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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち  その4 軽便 井笠鉄道車内風景

2015年10月12日 | 昭和の遺物たち写真展
井笠鉄道の車内を撮った写真がある。
走行中に暗い車内、手持ちでシャッターを押している。
大伸ばしにしてもブレはあまりない。
こんな写真が今となっては撮っていてよかったとと思う。
服装も車両の風景も今では撮れない。
フィルムが潤沢に使えなかった。
撮っておけば自分の人生の思い出のページになると思い撮った。
時代がどう変化するかはその当時は想像できなかった。
パソコンが出来て写真を送ったり携帯電話やデジカメができる事など想像もできなかった


鉄道に乗るのは子供にとって楽しい思い出に残っていたであろう。

蒸気機関車 伯備線井倉の鉄橋

2015年10月11日 | 蒸気機関車
岡山県の高梁川は井倉周辺で何度も蛇行している。
国道は蛇行した川に沿って走っているが鉄道は敷設するスペースもなくカーブが小さすぎてスピードがだせない。鉄道は直線的に敷設されているので鉄橋とトンネルは欠かせない。
井倉周辺には川を横断する鉄橋が五本架っている。

この辺りの山は石灰岩で柔らかいの浸食され百メートル以上の垂直の崖になっている。
井倉峡と呼ばれている。合わせて石灰の採掘工場もあるので無粋な風景は入れずに撮影


北風が吹き蒸気が白く見えると蒸気機関車のシーズンだった。
ぼけーと汽車を待つなら周辺の風景や茅葺民家でも撮っておけば良かった。
時代の変化を撮影できたのに無駄な時間を過ごしたものだ。






岡山の茅葺民家 旧上斎原村の民家

2015年10月10日 | 茅葺き民家
上斎原村には茅葺き民家を撮り始めた初期の頃の撮影しか残っていないのでカラーの撮影はない。ここから数キロ人形峠を越えたら鳥取県だ。
大雪の頃にはチェーンを巻いて来た事もある。子供が小さい頃にもハイキングで来た事があるが茅葺が残っていたのに気付いていない。
人間は関心がなければ何も気づかないものである。
一生でそんなに関心を持たず生きる人もあれば次々と意欲的に活動する人がいる。
写真展をやっていて見に来てくれた人と会話するとよくわかる。
写真展に足を運ぶ人は物事に関心のある人で何かを得ようとする。
何歳になっても目標と関心と感動がある人は生気がみなぎっている。
 
 ニュースやテレビの番組。新聞の記事から関心のあるものをメモなりスクラップに貼りネタ帳をつくのがよいと思う。
二年前に蒸気機関車の写真展をしたときに私が昭和47年に蒸気機関車の写真展を倉敷でやった時の新聞記事をスクラップブックに貼ってもってきてくれた人がいた。父親と会場まで見に来てくれたという。その時は小学6年生だったそうだ。40年してまた写真展に来てくれ今もなお新聞記事をもっていてくれたのは嬉しい出来事だった。

茅葺き民家  島根県旧吉田村の民家

2015年10月08日 | 茅葺き民家
旧吉田村は雲南市
吉田村は田舎好きにはたまらない風景が残されていた。
都会好きには何とも退屈で刺激のない風景に映るであろう。
初めて吉田村を訪れ駆けずりまわった頃の感動は忘れられない。
しかし、人間は二度三度と見てしまうと感動は薄れてくる。
だが感動した一回目の写真がいいかというとそうでもない。
感動だけで細部を観察しないで撮っている。

長年茅葺ばかり撮っているとマンネリ化する。新しい刺激や感動を呼び起こすことが必要だ。
50年以上も活動をした人はどんな工夫をいれたものか

山際に一軒の茅葺き民家があった。日本昔話の絵のように一軒ポツンとある民家がいい。
大自然の中に一軒ポツンとある風景に出会いたいものだ。
人間は一軒で暮らすのは心細いものだ。津軽なども人は寄り集まり集落を形成して暮らしている。




日本茅葺紀行 NO,245 兵庫県猪名川町

2015年10月07日 | 日本茅葺紀行
猪名川町は兵庫南部の東の端、大阪府の能勢町に隣接している。この道がら数キロ走れば大阪府に入る。京都府にも近い。

猪名川には今は大きなスーパーもあり私も安心していける。
そんななか茅葺民家が残っているのはうれしい。
デジタルカメラを更新するたびに撮影に来ている。
おなじ家ばかり撮影しても仕方がないと思うが。
季節により周りの風景も違うし人に出会うこともある。

この家は小屋も茅であるお気に入りのオマケみたいで単独の家より絵になる。東北は曲がりやで元々、倉庫や馬小屋も母屋とセットになっている。
西日本では比較的目にする。
しかし茅葺民家の絶対数が減っているので貴重な物だ。

昭和の遺物たち  その3 軽便 井笠鉄道鬮場駅

2015年10月06日 | 昭和の遺物たち写真展
井笠鉄道を四回にわたりお送りします。
井笠鉄道は明治44年に開業笠岡と井原を結ぶ
一時は広島県の神辺や矢掛にも延線されていたが昭和30年代に廃止となる。
井原と笠岡間は昭和46年3月31日に廃止される。

車社会になり経営が悪化、バスに移行するがそのバス会社も客の減少で廃業となる。
井笠鉄道の鉄道遺産も売に出されるが骨董品としての価格ではなくスクラップとしての入札しかなく売却不成立になったようだ.

この機関車を入れてある機関庫も明治時代の建物かもしれない。
今思えば昭和40年代には昭和の遺産風景がゴロゴロしていたと思う。
古い物、懐かしい物、消えゆく物にはフィルムを惜しまずシャッターを押すべきであった。
いつの時代でもこれは古い、これは消えるだろう懐かしいと思ったものはシャッターほを押す。その古さや懐かしさの基準は自分の感性

徳島 小松島市の狸広場

2015年10月05日 | 日記
岡山のテレビ局に山陽放送というのがある。
その番組て自転車で各地を回るリンダリンダという番組がある。
家内が見ていたので私も見るようになった。最終回は香川、徳島と走り高知の室戸岬まで走った。途中小松島市で狸広場が紹介された。大きな狸の像があり拍手をするとバックの岩山が滝になって水が流れ落ちる。
墓参りに徳島に帰省したついでに見に行った。
昔の小松島駅あとがステーションパークになっている。その一角に狸広場がある。
ここには沢山の猫が暮らしている。避妊して餌も与えている。人が寄っても逃げない。
子供が猫と遊んでいた。蒸気機関車C12が展示してあるのに猫が乗っていた。

小松島港には産物の直売店がある。小松島名物の竹ちくわとハモの天ぷら3000円を買う。
京都ではハモは高級魚と言われているが沢山獲れるので大衆魚に近い。
岸壁で釣りをしていた。イワシ、アジをサビキで釣っている。晩御飯のオカズに食べる分、釣ったら帰る。路面がフラットで身障者トイレも近くあり車は横づけできるので私にも釣れそう。

岡山の茅葺民家 斜面にはりつく集落

2015年10月05日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧久米南町

旧の久米南町は棚田地帯である。
侵食された深い谷の斜面に集落が建ち並び棚田がある。
茅葺民家を探し斜面を削り造られた細い道路を走る。茅葺民家のある集落を対岸へ渡れる道を探し撮影する。
斜面がきついので広い道は造れない。
地形的には厳しい土地てある。
500ミリ以上の雨が降れれば深層崩壊で集落全体が崩落する危険もある。
全国に急斜面の集落はまだ沢山ある。
農耕地も狭く現金収入も少ない。今後も人が住み続けるであろうか
西日本ほど厳しい条件の土地に家が建っている。段々畑、棚田は西日本の象徴かもしれない。東北では土地が広いので棚田もすくなく急斜面の土地に家を建てない。

茅葺き民家  東広島市小屋のある風景

2015年10月04日 | 茅葺き民家
東広島市や大和町には茅葺の小屋があちこちに残っていた。
ほとんどが農作業に使う棒や杭、竹を保管していた。
こんな小屋がなぜか懐かしく感じる。
子供の頃に見た光景を思い出すのであろう。
時には青大将が資材の下にいたり捨て犬や捨て猫が泣いていた。
捨てられた犬や猫も必死にすがってくる。食べ物も貧しい時代であったがそんな犬猫を見捨てられなかった。帰ってごはんに削り節をかけた猫まんまを作りやりに行った。
昔の猫は人間の食べるものは何でも食べた。今の野良猫は猫まんまなど食べない。
学校から帰り道は見るものがあり道草ばかりしてなかなか帰れない。



日本茅葺紀行 NO,244 青森県つがる市の民家

2015年10月03日 | 日本茅葺紀行
津軽地方にはまだ沢山の茅葺民家が残る、日本でも数多くの茅葺民香の残る地域である。
一部の茅葺民家好きしか訪れない地域である。
こんな茅葺愛好家のニックネームを考えている。鉄道ファンなら鉄っちゃんや鉄女
茅リスト、茅ラー、茅探(かやたん)、茅巡り(かやめぐ) 茅好き(カヤスキー) いい名称が浮かばない。

住宅がごみごみ建て込んでいないところは電線や電柱、ガードレール、アスファルトの白線がなく風景が美しい。写真展に使う写真は大伸ばしするので電柱電線があるだけでうるさい風景になる。
津軽にも道路に沿って茅葺民家があるが電線が邪魔で妻側が道路に面しているので撮影スペースがなく絵にならない。やはり一軒屋で邪魔物のない民家に出会うと嬉しい。

私のところから津軽には1450キロある。1日では福島までだ。1週間はないと撮影時間が取れない。
私は荷物もあり時間が掛かっても車しか方法がない。
家内もいつまで長距離の運転ができるか分からない。もう一度行ってみたい。