懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

ラッキョ

2018年06月08日 | グルメ
ラッキョは戦前には薬用になるくらいで苦味が強く野菜として見向きもされなかった。

戦後カレーライスを日常的に食べられるようになりラッキョの甘酢漬けがカレーに合うのがわかりよく食べられるようになったそうだ。カレーには福神漬けも付けられる。これを考えた漬物屋は七つの野菜を混ぜ合わせた。胡瓜や大根、生姜など組み合わせた。
七の野菜から七福神にあやかって福神漬けの名が付いた。ネーミングもヒット商品には必要だ。
私もラッキョが好きで海苔のガラス瓶に3つ作っていた。年を越すと食感も味も悪くなるので一年で食べた。ラッキョを漬けるのも土付の方が美味しくできる。加工してくれてあるのはラッキョ酢に漬けるだけで簡単だが流通過程で日数が経過したり暑いところに置かれたものは塩水に漬かりすぎで柔らかく食感が悪い。
私の会社の同僚は塩漬けもせずそのまま甘酢漬けする。苦味の強い位が美味しいという。
彼が野原にある野蒜の球根を処理して味噌をつけて食べるとおいしいという。食べてこんな苦い物は食べ物ではないと思った。茹でればたべられか。
焼酎好きで味覚が麻痺しているのだろうと思った。ある番組で鹿児島の飲み屋のつまみは生のラッキョを刻み酢味噌で和えてチリメンジャコをふり掛けたものこれが旨いとみんな食っていた。きつい焼酎を飲んでいるので苦味も分からないのだろうか
3月4月の若いラッキョの球根はエシャロットと名付けられ生でも食べられるそうだ。

ラッキョ好きが高じて自分で栽培し10キロほど収獲した。
最初は球根を買った。品種のラクダは一個が10個から13個に分球した。
八房は小粒だが15個から20球に分球する。年々球根を増やし百球になった三年目からやっと甘酢漬けができるようになった。
ラッキョはどんな風に分球するのか切って断面を見て見た。玉ねぎは年輪のように輪があるだけだがラッキョは分球するだけの輪が10数個あるのだ。
秋に植えると分球の数だけ芽がでて分れて根を張りそだっていく。
ラッキョは砂地でも育つ誰でも作りやすい。しかし。成長中に鶏糞を掛けたら病気になった。
水仙を栽培している人や鳥取県のJAに電話したら有機肥料をやると病気になりやすい。
専用のラッキョ肥料があると教えてくれた。結局は化成肥料で栽培した。
何人かで借りた畑で作物を作っていた。その中の一人が休耕田を貸してくれるので何人かでやろうと誘われた。広いので草刈りが大変で乗りきでなかったが中半強制的にメンバーに入れられた。田圃の土は重く水分を含んでいる。雨の後はぬかるみだ。
こんなところで作物ができるのか思った。ある時、晩秋に散歩していたら竹を田圃に挿してその穴に玉ねぎの苗を植えている稲の切株は残ったまま。その数は何千本。畑を耕さなくてできるのですかと聞いた。これで十分できるという。無駄な労力を使わずアイデアマンだとおもった。
会社の仕事でもやらなくて良い事に時間を費やす。文章の8割は不要な作業という本がでていた。楽をして最大限の成果を得る事を学んだ。次の5月に見たら早生品種が立派な玉ねぎに成長していた。
田圃でも大体の物は作れると思った。畝を高くしてラッキョウ、里芋、サツマイモ。
玉ねぎも作ったがよくできた。