特急おきは伯備線に初めて走った特急だった。
それまで山陰線で急行とし走っていた「おき」が特急に昇格した。
従来、地名は急行名であったが特急の増加で地名を付けた特急が増加したのもこの時期だった。
特急は鳥の名や色彩や気象用語などが多かった。夜行寝台は天体に関する名が付いた。
「おき」が登場したのは昭和46年4月だった。これは昭和47年3月15日の山陽新幹線岡山開業に合わせて姿を消して特急「やくも」に変更となる。
新幹線岡山開業に合わせての増便できるかの試行ではなかったと思われる。
「おき」はキハ82系のディゼル特急だった。やくもになりキハ181系が投入される。
伯備線にもまだ腕木式の信号機が残っていた。
それまで山陰線で急行とし走っていた「おき」が特急に昇格した。
従来、地名は急行名であったが特急の増加で地名を付けた特急が増加したのもこの時期だった。
特急は鳥の名や色彩や気象用語などが多かった。夜行寝台は天体に関する名が付いた。
「おき」が登場したのは昭和46年4月だった。これは昭和47年3月15日の山陽新幹線岡山開業に合わせて姿を消して特急「やくも」に変更となる。
新幹線岡山開業に合わせての増便できるかの試行ではなかったと思われる。
「おき」はキハ82系のディゼル特急だった。やくもになりキハ181系が投入される。
伯備線にもまだ腕木式の信号機が残っていた。
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