懐かしい岡山の風景 その7 早島町 2019年12月10日 | 懐かしい岡山の風景 岡山県の南部は海を干拓して農地にしたところが多い。中国地方は鉄の生産が盛んで、砂鉄採取のかんなながしを長年やったため土石が堆積して干拓地になった。大都市は人口増加に伴い干拓して土地を広げた。早島町も旗本の戸川家が干拓した。当初は塩に強い綿花やイグサを生産する。塩が抜け稲作の生産が出来るようになり人口も増え、倉を持つ民家も立ち並ぶ。海鼠壁三菱ミゼット学校帰り 今、女の子に声を掛け撮影していたらLINEで不審者の爺発見土塀茅葺民家と水路農家の納屋 #写真 « 山茶花の宿を唄う | トップ | 私の昭和鉄道遺産 その111 ... »
3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (きく) 2019-12-10 22:51:42 古代から中世、近世までの国内鉄の生産性が地形を変え、鳥取では砂丘を作った。人間の営みはもの凄いですね。 返信する Unknown (きく) 2019-12-10 22:52:04 古代から中世、近世までの国内鉄の生産性が地形を変え、鳥取では砂丘を作った。人間の営みはもの凄いですね。 返信する コメントありがとうございます (mihoshi55) 2019-12-12 11:45:12 タタラ製鉄も人間による自然破壊でしょうか。島根県の斐伊川もすごい土砂ですね。島根半島は島であったのが陸続きになり広い平野になった。鳥取の弓ヶ浜も斐伊川の土砂でできたのでしようね。洪水で宍道湖や中海の水位が上がるので出雲市に斐伊川の水を流すバイパスの川があります。斐伊川も本来は出雲市から日本海に流れていたのが土砂で埋まったと聞いていまます。山茶花の宿、ブログのネタに男女の愛のもつれまで何でも有りです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
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