細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

予算委員会 国会論戦を終えて

2013-03-07 20:14:08 | 国会活動

予算委員会の質問が終わりました。

メリハリを利かせようと思ったのですが、やや、一本調子すぎたかも知れません。復興、原発、定数削減、社会保障など、最低限、主張したかったことは、質問することができました。

1問目は復興と国会

できれば、安倍政権と建設的な関係を築きたいと思って質問しました。特に、福島の中間貯蔵施設などの課題については、何でもやりたいと思っています。来週の3.11は、福島に行ってきます。

国会を建設的な議論にするためには、与野党双方の歩み寄りが必要です。安倍総理の答弁からは、巨大与党のおごりが見えた印象です。

2問目は原発事故

原発事故については我々に大きな責任があります。同時に、自民党にも、反省を促したいと思いました。

2005年のIAEAによる、原子力防災に関する検討で、30キロへのEPZ(緊急時計画区域)の拡大が遡上に上りました。

2006年、小泉政権、そして安倍政権で、原子力保安院はその検討を見送りました。一号機建屋が爆発した3月12日の避難範囲の拡大の際の痛恨の記憶がよみがえります。

2006年9月に出された原発新耐震指針の対応も、遅々として進みませんでした。この時も安倍総理、甘利経産大臣です。甘利大臣は、その後、中越沖地震の際に号令をかけましたが、対応はされませんでした。

2007年6月のIAEAのIRRS(総合規制評価サービス)の受け入れも安倍政権。報告書を受理したのは、福田政権の甘利経産大臣です。あの時、保安院を経産省から分離しておくべきでした。新しい規制組織によって厳しい対応ができていれば、大きな事故にはならなかったかも知れません。

何度も言いますが、我々にも責任があります。だからこそ、原発政策の転換を決断しました。安倍政権に、その重みを分かってもらいたいと思いましたが、その思いは届かなかったようです。

3問目は定数削減

民主党は、新綱領で自らを改革政党であると宣言しました。政治改革の観点から、定数削減について総理に迫りました。

昨日の違憲判決を受けて、一票の格差解消も同時に進めなければなりませんので、課題はより重くなりました。

石破幹事長が発言した3月中旬までにまとめる責任については、明確な答弁がありませんでした。幹事長の言ったことを他人事のように捉えていることに驚きました。

しつこく質しましたが、安倍総理から、定数削減で自民党を引っ張っていこうという気概を感じることができませんでした。

4問目は消えた年金

辞任前の所信表明では最初に登場した問題でしたが、安倍総理は、すでに消えた年金に関心を失っているようです。このまま、政権が消えた年金問題を消し去ることがないように、我々がチェックしていく必要があります。

最後に、質問はできませんでしたが、35人以下学級について発言しました。我々が3年間で、小学校2年生まで進めてきた35人以下学級は、安倍政権になって白紙に戻りました。学力調査を活用して検証するというのは、あまりに悲しい。教育は学力だけにあらず!

安倍総理は、施政方針演説で、「誰かに寄り掛かる心を捨て」と発言しました。民主党は綱領で「多様性を認めつつ互いに支えあう」社会を目指すことを明確にしています。

個人的には、やや消化不良ぎみ。これからの予算の質疑で、理念の違いを明確にしていかねばなりません。



ソーシャルメディアの可能性

2013-03-04 11:50:30 | 国会活動

マスメディアにおいては、我々は、まな板の上の鯉です。政治家がマスメディアの記事の訂正を求めても、ほとんど反映されることはありません。

2013年3月3日の読売新聞の一面に、「帰還を阻む1ミリ・シーベルト」という大きな記事が出ています。当時、環境大臣だった私が1ミリ・シーベルトという目標を独断で決めたかのように書かれています。当時の経緯を最もよく知る私に、取材はありませんでした。

控えめに言って、記事には事実を踏まえていない部分があります。

まず、当時の福島県民の皆さんの声です。私が環境大臣に就任した当時、多くの福島の皆さんの意見は、1ミリ・シーベルトまで国が責任を持って除染をするべきであるというものでした。事故直後の県民の皆さんの心情を考えると当然のことです。

2011年9月23日には、福島県市長会から、5ミリ・シーベルト未満についても、国が責任を持って除染をすべきであるという抗議文が出されています。また、10月17日の第2回原子力災害からの福島復興再生協議会で、佐藤知事も要望されています。1ミリ・シーベルトという目標は、それらの声を反映して設定されました。

事故に責任のある国は、放射性物質を除去する責任があります。私は、その責任から逃げるべきではないと考え、除染の陣頭指揮をとりました。

当時は、全くゼロから除染に取り組まねばなりませんでした。事業に慣れてない環境省の職員を叱咤激励し、職員も大幅に増員しました。事業者を呼んで除染に取り組むことを要請し、技術の公募もしました。そして、ようやく除染が動き出しました。

一方で、1ミリ・シーベルトという除染の目標は、健康の基準ではないこと、帰還の基準でもないことは、私自身が再三、指摘していました。記事の最後に専門家の意見が書かれていますが、原発大臣として、低線量被曝についてのワーキングチームを設置し、そういった内容の発言もしていました。

事故から2年。今も福島の皆さんに大変なご負担とご心配をおかけてしています。除染よりも、賠償や帰還を優先したいという声があることは、私も耳にしています。特に、地元の声には謙虚に耳を傾け、柔軟に対応すべきです。

しかし、当時の経緯を十分に確認せずに結論だけを押し付ける検証記事には、疑問を感じます。おそらく、この投稿には、自己正当化するなという厳しいご意見が寄せられるでしょう。それでも、私が書くことにしたのは、ソーシャルメディアの可能性を試してみようと考えたからです。