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17日 ニュルンベルグのマイスター  観てきました

2005-09-18 | 新国立オペラ・・
                  新国立  4FR2-1・7350円ヤヤ高い
私の感性では 良さが判らない・・残念
指揮者 音型 旋律 に歌が無い? オケは弦 チェロ バスのシナヤカ・厚みある響きはⅡ幕全体Ⅲ幕の出足等ブラヴォーである・・オケが歌っているかな?歌唱が良いかな?個別事に 聴くと・・良いかな・・
全体から伝わる 何かが 音楽波動? 共振性? に
この長いオペラ あと5回公演が・・良くなると思われるが 歌手陣・オケが 今が絶好調と感じさせる?・・思い過ごしで有れば

指揮 オケ 歌手陣に・・壁を取り払い 芸術の高みに 
マイスター・棟梁・匠 極みに仕上げて活ける??

作曲・台本 : リヒャルト・ワーグナー
指揮 : シュテファン・アントン・レック ○ 演出 : ベルント・ヴァイクル○
美術 : フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳 : メヒトヒルト・ザイペル     照明 : 磯野 睦
舞台監督 : 大澤 裕 合唱指揮 : 三澤洋史

合唱 : 新国立劇場合唱団
管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団○
キャスト
◎ハンス・ザックス : ペーター・ウェーバー
◎ファイト・ポーグナー : ハンス・チャマー
○ヴァルター・フォン・シュトルツィング : リチャード・ブルナー
◎ダーヴィット : 吉田浩之    ○エーファ : アニヤ・ハルテロス
クンツ・フォーゲルゲザング : 大野光彦
コンラート・ナハティガル : 峰 茂樹
ジクストゥス・ベックメッサー : マーティン・ガントナー
フリッツ・コートナー : 米谷毅彦
バルタザール・ツォルン : 成田勝美  ウルリヒ・アイスリンガー : 望月哲也
アウグスティン・モーザー : 高橋 淳   ヘルマン・オルテル : 長谷川 顯
ハンス・シュヴァルツ : 晴 雅彦   ハンス・フォルツ : 大澤 建
マグダレーネ : 小山由美    夜警 : 志村文彦


・スタンダールスカラ座にての書から 

2005-09-18 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・
スカラ座 スタンダール
一八一八年一月一日
スカラ座の出し物は七時にはじまった 夏は八時四十五分からはじまる 出し物は最初が「泥棒かささぎ」の一幕で それは七時から八時十五分までつづいた ヴィガノの「巫女」のバレーは  バッレリーニ嬢とモリナーリが演じていた 八時半から十時まで続いた 「泥棒かささぎ」の二幕は十時十五分から十一時十五分まで そして最後に「カルツォライア・靴屋」このヴィガノの 小 バレー・ブッファにたいして観客は第一日目は自尊心から口笛で野次ったが 
次にはうっとりとして見たというのも
そこには新しさがあったからだ・喜劇のジャンルにおける新しいものは 
初日には必ず 自分を大事にする観客から野次られる 
この小バレーで見せ物は終わったが 終わったのは十二時と一時のあいだであった 毎週この小バレーには新しい踊りが登場する

オペラの各場面 バレーの各場面のためにスカラ座では新しい舞台装置をつくる しかもその場面の数はつねにおびただしい・・・

2003年09月08日 09時55分43秒


スカラ座 スタンダール
風俗について・賭け・・
国王たちは劇場にいくばくかの 金を与えている それというのも これは慣習であり かって行われたことのすべてが今なお行われる必要があるからだ だが彼らはそれを不熱心にいやいや行う オーストリア皇帝はスカラ座に二十万フランを与える
公然の賭博がスカラ座やサン=カルロ劇場の栄光を生み出した 劇場に隣接した広い部屋にファラオーネやトランテ・カラントのテーブルがあった イタリア人は生まれつきの賭け事師だから 銀行家は上手な取引をして 劇場の金庫に大金を払い込んだ 賭博はとりわけスカラ座にとって必要であった スカラ座は冬の湿った季節には社交的な集まりの場所になる 毎晩 誰とでも確実に会える温かくて明るい場所は きわめて快適な施設である
オーストリア政府はスカラ座の賭博を禁止した
ナポリの賭博場を閉鎖した・・・
この二つの劇場は落ち目になり 劇場とともに音楽も駄目になる
ヴィガノがミラノに素晴らしいバレーをだすことができた1805-1821のは 賭博のおかげであった この偉大な人物の死とともに新しい芸術も命脈がつきた・・・

2003年09月08日 06時31分00秒


スカラ座 スタンダール
スカラ座は きわめてゆったりと座った観客を三五〇〇人収容できる 私の覚えているかぎりでは 二二〇の桟敷席がある 桟敷席では前の方に三人座れるが 初演の日を除いて お付きの騎士と彼を従えた夫人の二人しかみられない 桟敷席あるいは小サロンの残りの席は九人か十人を収容し これらの顔ぶれは一晩のうちにつぎつぎと変わる 
初演のときは静かにしているが それ以後は良い曲のときだけだ オペラを全曲聴きたい人たちは平土間に席をとる 平土間は広く 背もたれのある立派な椅子席がある たいへんゆったりとしていて イギリス人の旅行客は そこで二つの席にもたれて居眠りしている観客が二、三十人もいるのを見て憤慨する 
ふつうは定期会員である 入場と平土間の席につくのに毎晩五十サンチームほどかかる
桟敷席は個人所有であり べつべつに賃貸される
今日ではスカラ座の快適な桟敷席は年に六十ルイかかる イタリア王国が栄えた時代には二〇〇ルイした 桟敷席の所有権は それがどこに位置するかによって 一万八千から二万五千フランで売られる 二階の席が一番快適で一番高い

2003年09月07日 20時50分26秒


スカラ座 スタンダール
一八一六年十一月十二日
私は毎日スカラ座のディ・ブレーメの桟敷に行く
ブレーメ氏は非常に礼儀正し人なので 私はほとんど毎晩 彼の桟敷席に通い続けている 私はそこの紳士方にフランスの情報や モスクワ敗退 ナポレオン ブルボン家などにかんする逸話を提供し 彼らはその代り私にイタリアの情報をくれる 
私は桟敷席でモンティに会う
現在するイタリア最大の詩人だが 全く論理のない人だ 何か腹の立つこがあると彼はひどく雄弁になる モンティは五十五歳でまだなかなかの美男子だ 彼は親切にも自分の肖像を見せてくれた アンドレ・アッピアーニの傑作である モンティは十八世紀に蘇ったダンテだ・・

ブレーメ氏の前か後で 私は五つ六つの桟敷席を訪れる そこでの会話が哲学的な表現をとることはけっしてない パリでは何百万もっていても こんな 夕べをすごすことはできないだろう スカラ座の外では雨が降り あるいは雪が降っているとしても かまうことはない 上流社会はすべて この劇場の二〇四ある桟敷席のうち一八〇に集っている これらの桟敷席のなかで最も気持のよい・・桟敷席は おそらく「ミルラ」を作ったあの天才の娘であるニーナ・ヴィガノ夫人の席である・ヴィガノ舞踏家・振付師
(私はこの 気持のよい aimabe というフランス語を、生き生きした、陽気な、輝かしい、怠屈の反対、といった意味で使う)

2003年09月07日 11時21分40秒


スカラ座にて スタンダール
魂あるものなら誰でも イタリアは芸術の あらゆるジャンルにおける美の国であることを感じとることができる 親しい友よ あなたにはわざわざ証明してみせるまでもないことです
それに ここではありとあらゆる細々としたことが とりわけ音楽を優遇しているように思える
日中の激しい暑さの後に 生き物すべてを幸せに息つかせる冷気がおとずれる夕方となる 一日のうちの最も心地よい時刻 それが観劇の時である イタリアのどこでも だいたい午後九時と十時のあいだ つまり夕食から少なくとも四時間後だ
音楽は好ましい薄暗がりのなかで聴く 祭日以外の日には パリのオペラ座よりも大きいミラノのスカラ座にともるのは照明の明かりだけであるから 
暗い桟敷席では何をしようとおかまいなしであって 
桟敷席は小さな 閨房となる

2003年09月07日

ヴェルディ の オペラ 日本公演・2003
ヴェルディ1813年10月10日-1901
1847・3・14 フィレンツェ初演 マクベス・スカラ座
1887・2・5  スカラ座初演   オテロ・スカラ座
1893・9・2  スカラ座初演   ファルスタッフ・サイトウキネン

一八一八年におけるイタリア
ミラノの社交界
スカラ座 そこで夫人たちは毎晩 自分の男ともだちを迎え 自分に桟敷席でひときは輝いてみえる フランス人には思いもよらなむことであるが 桟敷席で彼女は来客の甘い言葉と愛撫の唯一の対象なのである
ミラノの大きな社交界ほど小さな町はない そこでは二百人の女性からなる一種の貴族社会のようなものが形つくらている 彼女たちはスカラ座に桟敷席を持ち 毎晩 馬車でコルソを散歩する モードと快楽の集まりであるこのサークルでは 全てが知られている 自分の桟敷席についた女性が観客席に投げかける最初の視線は 点検の一瞥である 
そして一八一四年の王国の崩壊いらい もはや新しい出来事はないから 彼女がもしほんの少しでも変わったことに気づけば もし 某氏が 某氏や某女と もはや向かいあっていなければ 彼女は自分の恋人の方にふりむき 男は平土間に降りてゆき さらには桟敷席を次々におとずれて・・つまり何か変ったことがないかを深ってくる 三十分もすれば 正確な情報がどれほど容易に手にはいることか あなたには想像もつかないほどだ 男は戻ってくると 某氏が何故いつもの席にいないかを夫人に教える

同じように小さな町の不幸を生み出すこの恐るべき お喋り あのうわさ話は 商人たちや その階層の女性たちが何のこだわりなく 平土間や他の人から 借りた桟敷席に出掛けて行く あまり豊かでない社会には それほど害にならないと思う

このスカラ座の貴族階級にうけいられるには 生まれは何の役にたたない ぜひとも必要なのは 財産と少しばかりの才知のみである 自分の桟敷席で愛人にかしずかれてうんざりしている身分の高い夫人もいる 差し向かいの邪魔をしにゆかないことが肝心だ

この社交界のもう一つの不都合 それは退屈で死にそうなこと 新しいことが何もないのだから 何を喋っていいかわからない

現に起こっていることを知らないので 政治的な議論は 憤激の叫びで終わる
一瞬の沈黙がおとづれ つづいてヴィガノのバレーが話題となる ミラノでは最下層の人々においてさえ パリで最近の陰謀が話題になる以上に 巫女(ヴェスターレ)やオテッロが話題となった

ロッシーニ 彼の音楽が表現する愛はほとんどオペラ・ブッファの愛とは言えない デズデモナとエミリアの最初の二重唱には 魅力的でモーツァルトに 匹敵する甘美な感受性がある 今日 ロッシーニだけがつくりえて パエルやスポンティーニ氏の全オペラよりも私には価値がある二十小節がある
序曲は魅力的で分かりやすく 何の共通点ももたない心さえひきつける だがオテッロのための音楽とは そうした特微を全部そなえたとしても それが必要とするであろうものからは依然として遥かに遠い モーツァルトの全曲やハイドンの 七つの言葉にもこのような主題に必要な深さが欠如している
イアーゴには恐ろしい音とあらゆる豊かな和音が必要である ロッシ-ニは そうしたものを書くにいたるまでには自分の言語に習熟していないように思われる 
しかも彼はあまりにも幸福であまりにも陽気でありすぎる
ロッシーニ 一七九二年生れ 26歳の時に
一八一八年九月十八日に書・・スタンダールスカラ座にての書から P49