先日の朝刊の記事の人生相談で、三輪明宏さんの回答の中にこんな文章がありました。
「思いやりとは何か?それは情けをかけるとか、優しくするとかではなくて、推察力や洞察力をもつことです。
………
人間を一番苦しめるのは自分自身のコンプレックス、劣等感です。それは誰のせいでもありません。自分のせいなのです。
そういった醜い自分の精神状態は洞察力、推察力によって解決できるということを、どうぞ考えてみてください。」
とてもよく分かり共感できる内容で、私自身もこうありたいと思っています。
「奥山のおもいやりだに悲しきにまたあま雲のかかるなになり」(蜻蛉日記)
出家した藤原佐理という人物の妻が、自分も尼になったということだったので、道綱母がその尼になった妻にあてて詠んだ歌、
奥深い山にいる夫君の佐理殿をお察しするだけでも悲しいのに、その上、奥方のそなた様まで天雲ならぬ尼になってこんなことに。いったい何なのでしょうか。