徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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ドイツ:コロナ対策~メルケル首相のTV演説(2020/03/18)と最新情報(2020/03/23)

2020年03月23日 | 社会

3月18日にメルケル首相が珍しく行ったTV演説は大きな反響を呼んでいます。
私は18日の夜中に演説テキストを入手し、朝方までかけて翻訳し、ブログ記事を作成してシェアしたのですが(こちら)、その反響が私の予想をはるかに上回り、23日時点での総閲覧回数が20万8824回に達しています。ピークは20日でしたが、びっくりしました。さすがメルケルさん、としか言いようがありませんね。
彼女の演説の骨格は、実は安倍首相の14日に行われた記者会見での演説とそう大きな差があるわけではありません。
現状説明、政府の取った措置やこれからとる措置の説明、感謝の言葉など。
でも、肉付けが全然違います。
これは文化の違いでもあると思います。日本の政治家スピーチは基本的に官僚言葉、つまりかなり難しい単語が使われていて、聞いたり読んだりしてパッと分からないことが多いのに対して、ドイツでは政治家のスピーチは普通のドイツ語だということです。市井の平均的な市民の普段の会話に比べたらもちろんお行儀がいい話し方とか、多少教養が漂う単語を使う傾向はありますが、日本語での政治家・官僚の言葉と市井の人の言葉の乖離ほど大きくないのです。

肉付けの面でもう一つ根本的に違うのは、目線の問題じゃないかと思います。アベシの方はわりと具体的な救済措置について言及しているのに、なぜか「やってあげてる」感が強く、「一緒に乗り越えましょう」的なメッセージが説得力なく上滑りするのに対して、メルケルは政策に関しては抽象的にとどまり、それよりも普通の人の「気持ちに寄りそう」感が強く、一人一人が何をすべきかを具体的に訴えています。「一緒に」の部分になぜ説得力があるかと言えば、彼女がその言葉だけではなく、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん、パートナー、子供、孫、医師を始めとする医療従事者ばかりかスーパーのレジの人や商品棚担当の人のことにまで言及しているからでしょう。そういう人たちを「ちゃんと見てるよ、考えてるよ」というメッセージが先にあり、それを踏まえての「一緒に」なのです。
言葉の上での乖離が無いから、余計にダイレクトに人の心に刺さるものがあるんじゃないかと改めて思いました。
私はメルケルの演説を耳で聞いた通りの印象のまま日本語に翻訳しましたが、もしこれを日本の「文化」を尊重して日本の政治家の演説風に翻訳したら(私には語彙不足でできないけど)、なんか全然別物になってたんじゃないでしょうか。

さて、先日22日、各州首相と連邦政府がビデオ会議(!)を行い、州バラバラではなく、全国で一致したコロナ対策を行うことで合意しました。すでに週末から各州ごとに移動の制限や集会の禁止などが通達されていたのですが、今日、23日より全国的に同じ制限が勧告ではなく、罰則付きの規則として発効することになります。
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