茅葺民家 雪の茅葺民家と集落 2020年01月20日 | 茅葺き民家 撮影場所 岡山県津山市加茂町今年は雪が降らない。岡山市はまだ雪の観測はない。今まで雪の無かったのは、1月19日だったが、これも更新し今後も雪は望めない。雪のイベントの予定があったが早々と中止になる。雪が降らないと、春から初夏の水不足や春の山火事が懸念される。雪の降る写真、川に並行して農業水路が走る。上流に堰をして取水し、勾配を利用して下に農業用水を流す。岡山もここへ来れば、山菜のコゴミが採れる。.
茅葺民家 老柿 2020年01月11日 | 茅葺き民家 雪景色のなか茅葺民家の脇に柿の木が植えてある。農家で柿木のない家はまずない。家の周りに植えて無くても畑の際や田圃の法面にうえてある。 持山の麓に植えている家もある。これは熊や猿の餌になるので熟れる前に収穫するか木を切り倒す家が多い。地域によっては嫁入に柿の苗を持って行かせ片隅に植えた。子供が生まれ果物として食べ、年老いて死んだら柿の枝で箸を作りそれで骨を拾う風習がある。柿の木は100年200年と、その家の歴史以上に生きる。冬寒の中に葉を落とした老柿、枯れ木のようにも見える。老いぼれた爺と同じだ。死に体かと思いきや、春になると葉が伸び枝が伸び花が咲き実をたわわけにつける。爺さんも死に体かとおもいきや貯金通帳に5000万円も持っている。大事にせにゃあ。
茅葺民家 岡山県旧大佐町尾原 2019年12月21日 | 茅葺き民家 岡山県の山間部の集落と集落を結ぶ細い道を一本一本走る。大佐町尾原も山の中のポツンと残る集落である。今は消滅の危機のある集落であろう。茅葺に住む人も、もっと便利な所に家を建て移り住むと云う。大佐町も町の中心地へ行けば、高速道路の中国自動車道も走っている。JRの鉄道も走っている。こんな山間地の集落を訪ね歩いても何になるのだろう。ガソリンタ代と時間を費やして何になるのだろうといつも自問自答する。少なくとも全国各地の田舎の暮らしの断片は見てきた。 行動しなければ茅葺民家にも出会えなかったし映像にも残らない。人生は行動の積算かもしれない。生きている限り行動する意欲が湧いてくる物を続けることか。茅葺民家の横をホッカムリした老人が杖を突き歩いてくる。生まれてこの地で暮らしてきたのであろう。学校はどこにあったのか、歩いて子供ながらに何キロも歩いて通ったのか、どんな暮らしをして家族を養ったのか、聞きたい事は沢山あったが眼の表情から会話は難しいようだった。
茅葺民家 鳥取県智頭町 2019年12月05日 | 茅葺き民家 古い茅葺民家の前で女性がエプロン姿で作業をしている。春先である。夏野菜の準備か茅葺民家も痛みがある。次に訪れたらトタンを被っていた。昭和の時代から、茅葺に注目して撮っていたら、風景の移り変わりもゆっくりだったが平成になり変化が速かった。人生は一度きりと言いながら、時間を粗末に生きてきたものだ。その時代でなければできない、見る物も体験も数多くあったのであろう。
茅葺民家 京都府南丹市 2019年11月25日 | 茅葺き民家 旧の美山町奥まった集落にあった茅葺民家、15年程、行かなかったら新しい道路ができて風景が変わっていた。京都縦貫道が出来て園部インターから美山町につながる道路ができた。しかし、それに伴いこんな茅葺民家も目にする事が出来なくなった。後ろの植林は杉である。北山杉は京都の風景だ。この前のポツンと一軒家で40年の杉が700円だと言っていた。アホらしくて林業はやっていけないと言っていた。外材の輸入前は丸太が3万円の時期もあったようだ。
茅葺民家 兵庫県旧千種町 2019年11月14日 | 茅葺き民家 千種町は岡山県の東北部と隣接している。一般道で行くので時間は掛かる。5度ほど訪れたが間隔が5年ほど空くので、どんどんと茅葺は減る。昭和40年代から50年に掛けてならば茅葺民家は沢山あったと思う。私は動植物なら絶滅危惧種に指定されてから撮影を開始した。明らかに、自分の生きて世代なら 20年は遅い。人生に後戻りはできない。もっと時代の流れに関心をもつべきだった。テレビの新日本紀行などからヒントを得て、イタダキを記録していく。自分はこれから、何をすべきかの備忘録を作っておく必要がある。人生は行動の記録と備忘録(思考)の記録ではないかと思う。これからするのは、自分の訪れた市町村の特徴や集落の思い出を、足跡としてまとめておきたい。自分の生きた証でもある。
茅葺民家 新潟県旧高柳町 2019年10月28日 | 茅葺き民家 雪の多い地域の民家だ。豪雪地帯は家が高い、ここより山の奥に入るともっと高くなる。消火栓も二段になっていて冬用は上でステップで昇る。夏用は下の消火栓を使う。民家には雪下ろしの梯子を掛けてある。窓ガラスは雪の圧力で割れるので、冬になる前に五センチくらいの板を落とし込む。冬は電気を点けない部屋が暗いだろう。新潟の民家も少なくなったであろう。新潟には何度もいけない。今ならば観光と温泉を兼ねてついでに茅葺民家があれば撮る旅行だ。それでも高柳町には三度訪れた。
茅葺民家 島根県旧吉田村菅谷 2019年10月17日 | 茅葺き民家 菅谷は昔は、たたら製鉄が盛んで、たたらの博物館がある。しかし、山の中で興味のない人は訪れない。私みたいなマニアの人しか訪れない。たたらをやっていたのは、150年も前の事で痕跡など、どこにも残っていない。これだけ雨の多い日本は、放っておいても自然は回復する。スペインやギリシャなどの地中海は、人が手を入れないと砂漠化するそうだ。戦後すぐの写真を見ると山は木が少ない。燃料がなく木は伐採されいたのであろう。だからマツタケの生育には好条件だったのだろう。自然破壊が進んでいると言われるが、今位い森林が豊かな時代はないと思う。一般道をひたすら岡山から広島、島根と5時間掛けて走る。こんな写真を撮るために、馬鹿にならないとやっておれん。
茅葺民家 島根県旧大東町 会話 2019年10月08日 | 茅葺き民家 茅葺民家に訪れた。撮影の許可を貰って撮っていた。近所の人(右)が来て話し始めた。私が近くにいても気にする事なく話に夢中、私もその話を聞きながら二人を撮影。二人が分かれるまで20分間付き合った。暇な人間だ。いまならば、オバちゃんを相手に話し掛けるのに。うぶだなあ。どんな話題から入るか、どんな話題なら乗ってくれるか初対面の人に、どう話掛けるかも訓練だなあ。笑福亭鶴瓶に学ばないといけないなあ。
茅葺民家 岡山県総社市の民家 2019年09月17日 | 茅葺き民家 土塀があり漆喰の蔵のある茅葺民家だった。何度か訪れて奥さんと世間話や昔の暮らしを会話した。ある時、横を通ったら、積水ハウスの民家に建て替わっていた。時代はゆっくりと変化しているのだ。令和の時代になり茅葺を残すのは益々、難しくなった。自分の生きた時代、写真は数多く撮影してきた。どんな思いで撮って来たかは、言葉で残さないかと後世の人には残らないだろう。この民家の場所、特徴やいいところ。一枚一枚解説するのが、これからのやる事か。