なこと」とコメント。「イスラエルの人々とパレスチナの人々の運命は切り離せないつながりがあると信じていることも(申し出を)受け入れた理由だ」とし、「幸か不幸かわれわれは一緒に生きなければならない。私はそれは幸せなことだと思いたい」と語った。
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19日 大野和士指揮 ・歌劇「道楽者のなりゆき」 ・王立モネ劇場 NHK BSで

2008-01-12 | 大野和士・パーヴォ・・パッパーノ
19日に 指揮: 大野 和士・・・楽しみですね
2008年 1月19日(土) 21:00 ~ 翌 00:54 ご案内: 堀内 修 (音楽評論家)
ベルギー王立モネ劇場 Bモード・ステレオ
歌劇「道楽者のなりゆき」   ( ストラヴィンスキー )
1月19日(土) 21時04分20秒 ~ 23時42分20秒  [ 2時間38分00秒 ]
大野和士指揮、名演出家ロベール・ルパージュの斬新な演出による ストラヴィンスキーの歌劇「道楽者のなりゆき」。
「道楽者のなりゆき」は 1951年に初演されたストラヴィンスキーのオペラで、 悪魔シャドウが嘘の遺産話で青年トムと恋人アンの仲を裂きトムの身を持ち崩し、 怪しいトルコ女バーバをトムに娶らせるというおとぎ話で、 物語の最後は 「放蕩は愛では救えない」 「若者は野心を持っても放蕩者になるな」 「アダムとイブの太古から悪魔は働き場があった」 というモットーで締めくくられる。
ストラヴィンスキーのバロック音楽を思わせる新古典的な音楽で、物語は軽快に展開していく。
第1部 : 21時04分20秒 ~ 22時20分30秒
第2部 : 22時24分30秒 ~ 23時42分20秒
アン : ラウラ・クレーコム
トム : シャルル・カストロノーヴォ
シャドウ : ウィリアム・シメル
バーバ : ダグマール・ペツコヴァ
ほ か
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合 唱 : モネ劇場合唱団
管弦楽 : モネ劇場管弦楽団
指 揮 : 大野 和士
演 出 : ロベール・ルパージュ [ 収録: 2007年4月26日,27日,28日 ]

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クラシック 名曲への道 Bモード・ステレオ
音楽の都 ウィーンをめざして
1月19日(土) 23時42分20秒~翌00時08分50秒  [ 0時間26分30秒 ]
内 容:
ヨーロッパの都市をめぐり、その都市にゆかりの深い音楽家とその音楽を紹介する番組。
番組のホスト / プレゼンターは イギリスの俳優サイモン・キャロー。
出 演:
サイモン・キャロー
ニキ・ヴァシラキス
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1月19日(土)~27日(日)までの期間に
全国のテレビ朝日系列局で、小澤征爾総監督のドキュメンタリー番組
「棒ふりの運命(さだめ)~指揮者 小澤征爾が伝える真髄~」が放送
されます。機会がございましたら、是非ごらんください。

例えば・・・
・大阪 朝日放送 
   1月19日(土)25:30~26:00
・長野 長野朝日放送
   1月20日(日)25:10~25:40
・関東 テレビ朝日
   1月21日(月)26:40~27:10

そのほかの地域、詳しくは
http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/内の「系列局での放送時間」を
ご覧ください。(地域によって放送日時が異なります)

NHK デジタル衛星ハイビジョン
2008年 1月12日(土) 21:00 ~ 翌 00:41 ご案内: 堀内 修 (音楽評論家)
ドレスデン国立歌劇場・日本公演
歌劇「ばらの騎士」   ( リヒャルト・シュトラウス )
1月12日(土) 21時03分50秒 ~ 翌00時40分20秒  [ 3時間36分30秒 ]
26年ぶりに来日するドレスデン国立歌劇場。 2007年に建都800年を迎えた文化都市ドレスデンの宮廷歌劇場を前身とするこの劇場は、 リヒャルト・ワーグナーの「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」の初演や、 リヒャルト・シュトラウスの主要作品を初演してきたことで知られるドイツの名門歌劇場である。
今回の来日公演から、ドレスデン国立歌劇場で初演され 同歌劇場の代名詞的作品でもあるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」をお送りする。

二日かけ,1,2幕を観ました、演劇的な演出かな,細かな動きも・・
会場が広いので、オケ、ホールに合わし,音量をあげていましたか?PAは??
 歌手陣との共振性が欠けるような響きかな・・
画面からまさにSS席の臨場感ですね,歌手の表情が丸見え・・
 生で3階席の方々は聴こえたのかな??・・
第1幕 : 21時03分50秒 ~ 22時23分50秒
第2幕 : 22時23分50秒 ~ 23時26分10秒
第3幕 : 23時26分10秒 ~ 翌00時40分20秒
元帥夫人 : アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オックス男爵 : クルト・リドル
オクタヴィアン : アンケ・ヴォンドゥング
ファーニナル : ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
ゾフィー : 森 麻季
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管弦楽 : ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
指 揮 : ファビオ・ルイージ
演 出 : ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク [ 収録: 2007年11月23日, 25日  NHKホール ]

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イスラエル人ピアニストのD・バレンボイム氏、パレスチナの市民権取得
1月14日19時23分配信 ロイター
 1月13日、世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(写真)が、パレスチナの市民権を取得。2006年11月撮影。代表撮影(2008年 ロイター)
 [ラマラ(ヨルダン川西岸) 13日 ロイター] 世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(65)が、パレスチナの市民権を取得した。イスラエルとパレスチナ間の和平の見本になることを願っているという。
 バレンボイム氏はここ数年、アラブとイスラエルの若い音楽家の接触を推進しようとヨルダン側西岸のラマラで活動している。
 同氏は12日夜、当地で開いたベートーベンのピアノリサイタルの後「パスポートをいただけるとは大変に光栄なこと」とコメント。「イスラエルの人々とパレスチナの人々の運命は切り離せないつながりがあると信じていることも(申し出を)受け入れた理由だ」とし、「幸か不幸かわれわれは一緒に生きなければならない。私はそれは幸せなことだと思いたい」と語った。

ライプツィヒ・ゲバントハウスの公演中止 1月17日0時30分配信 時事通信
 梶本音楽事務所は16日、ドイツの名門オーケストラ、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の2月の来日公演を首席指揮者リッカルド・シャイー氏の急病により中止する、と発表した。演奏会は2月1~9日に東京、名古屋、京都など全国7カ所で予定されていた。体調不良で入院加療を要するシャイー氏の代役が見つからなかった。