徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツの難民受け入れ

2015年09月28日 | 社会

歴史的背景、法的根拠

ドイツが今難民を受け入れるのは、ナチス時代のユダヤ人迫害の反省からだ、とよくドイツ国外では報道されているようです。しかし、ドイツ各地で8月末から難民の世話のために活躍しているボランティアの方たちがそういうことを思っているわけではありません。むしろ、単純に「人助けしたい」「役に立ちたい」というごく普通の人間的な動機から動いていると言えるでしょう。
それでも、「ナチス時代の反省から」というのに根拠がないわけではありません。難民の受け入れはドイツの憲法である基本法第16a条「政治的に迫害されている者は亡命権を享受する」に基づいています。この条文こそが、ナチス時代のユダヤ人迫害の反省からできたもので、日本国憲法の第9条の非戦の誓いに相当すると言えます。この亡命権は、成立当初は第16条「市民権剥奪、外国への引き渡し」の第2項に含まれており、政治的迫害の被害者は国籍を問わず、ドイツに庇護権を請求できるよう定められていました。しかし、その無制限さが批判の対象となり、1993年に激しい議論の末、亡命権の部分を第16条から独立させ、第16a条として、いくつかの制限を付ける改定がされました。その制限とは以下の通りです。

1)欧州連合加盟国あるいはそのほかの安全な第3国を通って入国した外国人は亡命権を引き合いに出すことはできない(基本法第16a条第2項)
2)特定の出身国(いわゆる安全な出身国)の場合は、そこでは政治的迫害が行われていないと推測することが許される。亡命申請者がその推測を覆すことができる場合は、その限りではない。(第16a条第4項)
3)他国が欧州管轄協定の枠内において、亡命申請者の庇護に関して所轄権限がある場合はドイツにおける亡命権が制限または適用外とされ、亡命申請者はその申請の審査なしに当該国へ送還される。

広義の意味で「亡命権」は難民の地位に関する条約(いわゆるジュネーヴ条約)に基づく難民認定にも適用されます。

この条文の重要さはメルケル独首相の2015年9月11日のライニッシェ・ポスト紙のインタビューでの発言「政治的迫害を受けたもののための亡命の基本権は上限を知らない。それは内戦の地獄からわが国へ来た難民にも言えることです」(注1)にも表れていますし、先日9月27日のマインツで開催された異文化交流週間オープニングセレモニーでのガウク独大統領の演説の中で「ナチス時代からの教訓としてドイツの「政治DNA」に既に織り込まれている亡命権は我が国において、特別な意味がある一方、私たちの受け入れ許容量には、たとえその境界線がどこにあるのかまだ協議されてないにしても限りがある。」と明言されてもいます。(注2)

ドイツにこうした基本法条項があることは、ドイツが経済大国であることと共に難民たちをひきつける要因の一つになっていると言えます。
それに加えて、2015年8月25日、連邦移住難民庁は、シリア難民に関してはダブリン協定に基づく難民手続きから除外すると宣言しました。ダブリン条約に基づく難民手続きとは、難民が最初に難民登録をしたEU国で難民申請をしなければならない決まりです。これにより、ドイツへ入国した難民がドイツで難民申請できず、登録国へ戻されていましたが、この連邦移住難民庁の指針変更により、シリア人難民は登録国がどこであろうともドイツに留まることができるようになりました。この指針変更は、もともとはギリシャなどのキャパシティー超過の悲惨な状況に考慮したものでしたが、それでも周辺国に混乱を招くことになりました。なぜなら、難民たちが最初に入国した国に留まろうとせず、余計にドイツを目指そうとしたからです。「ドイツはダブリン協定を破棄した」という誤解も広がっていきました。そしてドイツへ向かおうとする難民たちとダブリン協定を守ろうとするハンガリー警察の間で衝突が起こり、ブダペスト東駅は難民に対して封鎖され、そこから電車でウィーンに向かおうとする難民たちを足止めしました。彼らはハンガリーでの登録及び難民申請を拒否していたため、駅周辺で野宿を続け、混乱を極めました。この状況を緩和させるためにメルケル独首相は8月31日、ドイツ国民にフレキシブルな対応を求め、ハンガリーから難民たちを引き取ることを決定しました。この件に関して事前の協議などはありませんでした。いわば彼女の独断です。この決定により9月5日以降毎日数千人単位で難民がドイツに入ってくるようになったのです。もちろん彼らの一部はドイツも通過してスウェーデンやイギリスに向かいましたが、大部分はドイツに留まり、難民申請手続きを開始することになります。

ドイツ人の難民に対する反応

既にニュースで世界中に報道されましたが、ハンガリーからオーストリアへ運ばれた難民たちは、そこで温かく迎えられ、食料や飲み物などを受け取って、更に特別電車でウィーンからミュンヘンへ搬送されました。9月5日のミュンヘン駅の様子はたとえばBBCニュースのビデオで見ることができます。ミュンヘン駅にはボランティアたち以外にもたくさんの市民が押し寄せ、難民たちを拍手で迎えました。子供にはチョコレートやぬいぐるみがプレゼントされ、実に微笑ましい光景でした。同じ光景が難民の到着したドイツ各地で繰り返されました。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、東ベルリン市民が恐る恐る西ベルリンへ向かった時、西ベルリンの市民たちが同じように拍手で歓迎した光景を思い出した方も多かったことでしょう。ドイツのWillkommenskultur「歓迎する文化」だとあちこちで語られました。

シリア難民の子どもがパッサウの連邦警察で待っている間に書いた絵。絵は連邦警察官に手渡された。

それでももちろんドイツ人もドイツ政府も一枚岩ではありません。メルケル独首相が「亡命の基本権に上限はない」と発言したのに対して、姉妹政党CSU(キリスト教社会主義連盟)党首かつバイエルン州首相であるホルスト・ゼーホーファーは即座に現実問題として受け入れ容量に限界があることやダブリン協定に基づく秩序が必要と批判しました。先に引用したガウク独大統領の言葉もゼーホーファーの言を受けるもので、メルケルへの批判と取れます。また難民の大量受け入れが始まって間もなく行われた世論調査でも、けして歓迎ムードばかりではないことが読み取れます。例えば9月11日のドイツ公営放送ターゲスシャウの世論調査では

「これほどたくさん難民がドイツに来るのは怖い」
   はい 38%
   いいえ 61%」
というように、不安を感じている人が4割近くいます。
もちろん、難民収容予定の建物への放火もドイツ東部を中心に相次いでいます。こういう行動に出るのはほんの一握りの過激派ではありますが、そこまで攻撃的な行動には移らないにせよ、難民たちにいい感情を抱いていない、あるいはたくさん受けいることに不安を感じているドイツ人は少なくないため、メルケルに対する批判も高まっています。彼女は「ハンガリーで立ち往生していた難民を受け入れたことは間違いだった」という国内批判の声に反応して、9月16日、
「もし私たちが今、緊急事態に優しい顔を見せることに対して謝罪しなければならないのだとしたら、それはもう私の国ではない」と発言しました。この発言にも賛否両論ありますが、私は少なくとも素晴らしいと称賛するような発言ではないと考えています。なぜなら、国民の約4割が抱いている不安や現実問題としてのキャパシティーや財力の限界という問題に何も答えていないからです。「私たちはできる」という精神論でどうにかできる問題ではないにもかかわらず、「それならもう私の国ではない」と感情的に批判を抑えてしまおうとするのは国を代表する政治家として褒められたものではありません。そういうことを反映してか、9月26日のシュピーゲル誌による政治家人気ランキングでこれまでずっとトップ独走していたメルケルは任期中初めて4位に落ちました。それに対して彼女を批判してやまないホルスト・ゼーホーファーは人気順位が上がりました(メルケルにはまだ遠く及びませんが)。人気1位となったのは外相フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー(67%)、2位は経済相ヴォルフガング・ショイブレ(65%)、3位はドイツ大統領ヨアヒム・ガウク(64%)、そして4位がアンゲラ・メルケル(63%)で、前回に比べて5ポイントの低下でした。(注3)

ドイツの今後の難民政策

難民の受け入れ姿勢は州によってかなりの差があります。特に旧東独5州は受け入れに消極的です。しかし、ドイツには国家的事業を行う場合の各州の負担率を定める「ケーニヒシュタイナー・シュリュッセル(ケーニヒシュタイン基準)」と呼ばれる各州配分基準があり、3分の2を税収、3分の1を人口という比率で各州の事情が反映されるようになっています。2015年度の配分率はノルトライン・ヴェストファーレン州が最大の21,24052%、次がバイエルン州15,33048%、バーデン・ヴュルッテンベルク州の12,97496%と続きます。難民の受け入れもこのケーニヒシュタイン基準に基づいて配分されるということが政府・各州間ですでに合意されています。連邦政府から州に対する経済的援助も9月24日の内閣・各州首相臨時会議で協議され、基本合意されました。詳しくは別のブログ記事をご覧ください。この基本合意に基づく法案が早急に提出され連邦議会及び連邦参議院で採決されることになっています。

今後のドイツの課題は、国内的には過激派の放火などの予防、難民審査期間の短縮、認定された難民のドイツ社会及び労働市場へのインテグレーション、難民支援とドイツ人貧困層支援との均衡を保つことです。対外的にはシリア難民を百万人単位で受け入れている周辺国の支援やドイツでの難民申請者の約半分を占めるバルカン諸国出身者たちに難民申請の道を閉ざす代わりに合法的な労働移住の可能性の拡大や、バルカン諸国自体への支援が考えられます。
シリア紛争自体の解決は短期的には無理だと思いますし、ドイツがフランスのようにISに対する攻撃をするとも考えられません。個人的にはアフガニスタンのように泥沼化するのではないかと恐れているのですが、ドイツが「建設的対話」でどこまで外交的成功を収めることができるのか今後注意深く見守っていくつもりです。

難民対策のまとめを読む

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注1:オリジナル記事はこちら
注2:演説内容はたとえばフランクフルター・アルゲマイネ紙に報じられている。興味のある方はこちら
注3:シュピーゲルのオリジナル記事はこちら