
撮影場所 徳島県上板町 国鉄、鍛冶屋原駅
鍛冶屋原線は高徳線板野駅からの盲腸線で鍛冶屋原までの6.9kmの路線だった。
赤字路線でも赤字係数の大きい路線であった。
盲腸線でもあり昭和47年1月16日に廃止となった。
この時期に兵庫県の篠山線や福島県り川俣線も廃止になった。
私は廃止になる前に鍛冶屋原線の切符を買いに行った。
この頃はほとんどが硬券で私は全国の入場券と一部乗車券を集めていた。
カメラは持っていったがほとんど撮影していない。
廃止路線や気動車には興味がなかった。折角、廃止路線に行ったのに馬鹿な事をしたと思う。
集めた硬券は人気があって昭和40年代のものは一枚30円の物が300円から500円でネットオークションで売れる。
鍛冶屋駅の木製改札とホームの写真
鍛冶屋原線は高徳線板野駅からの盲腸線で鍛冶屋原までの6.9kmの路線だった。
赤字路線でも赤字係数の大きい路線であった。
盲腸線でもあり昭和47年1月16日に廃止となった。
この時期に兵庫県の篠山線や福島県り川俣線も廃止になった。
私は廃止になる前に鍛冶屋原線の切符を買いに行った。
この頃はほとんどが硬券で私は全国の入場券と一部乗車券を集めていた。
カメラは持っていったがほとんど撮影していない。
廃止路線や気動車には興味がなかった。折角、廃止路線に行ったのに馬鹿な事をしたと思う。
集めた硬券は人気があって昭和40年代のものは一枚30円の物が300円から500円でネットオークションで売れる。
鍛冶屋駅の木製改札とホームの写真
国鉄末期頃の廃止路線ならほとんど覚えていますが、特に北海道の路線が随分寂しくなりました。
北海道を初めて訪ねたのはほとんど廃止された後で、その時乗って今ない路線は深名線くらいです。
その深名線の思い出も今では貴重なものになっていますね。雪深い時期だっただけに。
現在はオホーツク沿岸の鉄路はほとんど無くなりましたね。それでも全く撮影していないです。
北海道が廃線になる頃、私は鉄道趣味から足をあらっていました。