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細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

若さと青さ

2006-03-11 22:06:38 | 沈思黙考
2月16日以降、フルに地元で週末を過ごすのは、今回が初めてです。地元を回ると、メール騒動で最もがっかりしているのは、熱心に応援してくださっていた皆さんであるということを痛感します。お詫び行脚をしながら、今は静かに再起を誓うしかありません。

もう一つ感じるのは、これまで肯定的に評価されてきた「若さ」が、「未熟さ」や「青さ」という否定的な評価に転換していることです。ここ数年、民主党では経験が軽視され、若さが過大評価されてきた面がありました。渡部国対委員長の登場は、そのことをはっきり気づかせてくれました。私も過大評価の恩恵に浴してきた一人ですので、改めて自からを省みる機会としたいと思っています。

一方で、しがらみに満ちた永田町を変えるために、新たな人材の流入が引き続き求められているのも事実です。そう考えて周りを見渡すと、長い社会経験を経て議員になっている方が数多くいるにも関わらず、若手に譲って、必ずしも十分な活躍の機会を与えられていないケースが少なくありません。

メール問題は民主党に大きな傷をもたらしましたが、一方で、党内の人材を再評価するチャンスかも知れないと感じています。

壮行会

2006-01-22 16:20:08 | 沈思黙考
地元の板妻駐屯地で、第9次イラク復興支援群派遣の壮行会がありました。月末に出発する彼らが、イラクに派遣される最後の部隊になりそうです。撤退を視野に入れた難しい派遣となります。

群長となる駐屯地司令以下、54名の隊員が力強く決意を述べる姿には心を打たれました。私と同世代の若い隊員が多く、彼らが子供や若い奥さん(彼女)と談笑する姿には、複雑な思いも残ります。

板妻駐屯地は、私が4年前、生活体験入隊をした思い出の場所です。厳しい訓練の経験は今でも鮮明に覚えています。今回派遣された部隊の中に、そのとき対応してくれた隊員の顔を何人か目にしました。そんな彼らをどういう言葉で送り出すべきか随分迷ったのですが、「おめでとう」と言う気にはなれず、「日本の代表として任務を全うして、全員がこの場所に無事帰ってくることを祈っている」という簡潔なスピーチをしてきました。

部隊を危険な地域に派遣するからには、派遣の是非、他国との連携や武器の使用において、心配の無い状況をつくりだすのが本来の政治の責任です。その課題については、私自身強く自覚しているのですが、派遣される彼らの前で言うべきことではないと考え、言葉は呑み込みました。

振気

2006-01-01 12:25:11 | 沈思黙考
「振気」 幕末の福井藩で活躍した橋本左内が、啓発録の中で記した言説です。「気」とは恥を知り口惜しく思う心持のこと。「振」とはそのような心持を奮い立たせる状態を指します。左内は、「振気」以外に、「去稚心」「立志」「勉学」「択交友」を行動規範として示しています。15歳で啓発録を記したというのですから、驚きです。

昨年の民主党には(もちろん私にも)、まさか選挙はなかろうという油断がありました。解散の際、「殺されてもいい」と言い放った小泉総理に明らかに「気」で負けていました。反転攻勢の年、「振気」を持って三島駅前の街頭演説から平成18年のスタートを切りました。本年もよろしくお願い致します。

いよいよ大晦日

2005-12-30 21:30:16 | 沈思黙考
年末の街頭も2日間が終わりました。昨日の極寒の御殿場はさすがに応えましたが、今日の三島田方は気候にも恵まれ、気分よく街宣できました。年末の街宣もかれこれ6回目になりますので、温かく迎えてくれる方も多く、励みになります。今日は家族で餅つきをしている方から、道中でたくさんお餅を頂戴しました。もちろん、明日は戴きものは結構ですので、見かけたら温かい声をかけて下さい。

残るは明日の富士のみ。9月の選挙で最も激しい戦いが繰り広げられた場所で、決意を新たにする大晦日にしたいと思います。皆さん、年越しの準備はいかがでしょうか?

追憶の視察

2005-12-21 14:48:14 | 沈思黙考
今日は朝から、諏訪中央病院の前原代表視察団に同行してきました。帰りのあずさ16号の中でブログを書いています。今回の視察を企画した理由は二つ。一つは、来年の医療制度改革に向けて、民主党のスタンスを明確にすること。もう一つは、諏訪中央病院の院長であった今井澄先生(元参議院議員)を偲び、政権交代に向けての決意を新たにすることです。前原代表と私が視察を企画した本当の理由は、(おそらく)後者です。今井先生は、前原代表にとっても私にとっても、生前に恩返しの出来なかった恩人なのです。

今井先生は、4年前の代表選挙で前原代表を病をおして応援して下さった方です。亡くなったのは、代表選挙の直前のことでした。前原さんは、4年越しで代表になったことを報告したかったのだと思います。私にとっては、最初の選挙で、函南町出身であった先生が何度も地元まで足を運んで下さり、小中の同級生を集めては「細野君は、若いのですぐに役に立つとは思わないが(お世辞は言わない方でした)、将来、私が鍛えてきっとものにするから応援してやってくれ。」と熱弁をふるって下さった恩人です。4年ぶりに伺ったご自宅でお線香をあげながら、今井先生のことを懐かしく思いだしました。

今井先生は、東大時代、全共闘防衛隊長として安田講堂にたてこもり、全軍を指揮した猛者でした。一度、今井先生が厚生省の役人や医師会と喧嘩腰で議論しているところを見ましたが、言葉に使命感と優しさが漂っていて、いたく感動したのをよく覚えています。怒鳴りつけられている側も、そのことがよく分かっていて、大臣からも役人からも、そして医師会からも一目置かれる存在でした。この時期に先生がいないことが、返す返すも残念です。

それ以上に印象に残っているのは、911テロの直後のことです。当時、私は党内で警察を主に担当していて、自衛隊の活用、警察の機能強化などを盛りこんだ国内テロ対策をつくりました。自分がつくったものを党内で了承を得る初めての経験でした。ネクスト・キャビネットで説明したところ、案の定、異論が噴出しました。答弁に窮していたところ、今井先生からのひと言「私は、学生運動で牢屋にも入ったし、まかり間違えばテロリストになっていた。そういう人間には、毅然と対応しなければ治安は保てない」で議論は収まりました。社会党出身の方だったのですが、発言の凄みは群を抜いていました。

話を視察に戻します。長野県は、平均寿命が長く、老人医療費が少ないという医療の先進県として有名です(一人当たり老人医療費(平成15年):全国平均75万円、長野県61万円)。中でも、茅野市は県内でトップの数字(同56万円)を維持しており、諏訪中央病院はその中核的な役割を担ってきました。「がんばらない」で有名な鎌田實先生の話を聞きながら、医療費総額削減に血眼になる小泉構造改革との大きなギャップに危機感を新たにしました。自民党議員が総理にものを言えなくなっている以上、医療のあるべき姿を示すのは対案路線を掲げる民主党の役割です。そして、ここで民主党の存在感を示すことは、今井先生にお世話になった前原代表と私の使命です。

官から民へでは終わらない

2005-12-05 22:35:05 | 沈思黙考
通学路の安全確保、ゴミ拾い、介護などの福祉、土曜学校など、どこまで官が役割を担うか?これが最近の私のテーマです。

最近考えているのは、官と民との間もしくは重なる部分に、地域社会が担うことのできる役割があるのではないかということです。民主党ではコミュニティ・スクールなどを例に「ソーシャル・コミュニティ」と称して、新たな社会像を模索中なのですが、時代を象徴するキーワードとしては今ひとつの感があります。奉仕?ボランティア?NPO?公?いろいろな言葉が使えそうですが、いずれも手垢が付きすぎていてすっきり来ません。皆さんのご意見お待ちしております。

政治家の軽さ

2005-10-28 21:47:07 | 沈思黙考
「政治家になる方法」という見出しが気になって、SPAを買いました。1ページ目には年収が並び、その後に徒手空拳で議員になった人の体験記が並んでいます。そういえば、私もこの手の取材をよく受けた時期がありました。地下鉄の中で雑誌に目を通した後、議員会館周辺にたどり着くと、障害を持った方々が、政府の提出した法案に反対して、座りこんでいました。存在をかけて闘っている彼らの姿は、間違った決断を行なうと人の命すら奪いかねないという、政治家のある種の本質を示しています。

若い人が政治の世界に入ってくることは良いことなのですが、座りこみを続ける彼らの姿をみるにつけ、小泉チルドレンを契機に登場した「誰でも議員になれる」かのような風潮には、「ちょっと違うのではないか?」という気持ちを禁じ得ません。私も永田町に染まってきた証拠か?それとも政治家として多少は成長したということか?皆さんはどのようにお感じになりますか?