2011年6月25日、私は、福島の南相馬市の避難区域に入りました。
津波で洗われた海岸は、ほんとうに静かでした。言葉が出ませんでした。
あちこちに、白い旗が立っているのが目に入ってきます。ガレキを片付けた自衛隊員が、行方不明者がいないことを確認して立てたものでした。
原発事故が人の全ての営みを奪っていました。失われた命を弔うことさえ、福島の人たちには許されていませんでした。
ガレキの中から取り出された写真を修復するボランティアに加わりました。30年ほど前に撮影されたであろう結婚写真。中学生の卒業式の写真。修復しても、顔が鮮明には浮かび上がってこない子供の写真もありました。
一枚一枚、泥をふきとって乾かします。きっと、誰かが取りに来てくれるはずだ。気持ちを込めて作業をしました。
次の日、私は原発事故担当大臣に指名されました。福島の人たちの悲しみと怒りは、あまりに重い。それがいかに重いものであろうと、受け止める覚悟で、閣僚になりました。
福島には、毎週行き、懸命に取り組みました。ただ、振り返ると、できなかったことばかりが浮かんできます。
明日で事故から2年。政治家としての立場は変わりました。ただ、「福島のために」という思いは変わりません。
明日は福島です。政治家としてだけではなく、仲間と共に、個人として福島の復興に取り組もうと思っています。