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29日アメーリア 佐々木典子30日 大隅智佳子「シモン・ボッカネグラ」  ヴェルディ

2009-08-30 | 藤村実穂子、大隅 智佳子・日比野幸
オペラ 「シモン・ボッカネグラ」 ・ヴェルディ 29日2F・9-7・4,000円・安い
                    30日1F4列目・9-23・1万円・安い 
「16回三菱UFJ信託音楽賞」 受賞記念公演
日時: 2009/8/29(土)pm4:00-7:00(25分休憩)
       8/30(日)pm4:00-7:00(25分休憩)
場所: 大田区民ホール「アプリコ」(蒲田)

29日 音楽が重厚ですね、1幕の合唱とボッカネグラとパオロの対峙が素晴らしい
聴いていて、オテロに似た雰囲気がある様に感じましたが・・ヴェルディ節炸裂ですね・・・何層にも積み重なる、旋律が、敬虔な響きが、ゾクゾクしました
 歌手陣も存在感があり、特に、市原多朗、甲斐栄次郎・・に感じ入りました

30日 終幕で泣けるとは、泣かされるとは想わなかった・・高ぶる感情はなに・・
今日は大隅さんの追っかけ・1幕のアリアから、綺麗な声が、実に美しいです

2幕でシモンとアメーリアの対話・・実は我が子である、真実が・・この対話、二重唱も素晴らしいです・・感情表現,歌唱と惹きこまれます
29日・佐々木典子・・声質が重たい感じで・・シモンとの対話が・・

ガブリエーレ・持木弘・・切れ味鋭く、押し出し強い声域が、一貫して、強靭さで押し通していた・・低音が薄い感じかな?・・
 バスに役割、活躍の場を歌わせるオペラですね・・
 フィエスコ ・佐藤泰弘29日・・ノッケから凄いブラーヴォを受けてましたが
       ・山口俊彦
 シモンが・・平和 愛 平和 愛
階級闘争・・平民派 貴族派との対立 人と人と の、妬み、嫉妬・・
 超越した 平和 愛 を・・・最近聴いた、戦争レクイエム(1961年)然り・・シモン(1856年・1881年に改訂)・・音楽から、宗教観、平和 愛を・・2009年民主政権樹立 友愛・博愛・・人間 の 平和 愛 大自然の・・

30日 シモン・ボッカネグラ・上江法明、アメーリア・大隅智佳子
29日 ガブリエーレ・市原多朗、アメーリア・佐々木典子
   シモン・ボッカネグラ・大島幾雄、パオロ・甲斐栄次郎

過去に、シモン・ボッカネグラ、ピエロ・カプッチルリで聴いてますが、バリトンの渋み、深み、歌唱力が素晴らしかった記憶が・・何十年前で、あとは全て忘れてますが・・笑い

3幕/原語上演/日本語字幕
☆キャスト        29(土)    30(日)
シモン・ボッカネグラ   大島幾雄    上江法明
アメーリア        佐々木典子   大隅智佳子
フィエスコ        佐藤泰弘    山口俊彦
ガブリエーレ        市原多朗    持木弘
パオロ          甲斐栄次郎   増原英也
ピエトロ         金沢平      岡元敦司
隊長            新海康仁     新海康仁
侍女           管野瑞恵     管野瑞恵
合唱:大田区民オペラ合唱団 演出:今井伸昭
指揮:森口真司   管弦楽:プロムジカリナシェンテ

大田区民オペラ協議会/Tel.Fax  03-5482-7657  
E-mail  ootakuminopera@mbr.nifty.com

フェニーチェ劇場での初演まで
初演が行われたフェニーチェ劇場ヴェルディは、『椿姫』(ラ・トラヴィアータ)の後、パリ万国博覧会での上演に向け、フランス語によるオペラ『シチリア島の夕べの祈り』(1855年)を作曲する。その後、フェニーチェ劇場の支配人に約束していた新しいオペラとしてとりかかったのが『シモン・ボッカネグラ』である。

『イル・トロヴァトーレ』の原作者でもあるグティエレスの『シモン・ボッカネグラ』を読んだヴェルディは、これを新作オペラとすべく、台本作家のピアーヴェに送った。フェニーチェ劇場との契約は1856年5月であり、同年6月末から滞在先のパリで作曲にとりかかった。

台本の完成は翌1857年2月である。同月中旬にはヴェルディは第1幕を完成させ、第2幕と第3幕もオーケストレーションを残すのみとなっていた。フェニーチェ劇場のあるヴェネツィアに到着したヴェルディは、現地で最後の仕上げにかかり、3月12日の初演に臨んだ。しかし、この初演は大失敗に終わる。ヴェルディ43歳のときである。ヴェルディは友人への手紙に次のように書いている。 「素晴らしい出来だと信じていたのですが、『トラヴィアータ』以上の失敗でした。しかし、この失敗は私のせいというより、歌手に原因があるかもしれません。」[2]
改訂とスカラ座初演
ボーイト(左)とヴェルディこの作品に愛着を持っていたヴェルディは改訂上演の機会を狙っていたが、すぐには果たせなかった。

1871年の『アイーダ』初演後、新作オペラのないヴェルディに、楽譜出版社であるリコルディ社は1879年、ウィリアム・シェイクスピア原作の『オセロ』に基づくオペラ化を提案した。台本については、作曲家・詩人のアッリーゴ・ボーイトが同社から依頼を受けており、『オセロ』のオペラ化は、もともとボーイトの構想でもあった。しかし、ヴェルディとボーイトは以前から反目しあっていたこともあって、ヴェルディは慎重な姿勢を崩さなかった。このため、リコルディ社は『オセロ』の前にひとまず本作の改訂を持ちかけつつ、ヴェルディとボーイトの関係をとりなしたのである。
 改訂版初演が行われたスカラ座ボーイトは、悪役パオロの登場場面を増やすことによって、主人公シモンの悲劇性を引き立たせた[3]。台本の改訂により、登場人物の人間性がより鮮明になり、わかりにくかったドラマ展開が整理された。
 音楽的には、プロローグのほぼ全部が改訂され、当初の長い前奏曲はごく短い導入部に置き換えられた。第1幕の導入部とフィナーレ(会議の場面)も改訂され、個々のアリアや二重唱にも手が入れられた。ヴェルディは、従来の様式的なカヴァティーナ=カヴァレッタ方式から、アリアをドラマの流れの一環としてとらえるように改めている。第3幕のフィナーレでは「婚礼の合唱」が追加された。
 改訂版は1881年3月、ミラノ・スカラ座で初演され、今度は大喝采で迎えられた。フェニーチェ劇場の初演から24年後、ヴェルディは68歳となっていた。本作の改訂作業を通じて築かれた信頼関係のもと、ヴェルディとボーイトの共同作業によって、以降、『オテロ』(1887年)、『ファルスタッフ』(1893年)と、ヴェルディ晩年の傑作が生み出されることになる[4]。

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 ピエロ・カプッチルリ(Piero Cappuccilli, 1929年11月9日 - 2005年7月12日)はイタリアのバリトン歌手。ヴェルディのオペラ、中でも『マクベス』や『シモン・ボッカネグラ』の歌唱で名高い。その卓越したブレス・コントロールと滑らかなレガート唱法から、20世紀後半最高のイタリア・バリトン歌手の一人とされる。
 トリエステに生まれ、はじめは建築家を志すも、親戚の勧めもありオペラ歌手となる。ルチアーノ・ドナッジオに学び、地元トリエステのジュゼッペ・ヴェルディ劇場でいくつかの端役をこなした後、1957年にミラノのヌオーヴォ劇場で、レオンカヴァルロ作曲『道化師』のトニオ役で本格デビューを果たす。EMIレコードの名プロデューサー・ウォルター・レッグに見出され、ジュリーニ指揮のオペラ全曲盤レコード録音に参加、マリア・カラスとの共演となったドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』のエンリーコ役で高い評価を得て国際的活躍が始まる。

1964年からはイタリア・オペラの総本山、ミラノ・スカラ座にも出演(初舞台は上記エンリーコ役)。衰えをみせ始めていたゴッビ、若くして病に倒れたバスティアニーニの後継バリトン、そして代表的な「ヴェルディ・バリトン」としての地位を確立する。
特にスカラ座の1971年-72年のシーズン、クラウディオ・アバド指揮、ジョルジョ・ストレーレル演出の下で行われたヴェルディ作曲『シモン・ボッカネグラ』では主役として出演、大隅さん ブログ
筋書き
動画
オペラに恋するプロ写真家です
加藤氏 シモン批評

href="http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000194_2_opera.html#cast">新国立 2010年5月に大隅さんが 予定に

9月の 演奏会 オペラ 予定

2009-08-29 | 音楽鑑賞 感想・指揮者と
 9月は三公演だけ、寂しいのですが、
8月に松本に行ったり遊び過ぎで、チョウド良い(笑い)

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4日 アイーダ     スカラ座 4,6,9,11日

原語曲名:Aida(しばしばフランス語的にAïdaとも書かれる)
原案:オギュスト・マリエット
原台本:カミーユ・デュ・ロクル
台本:アントニオ・ギスランツォーニ
作曲時期:1870年に作曲に着手
初演:1871年12月24日、カイロのカイロ劇場にて、ジョヴァンニ・ボッテジーニの指揮による
作曲の経緯
『ドン・カルロ』の初演(1867年)、『運命の力』の改訂初演(1869年)の後、ヴェルディの次作検討作業はパリ在住のオペラ台本作家であり、オペラ座やオペラ=コミック座の支配人でもあったカミーユ・デュ・ロクルとの交渉を中心に展開していた。デュ・ロクルは様々の戯曲・小説をヴェルディに送付していた。

そのうちヴェルディが何がしかの興味を示したことがわかっているのはウジェーヌ・スクリーブの『アドリエンヌ・ルクヴルール』(Adrienne Lecouvreur) と、モリエール作『タルチュフ』(Le Tartuffe, ou L'Imposteur)、それにロペス・デ・アジャラのEl Tanto por Cientoであった。なお後2者が喜劇であったことは興味深い。ヴェルディがこれまでに作曲したオペラ・ブッファは第2作『一日だけの王様』(1840年初演)1作のみだったし、オペラ・ブッファというジャンルそのものが19世紀後半のイタリアでは人気薄だったことを考える時、ヴェルディがこの頃何故ブッファを考えていたのかは謎である。人生最後の作品『ファルスタッフ』(1893年初演)でブッファに回帰する萌芽が、その20年以上前からあったのかもしれない。

カイロからの委嘱
このデュ・ロクルの新作交渉とはまったく別個に、ヴェルディには祝典のための作曲依頼があった。依頼元はエジプトの総督・イスマーイール・パシャである。1869年11月のスエズ運河開通の祝賀事業の一環として、パシャはカイロにオペラ劇場(「イタリア劇場」ともいわれる)を開場したのだが、その開場式典の祝賀音楽の作曲依頼であり、時期的は1869年8月以前のことである。その時ヴェルディは「自分は普段から、臨時機会用の音楽 (morceaux de circonstance) を書くことには慣れておりません」といって断っている。

結局、1869年11月6日の劇場の杮落としではヴェルディの既作オペラ『リゴレット』がエマヌエーレ・ムツィオのタクトで上演されたが、パシャはその後、祝賀のための小品どころか、エジプトを舞台にした新作オペラの依頼をパリのカミーユ・デュ・ロクルを通じて行ってきたのである。題材としてパシャが用意したのは、考古学者オギュスト・マリエットの著した23ページにわたる「原案」であった。マリエットは1821年生まれのフランス人で、1849年からルーヴル美術館のエジプト考古部に勤務、1851年からエジプトに渡り研究を続け、イスマーイール・パシャの信頼も篤く、「ベイ」(1858年)更には「パシャ」(1879年)の尊称を与えられた人物だった(このためその名はしばしば「マリエット=ベイ」あるいは「マリエット=パシャ」と表記される)。

依頼がヴェルディのもとに届いたのは1870年の春、スエズ運河も開通し、オペラ劇場も開場した後である。しかしこの経緯が後年になって、『アイーダ』がスエズ運河開通を記念すべく作曲された、といった俗説の流布に寄与することになった。

イスマーイール・パシャはヴェルディの作品を愛していたというより、ヨーロッパの大作曲家による、エジプトを舞台とした豪壮なオペラ作品を自分の統治するカイロで初演したい、という単純な欲求があったものと考えられる。実際、イスマーイール・パシャはデュ・ロクルに「ヴェルディが依頼を断ったら、依頼先はグノーやワーグナーに変更してもいい」という内容の手紙を送っていた。皮肉なことに、デュ・ロクルがその手紙の内容をそのまま伝えたことでヴェルディのワーグナーに対するライバル意識が惹起され、それまでブッファを中心に新作題材を検討していた彼はこのマリエットによる悲劇を真剣に検討することになった。「ワーグナー」の名を出すのはデュ・ロクルの作戦だったかも知れない。

1870年6月にはヴェルディはこの新作の作曲に大枠で合意した。ヴェルディの提示した条件は

ヴェルディは作曲料として15万フランス・フランを受領する(これは彼の最近作『ドン・カルロ』の4倍という法外なものであった)
台本はヴェルディが彼自身の支出によって、彼の選んだ作家に作成させること
台本はイタリア語であるべきこと
1871年1月に予定される初演はヴェルディの選んだ指揮者によって行われるべきこと
ヴェルディ自身にはカイロに赴き初演を監督する義務はないこと
仮にカイロでの初演が6か月以上遅延した場合、ヴェルディは彼の任意の歌劇場でそれを初演できること
初演以外の全ての上演に関する権利はヴェルディが保持すること
という、彼にとって有利なものであったが、鷹揚なイスマーイール・パシャはその全てを受諾したのだった。
台本に関与した人々
マリエットの「原案」から『アイーダ』の台本が完成するまでには、以下のように多くの人々の関与が絡み合っている。

エジプト総督、イスマーイール・パシャ。デュ・ロクルの言によれば、オギュスト・マリエットに『アイーダ』のアイディアを提供したのは、このパシャ自身であるという。もっともこれはデュ・ロクルによる一種の「箔付け」の可能性が高い。
エジプト考古学者、オギュスト・マリエット。イスマーイール・パシャの下で働く彼が、1870年に『アイーダ』(Aïda)のフランス語による原案を作成した。全23ページにわたるもので、4幕6場よりなる。オペラのストーリー展開の骨格はこの段階でほぼ完成している。またマリエットはその後も、ヴェルディやギスランツォーニに対してエジプト考古学上のアドヴァイスを与え、初演の舞台装置、衣装製作を担当するなどしている。
パリのカミーユ・デュ・ロクル。1870年5月にマリエットの「原案」をヴェルディに送付、また翌6月にはフランス語による「原台本」を著した。「原台本」はデュ・ロクルがヴェルディのサンターガタの自宅を訪問した際に書かれているため、この段階からヴェルディ自身のアイディアが入っているとも考えられる。例えば、マリエット「原案」第2幕、凱旋の場の前にアムネリスの居室の場面を挿入したのはデュ・ロクルとヴェルディの創意であろう。
ヴェルディ自身。マリエット「原案」前半2幕分をイタリア語に翻訳した。その後も台本作成に関してギスランツォーニに数々の指示を行っている。
ヴェルディの妻、ジュゼッピーナ。マリエット「原案」後半の2幕分をイタリア語に翻訳した。彼女はもと高名なオペラ歌手であり、フランス語にも夫以上に堪能であった。
イタリア人台本作家アントニオ・ギスランツォーニ。3、4、5をもとにイタリア語韻文による台本を作成した。1870年7月に台本の最初の部分がヴェルディに送付されている。
1871年、カイロにおける世界初演時には、「台本はギスランツォーニによる」と明記され、マリエットへの言及はない。またその後出版された楽譜、リブレットもほぼこれを踏襲している(例外的にフランスで出版された楽譜等では、マリエットやデュ・ロクルを原台本
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17日 ドン・カルロ 8,12,13,15,17日
・フィリッポ2世は全公演ルネ・パーペが演じることになります
イタリア語版(全4幕)
84年1月10日のミラノ・スカラ座での上演にそなえ、大幅な改訂が行なわれた。バレエ音楽やそれまでの第1幕を全面カット(カルロのアリアのみが歌詞を変え、移調したうえで新しい第1幕に残された)して全4幕とし、また多くの場面の音楽を改訂、また台本もデュ・ロクルとアンジェロ・サナルディーニによって更なる改訂が行なわれた。内容的、音楽的に凝縮され密度の濃い版となったこともあり、特に1970年代以前はよく採用されていた(カラヤンなども好んで用いていた)。ヴェルディと関係の深いヨーロッパ有数の音楽出版社・リコルディ社から楽譜が出版されたため、“リコルディ4幕版”とも呼ばれる。

『ドン・カルロ』(Don Carlo )はジュゼッペ・ヴェルディ作曲による歌劇。パリ・オペラ座の依頼により、1865年から1866年にかけて作曲、全5幕の歌劇として1867年3月にオペラ座にて初演した(フランス語では『ドン・カルロス』Don Carlos)。

ヴェルディの23作目の歌劇(ヴェルディの創作期間の中では中期の作品に分類される)。原作はフリードリヒ・フォン・シラー作の戯曲『スペイン王子ドン・カルロス』(1787年作)。

16世紀のスペインを舞台に、スペイン国王フィリッポ2世(バス/実在のスペイン国王フェリペ2世)と若き王妃エリザベッタ(ソプラノ)、スペイン王子ドン・カルロ(テノール)、王子の親友ロドリーゴ侯爵(バリトン)、王子を愛する女官エボリ公女(メゾ・ソプラノ)、カトリック教会の権力者・宗教裁判長(バス)たち多彩な登場人物が繰り広げる愛と政治をめぐる葛藤を壮大で重厚な音楽によって描いている(役名はイタリア語版による。フランス語版では、それぞれフィリップ、エリザベート、ドン・カルロス、ロドリーグ、エボリ)。

フランスのグランド・オペラの形式で書かれたこともあり、設定が大規模で、充実した出演者を多数必要とする。そのため、現代では採算上の問題から祝祭的な時期などでなければ上演が難しく、ヴェルディの他作品に比べて上演機会は多くないが、重厚な音楽によってヴェルディ中期の傑作として高く評価されている。 

オリジナルはむろんフランス語だが、初演の同年6月、ロンドンでイタリア語による初演が行なわれて成功し、また同年10月にはボローニャでイタリア初演となってこちらも成功。その後もたびたびイタリア語で上演され、その際ヴェルディも再三にわたって曲を改訂してより上質な上演を目指してきたため、現在ではイタリア語版『ドン・カルロ』の方が多く上演される。

低声歌手の活躍する歌劇として知られ(題名役はテノールだが)、フィリッポやロドリーゴ、エボリには難曲ながら魅力的なアリアや、深く内面を語る音楽が与えられていて、低声歌手たちの演唱の充実ぶりが上演全体の成否に大きく関わっており、それぞれの役はイタリア・オペラをレパートリーとする低声歌手にとって目標ともなる大役である。

19日(土) 18:00開演
ミューザ川崎シンフォニーホール5周年記念公演
ズービン・メータ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団出 演指揮:ズービン・メータ
ヴァイオリン:フォルクハルト・シュトイデ
チェロ:タマシュ・ヴァルガ
ヴィオラ:クリスティアン・フローン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
内 容R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」op.35
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」op.40
※指揮者の希望により、当初発表した演奏順を変更いたします
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変更
スカラ座 キャスト変更が
スカラ アイーダ
ドン・カルロ

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 NHKBSで放映・・・予習、復習が出来ますね
2009年 9月7日 (月) 01:00~04:10 ミラノ・スカラ座 Bモード・ステレオ
歌劇「ドン・カルロ」    ( ヴェルディ )
イタリア・ミラノ、スカラ座での公演から、ヴェルディの代表作・歌劇「ドン・カルロ」を放送する。
スカラ座は1778年に完成したオペラ劇場。 イタリア・オペラの殿堂であり、 古今数多くの名作オペラの初演を行ってきたオペラ座の代名詞というべき劇場である。
歌劇「ドン・カルロ」はヴェルディ中期の傑作で、パリ・オペラ座の依嘱によりフランス語で作曲された。 のちにイタリア語版として改訂、現在はイタリア語による上演の機会が多い。 本公演もイタリア語による上演である。
フィリッポ二世 (スペイン王) : フェルッチオ・フルラネット
ドン・カルロ (スペイン皇太子) : ジュゼッペ・フィリアノーティ
ロドリーゴ (ポーザ侯爵) : ダリボール・イェニス
宗教裁判長 : マッティ・サルミネン
修道士 : ガボール・ブレツ
エリザベッタ・ディ・ヴァロア : フィオレンツァ・チェドリンス
エボリ公女 : ドローラ・ザージック
ほ か
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合 唱 : ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽 : ミラノ・スカラ座管弦楽団
指 揮 : ダニエレ・ガッティ
演 出 : シュテファン・ブラウンシュヴァイク (新演出)
[ 収録: 2008年12月7日, ミラノ スカラ座 ]

25日 戦争レクイエム  ・サイトウ・キネン  19時より

2009-08-26 | 水戸室内 ・サイトウキネン
     松本・文化会館       2F・10-36・17,000円・妥当な額

 初見で聴き慣れてないので、前半の旋律感では、音楽に入り込めなかった、ただ合唱の歌わせ方等、作曲者の音楽創造の才を感じたかな、・・席に恵まれ、R側から、 SKF松本児童合唱団の賛美歌的?・・天使が、天国に導く・・美しい響きです

 合唱も良く歌い込んでいて、美しい低音声域と高音声域に力強さを兼ね備えていたと感じました・・
 大きなオケ編成は合唱付きとソプラノが主で、小編成では、テノール、バリトンのソロ歌唱・・対話が進む・・感じが、
 小オケは室内楽編成的で弦楽五重奏+ホルン、ファゴット、クラリネット、オーボエ、フルートにハープ、パーカッションが奏で、其れに歌唱が入る・・
 私は、後半、時間にして25分ほど・・音楽に惹きこまれました、小編成と歌唱のアンサンブルに長け、聴き応え十分でした・・矢部さんのソロとテノールの声質の美しさに痺れました
 コンマスは豊嶋さん(新日フィル・コンマス)、小編成に矢部さん(都響コンマス)とお馴染みの顔ぶれです・・

 サイトウキネンを聴くのも何年振りかな・・・顔ぶれが大分変ってますが、奏者若手の育成も目的ですね

25日 戦争レクイエム
ソプラノ: クリスティン・ゴーキー
テノール : アンソニー・ディーン・グリフィー
バリトン : ジェイムズ・ウェストマン
 合唱 : SKF松本合唱団
東京オペラシンガーズ   栗友会合唱団
 児童合唱 : SKF松本児童合唱団
 演奏 : サイトウ・キネン・オーケストラ
 指揮 : 小澤征爾 サイトウキネン結成当初の動画 19時開演
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今年は生々しい反戦の音楽=サイトウ・キネンで小沢征爾総監督-長野・松本〔地域〕8月18日14時6分配信 時事通信
 18日開幕のサイトウ・キネン・フェスティバル・松本を前に17日午後、総監督を務める指揮者の小沢征爾さん(73)が長野県松本市入りし、今年2月に県内で公募した児童合唱団などと合唱のリハーサルを行った。
 小沢さんは今回上演する「戦争レクイエム」について、「今年はほんとに反戦の、平和主義とかじゃなくて、生々しい反戦の音楽を僕たちは選びました」と記者団に語った。
 「戦争レクイエム」はイギリスの作曲家ブリテンの代表的な声楽作品。テノールとバリトンがそれぞれイギリス兵とドイツ兵を演じ、敵対する兵士のやりとりを通じて、第2次大戦を生々しく歌いあげ、戦争の悲惨さを訴える。小沢さんが日本で「戦争レクイエム」を指揮するのは、終戦40年の1985年に広島などで公演して以来初めて。
 今年で18回目を迎えるサイトウ・キネン・フェスティバル・松本は、9月9日まで長野県松本市などで開かれる。
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 戦争レクイエム』(せんそうレクイエム、War Requiem)は、ベンジャミン・ブリテンの作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)である。ブリテンの代表作として筆頭に上げられる。彼の集大成とも言えるこの作品は、単に第二次世界大戦の犠牲者の為のレクイエムではなく、だからと言って通常の教会音楽でもない。
 ブリテンはこの曲のスコア冒頭に次のような、詩人ウィルフレッド・オーウェンの一節を書き記している。
 私の主題は戦争であり、戦争の悲しみである。詩はその悲しみの中にある。詩人の為しうる全てとは、警告を与えることにある。
この文は「戦争レクイエム」の持つ性格を端的に現しているだけでなく、戦争を二度と繰り返さない為の作者の深い祈りがこもっている。


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サイトウキネン
座席表
サイトウキネン奏者の方 島田さんブログ
長谷部 チェロ奏者 ブログ・
オノ・ヨーコ 談 オノさんが目を輝かせて波の話を始めた。「2人の科学者が研究した。小石を投げ込んだり、波打ち際で子供がポチャポチャ遊んだだけで、世界中の海に伝わるという結論が出た。あなたの考えや発言は世界に影響するんです。すごいでしょ?」
 「この複雑な社会では一人の英雄では解決できない。一人一人ができるだけの勇気を持ち、ほんの少しいいことをしたら、世界は美しくなる」

戦争レクイエム この曲は名目上、1962年5月に英国ウォリックシャーのコヴェントリーにある聖マイケル教会に新たに建立された大聖堂の献堂式を行うために、この教会の委嘱によって書かれた。この教会自体も第二次世界大戦中の1940年、ドイツ空軍の大空爆によって破壊されたのであった。この空爆はその後「空爆で破壊する」という意味を持つ conventraize という新しい動詞を生み出すほどの有名なもので、いわばイギリス国民にとって第二次世界大戦を象徴すると言っても過言ではないほど悲惨な体験の一つであった。これは日本が1945年3月の東京大空襲を受け、「空襲」といえばこれを指す事に通じるものがあるだろう。ブリテンは1960年後半から、作曲中であった他作品を中止してこの作品に取り組み、1961年12月に完成させた。そして予定通り1962年5月30日の献堂式に初演された。
初演
ブリテンはこの大作の初演のソリストを、ソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、イギリスのテノール、ピーター・ピアーズ、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとすることを初めから考慮して作曲したといわれる。第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の中心的交戦国であり、戦争の恐怖と被害を身に沁みて体験したこれら三国の最も優秀な歌手を一堂に集めることで、真の和解を確認して平和への誓いを固めたいという願いからだった。折りしも1962年といえば冷戦の真っ只中であり、そうした時代に初演を迎えるからこそ意義のあった作品である。
 しかしガリーナ・ヴィシネフスカヤは、夫であり作曲者の友人でもあったムスティスラフ・ロストロポーヴィチの急病とソ連当局の出国停止命令により渡英不可能となり、コヴェントリー聖マイケル教会における実際の初演(1962年5月30日)は次のメンバーで行われた。
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21日 オペラ「班女」一幕(英語上演 字幕付)

2009-08-22 | 藤原歌劇団 ・二期会
 21日 サントリーホール 小ホール      6-16・5000円・安い
サントリー音楽財団創設40周年記念
サマーフェスティバル2009 MUSIC TODAY 21
監修=岡部真一郎/白石美雪/舩山隆

 念願の班女を聴けました、異空間の世界は神秘・・性を超越した愛?・・
後二回公演が、2004年エクサンブロヴァンス音楽祭・委嘱・初演、大野和士指揮で初演でした、NHKの映像を観たのですが、聴きたい、観たいと深く想いながら、早5年も経過しているとは・・
 日本人の作曲家であり海外で高い評価されいて作品で、欧州では既に20回ほど公演をしているとか、やっと日本の地で公演にこぎ着けてくれた感じですね。

演奏前に、細川さんから解説が10分程、19時ー20時30分

 舞台の作りから左側の方々は歌手の導線から声が側面、やや後ろから聴く観る感じも
花子 実子 吉雄 の関係と、音楽、照明、人物の動きから・・陰影感、呼吸感と素晴らしいですね
扇が鍵を・・扇を何時も離さず、持ち続ける事が・・待ち焦がれた吉雄の想い
されど、 待つ 待つ 待つ あの人は いまだに こない 
 花子・気がブレてた 心理描写、顔の表情が,一瞬真ともになったり・・一途に待つ、待つ、諦めきれず・・扇が吉雄の分身に・・演技、歌唱、日本語の台詞と心理描写が素晴らしい・半田美和子

 花子は 待つ 待つ 待つ・・花子が美しいのは、待っていたお陰で世の中の美しいものが全てそなわったためだ と語る・実子

 花子と実子の関係は 同性でありながら、性を超越した・・愛、想い?

吉雄が何年振りに、花子に会いに・・実子は中々会わせようとしない心理は?
 吉雄と実子との対話・・対峙から・・恋 の人・想う 人のとり合い、錯綜した心理が・・実子・フレドリカ・ブリレンブルクの、悲しい、嫉妬?表情の変化、歌唱、語りが素晴らしい・・吉雄が花子を連れ戻すのを諦め・・実子の誇った想い??・・顔に幸福感が漂う・・この心理は??
 この重唱対峙も聴きどころ、見どころですね・・

 花子は 私は 待ち 日は暮れる 
 実子は 私は 待たない・・・・・・・・・素晴らしい人生・・闇 闇 
  心は二辺往来 闇 明・・虚像と実像

細川俊夫(台本・作曲) :オペラ『班女』一幕(英語上演、字幕付)―三島由紀夫作ドナルド・キーン翻訳近代能楽集「班女」による

指揮 ヨハネス・デビュス
出演 ルカ・ヴェジェッティ(演出・衣裳プラン)、

半田美和子(花子/S)、
フレドリカ・ブリレンブルク(実子/M-s)、
小森輝彦(吉雄/Br)
演奏 東京シンフォニエッタ

第39回サントリー音楽賞記念公演
Commemorative Performances of the 39th Suntory Music Award
<細川俊夫>
<Toshio Hosokawa>
オペラ「班女」一幕(英語上演 字幕付)
Opera one act(sung in English)
台本・作曲:細川俊夫  三島由紀夫作<近代能楽集「班女」>

(ドナルド・キーン翻訳)による
Text and Composition:Toshio Hosokawa based on <Hanjo> , Yukio Mishima’s Modern Noh Play translated by Donald Keene
2009年8月21日(金) 19:00開演
       23日15時 26日19時 後ニ公演が
サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

NHKの映像から・・


『班女』- 上演履歴初演: 2004年7月8, 10, 12, 14, 16, 17, 19, 20, 23, 25日 - エクサンプロヴァンス音楽祭2004、ジュ・ドゥ・ポム劇場(エクサンプロヴァンス、フランス) - インゲラ・ボーリン/ゾフィー・カルトホイザー(花子) リッリ・パーシキヴィ/フレドリカ・ブリレンブルク(実子) ウィリアム・デイズリー(吉雄) アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル演出、モネ劇場室内管弦楽団、大野和士(7月8, 10, 12, 14, 16, 17, 19, 20日)/ジョルジュ=エリー・オクトール(7月23, 25日)指揮

2004年9月7,8,9,10,11,12日 - モネ劇場(ブリュッセル、ベルギー) - インゲラ・ボーリン(花子) リッリ・パーシキヴィ/フレドリカ・ブリレンブルク(実子) ウィリアム・デイズリー(吉雄) アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル演出、モネ劇場室内管弦楽団、大野和士(9月7,8,9,12日)/ジョルジュ=エリー・オクトール(9月10,11日)指揮

2005年8月6日 - カンプナーゲル(ハンブルク、ドイツ) - ゾフィー・カルトホイザー(花子) リッリ・パーシキヴィ(実子) ヤーロン・ヴィントミュラー(吉雄) ルカ・ベゲッティ演出、ムジークファブリーク、大野和士指揮

2005年12月16、18日 - ポルトガル国立歌劇場(リスボン、ポルトガル) - ゾフィー・カルトホイザー(花子) フレドリカ・ブルンブルク(実子) ルイ・ロドリゲス(吉雄) アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル演出、ポルトガル交響楽団、ホアン・パウロ・サントス指揮

2007年5月12, 22, 27日、6月3, 6, 13日 - ビーレフェルト歌劇場(ビーレフェルト、ドイツ) -  Victoria Granlund(花子)Lien Hageman(実子)Peter Schone(吉雄)パトリック・シマンスキ演出、ビーレフェルト歌劇場管弦楽団、ケヴィン・ジョン・エデュセイ指揮

2008年3月5, 9, 12, 14日 - フランス国立リヨン歌劇場(リヨン、フランス) - クレア・デボノ(花子)、フレドリカ・ブリレンブルク(実子)、アンドリュー・シュレーダー(吉雄)アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル演出、フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団、ヨハネス・デーブスの指揮

能 班女
ドナルド・キーン
近代能楽集
初出:新潮社 1955年(昭和30)1月「新潮」
初収:新潮社『近代能楽集』1956年(昭和31)4月30日 初版

近代能楽集の5作目。恋人を待ちつづける女性の愛と狂気を描く。
 男が残した扇を大事に抱きながら、男との再会を待ち続ける花子。その花子を独占することを自らの幸福とする実子。そこに男が現われるが、花子は私が待っていたのはあなたではないと言う。愛という狂気は、対象となる相手の男を通り越して、日常的な人間世界の外へ飛翔したのだ。「サド侯爵夫人」の結末を連想させる幕切れは鮮烈な印象を与える。実子の孤独と夢想を生々しく強調したジュネーブのゴデールによる演出もある。
 同時代執筆作品(1955年) 「沈める滝」「海と夕焼」「商い人」「山の魂」「危険な関係」などa href="http://miwako24.blog114.fc2.com/">半田さん ブログ班女 批評

11日 大野和士のオペラ・レクチャーコンサート  テーマはなんと《嫉妬》! 

2009-08-15 | 大野和士・パーヴォ・・パッパーノ
8月11日 5-8・3,000円・安い
大野和士のオペラ・レクチャーコンサート

 今回も伸び盛りの歌手とベテラン歌手の饗宴でした、大野さん登場、嫉妬に狂って、凄い形相でピアノに向い・・苦い喜び、甘い責め苦を 弾きはじめる
 毎回大野さんの演技も 大うけです

1曲目「苦い喜び、甘い責め苦を」メゾソプラノ西明美・・・
 歌唱力、大人の感情表現と云うのでしょうか・・心の揺れ、恋焦がれたあの方へ・・期待、諦め、・・燃えた心は愛・・愛の変質が嫉妬へ・・変質した心が恋敵へ・・殺意へ
 (官能のうずき 甘美な拷問 ゆっくり訪れる苦悶 突然襲ってくる鬱 熱情 狼狽 動揺 興奮 恐怖 それが この愛する 心に期待を 持たせる!対訳より訳・小畑恒夫)

2曲目 ネッダとシルヴィオの二重唱  「シルヴィオ!こんな時間に」
  ソプラノ文屋小百合 バリトン須藤慎吾・・最近愛の妙薬で 須藤さんを聴き・・歌唱力がある方と感じてました、再認識ですね、素晴らしいバリトンです
 方や文屋さん初めて聴きました、低音声域が綺麗ですね・・
見つめあい 愛・・でも・・フウリン 不倫関係の愛?恋?浮気心から・・本気に?
(おれお誘惑して 欲望に身もだえしながら?(シルヴィオ)
見つめられ 私はわけがわからなくなったのよ!(ネッダ)
) あなたが好き あなたが好きよ(ネッダ) おまえが好き おまえが好きだ!(シルヴィオ)・・熱い抱擁を交わしているのを・・・ 

ネッダの夫カニオ・笛田博昭 この浮気場面を目撃・・嫉妬に狂う カニオ・・道化を演じ、嫉妬に狂い、芝居と現実の心が錯綜する 
 カニオ・衣裳を着けろ・・(言葉も演技も思い出せないというのに! ああ おまえは自分が人間だとでも? おまえは道化師しゃないか!衣裳をつけろ 白粉を塗れ)・・泣き崩れ・・泣きの演技と名唱が・・・笛田さん 熱い拍手を受けてました・・此処で大野さんの演技指導?もあり、泣き顔、泣き崩れ・・名演技です・・・ 
 全曲はNHK・BSでご覧下さい・・NHK営業課・笑い

3曲目 ヴェルディ:歌劇《アイーダ》より
第4幕アムネリスのアリア 
  「いとはしい恋敵は~ああ、死んでしまいそうだわ・・」
 エジプト軍を率いる若き将軍ラダメスは女奴隷アイーダと相愛 王の娘アムネリスは嫉妬する 凱旋したラダメスの褒美は王の娘を妻とすることだった・・アイーダとの脱走を決意したラダメスは、思わずエジプト軍の機密事項を漏らしてし・・、

囚われ・・愛するアイーダは・・ラダメスとの愛を 死を持って・・

ラダメス ラダメス おまえは 祖国の秘密を外国人に漏らしたな・・ランフィス

ラダメス ラダメス おまえは誓いを破った 祖国と王と名誉を裏切ったな・・ランフィス  ・・裏切り者・・祭司・男声

祭司よ あなたが殺すこの人は ご存じのように かつて私が愛した人です
ひどく苦しんだこの 心の呪いは・・アムネリス

 彼は裏切り者!死ぬのだ!・・ランフィス・祭司

アムネリス、メゾソプラノ:西明美  
ランフィス・バス:ジョンハオ・・声量豊かで、素晴らしいバスです  
 来月スカラ座公演で観に行く予定で・・全曲は日本公演スカラ座、プラハ国立歌劇場でも

マスネ:歌劇《ウェルテル》より
第3幕 ウェルテルのレチタティーヴォとアリア  
    「なぜ我を目覚めさせるのか、春風よ」テノール西村悟
 フランス物の風は・・爽やかなな軽い風を感じさせますが・・
 11月大野指揮で公演がありますね・・楽しみです

ヴェルディ:歌劇《オテロ》より
第2幕 オテロとイアーゴの二重唱
テノール:松村英行・・強靭な高音声域ですね
バリトン:須藤慎吾・・憎らしい性格、演技が素晴らしいです、既に自分のものにしてますね。
 新国立でもオテロ公演がありますね

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「世界のマエストロが自らピアノを弾き、歌手たちの熱唱とオペラの醍醐味を紹介する神奈川県立音楽堂の人気企画!
今回のテーマはなんと《嫉妬》! オペラでは、この「愛の泥沼」の世界をどう表現しているのでしょうか。
マエストロ大野の鋭い読み解きにご期待ください。」


チレア:歌劇《アドリアーナ・ルクヴルール》より
第2幕 ブイヨン公爵夫人のアリア「苦い喜び、甘い責め苦を」
メゾソプラノ西明美

レオンカヴァッロ:歌劇《道化師》より
第1幕 ネッダとシルヴィオの二重唱  「シルヴィオ!こんな時間に」
  ソプラノ文屋小百合 バリトン須藤慎吾
レオンカヴァッロ:歌劇《道化師》より
第1幕 カニオのアリア  「衣裳を着けろ」
テノール笛田博昭
ヴェルディ:歌劇《アイーダ》より
第4幕アムネリスのアリア 
  「いとはしい恋敵は~ああ、死んでしまいそうだわ・・」
メゾソプラノ:西明美  バス:ジョンハオ
~休憩~
マスネ:歌劇《ウェルテル》より
第3幕 ウェルテルのレチタティーヴォとアリア  
    「なぜ我を目覚めさせるのか、春風よ」テノール西村悟

ヴェルディ:歌劇《オテロ》より
第2幕 オテロとイアーゴの二重唱
テノール:松村英行 バリトン:須藤慎吾

大野和士(お話とピアノ)
文屋小百合(ソプラノ)  西明美(メゾ・ソプラノ)
テノール・松村英行、笛田博昭、西村悟 須藤慎吾(バリトン)
大阪  ブログ
加藤氏・大阪 オペラ・レクチャー

モナコの 衣装を
須藤バリトン歌手 HP
東京フィル HP 笛田さんが第九で歌います
二期会HP文屋小百合 が 蝶々夫人を歌います
プラハ国立歌劇場 アイーダ
NBS
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NHKBSで放映   
NHK 番組表
カラヤンの芸術 Bモード・ステレオ
歌劇「道化師」 全1幕   ( レオンカヴァルロ )
8月17日(月) 02時59分30秒~04時17分30秒  [1時間18分00秒]
1908年4月にオーストリア・ザルツブルクに生まれた ヘルベルト・フォンカラヤンの遺した演奏を紹介する。
カラヤンはその演奏の多くを、35ミリフィルムに記録した。 フィルムが本来持っていた生々しい演奏の実像を余すところなく伝える。

ネッダ (女優・カニオの妻 劇中劇ではコロンビーナの役) : ライナ・カバイヴァンスカ
カニオ (座がしら 劇中劇では道化師の役) : ジョン・ヴィッカーズ
トニオ (のろま役の喜劇役者 劇中劇ではタデオの役) : ピーター・グロッソップ
ペッペ (喜劇役者 劇中劇ではアルレッキーノの役) : セルジョ・ロレンツィ
シルヴィオ : ロランド・パネライ
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合 唱 : ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽 : ミラノ・スカラ座管弦楽団
指 揮 : ヘルベルト・フォン・カラヤン
演 出 : パウル・ハーガー
美術・衣装 : ジョルジュ・ヴァケヴィッチ
監督 : ヘルベルト・フォン・カラヤン
[ 収録: 1968年5~6月, ミラノ・スカラ座 (イタリア) ]
- 制作:UNITEL (1968年)-
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2009年8月15日 終戦記念日 64年が経過して、戦争体験の方々が少なくなっている日本ですが  世界では、民族・宗派対立 で人が人を殺しあっている・・人間の平和は・


大野さん 秋の来日コメント