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杉浦冨美子+山田宏一+山根貞男=編『水のように夢のように 宮下順子』その2

2020-06-12 06:06:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

・それであたし、そういう映画、もちろん見たことないから、そこのプロダクションの社長さんに誘われて見に行ったの。そしたら、もう気持ち悪くなっちゃって、途中で出ちゃったの。(中略)
 ━━裸でセックス・シーンばかりの映画だから……?
 そうなの。それなのに、なんか自分が出ることになっちゃったんですよね━笑━。よくわかんないの、自分で。かなりしつこく出てくれって言われたことは言われましたけどね。「綺麗だよ、向いているよ」って━笑━。

・でも、あとから聞いたら、ピンク映画というのは、裸を見せるわけだから、すごく若い女の子ばっかりだったのね。十代の女の子ばっかり。あたし二十二歳くらいでしょう。それに、昔から老けてたから。要するに老け役がほしかったんですって━笑━。(後略)

・それに、お金になったということもあるのね。あのころで一日八千円か一万円か一万二千円か、それくらいの感じでしたけど、OLをやっているときに高卒の初任給が一万八千円だったから。それくらいは一日か二日で稼げたわけね。(後略)

・ピンク映画でささやかに気楽にやってたほうがよかったんです。なにしろ、あたし、やる気がなかったじゃない、全然。(中略)
 ━━で、日活に入ってみて、どうでしたか。
 よかったなと思った━笑━。楽だしね。体が━笑━。撮影所はいちおう仕事の終了が五時定時でしょう。(中略)それに、ほとんどセット撮影だしね。(後略)

・とにかく、すごいなあと思ったのは、天井からライトがぶらさがっていることね。撮影所でセット撮影をやるなんてのは、ピンク映画にはなかったから。(後略)

・━━フィルモグラフィーを見ただけでも、日活に入社した昭和四十七年の七月から十二月までの半年間に公開されたロマン・ポルノ作品が五本、この間にピンク映画がさらに五、六本。翌四十八年には一年間に日活で十七本という驚異的な出演本数です。(中略)それでもやはり楽だった?
 そうねえ、日曜・祭日だけ休んで、ほとんど毎日、撮影所に行ってましたからね。だいたい朝九時からね。日活の台本だけで三冊持っていたこともあったくらい。(中略)
 それに、専属料を月々もらってね。そして一本出るごとに出演料(ギャラ)が出るわけね。(中略)ギャラは一本十五万とか、それぐらいだったんじゃないかな。(後略)

・映画館の支配人とかが言ってたけど、年齢が高いって、あたしが出てる映画をやるときは、お客さんが。年寄にもてるのかな。老人キラー━笑━。(後略)

・━━日活はロマン・ポルノのために女優ばかりでなく、男優をさがすのにも苦労していたようですね。
 ポルノ映画だというんで、なかなか出るひとがいなかったみたい。だから、もう、相手役も少なくってね。男優さんのなり手がいなかったわけだから。しょっちゅう、同じひととばっかり━笑━。

・━━(当時は)刹那的だったんですね。
 そう、刹那的。「もうやめた」ってすぐ思っちゃう一方で、いまこうしたいって思うと、もうそれしか考えないのね。(後略)

・━━〈前張り〉のはじまりは日活の鈴木清順監督の『肉体の門』からだそうですが、そうだとすればロマン・ポルノよりもだいぶ以前からあるんですね。『肉体の門』は昭和39(1964)年の作品ですから。あれはガーゼをあててテープを張るのですか。
 そう、ガーゼの上からガムテープを。

・普通はだいたい一回段取りをつけて、すぐ本番。監督によって違いますけど、神代監督なんかは長回しが多いので、テストの回数はかなり多かったですね。(後略)

・━━いやな相手とか、いやなシーンもあるわけでしょう。
 もうしょうがないですものね、やらなくっちゃ。(中略)まあ、何回かはあったかもしれないけど。いやな顔をしたりとかね。ここでキスするなんてシーンで、男優さんが近づいてくるでしょう。いやな相手だと「ウーン、ああ」ってもだえたふりをして顔をそむけちゃったりね━笑━。(後略)

・━━そういう意味でロマン・ポルノでやりやすかった相手は誰ですか。
 やりやすかったのは、石橋蓮司さん。『赫い髪の女』とか、いっしょにやって、すっかりまかせっきりで楽でした。(後略)

・あと、やりやすかったのは、江角英明さんとか蟹江敬三さんね。(後略)

・初めのころは試写室で見てたんですけど、最後のほうになると、ほとんど試写室では見ないで、映画館へ行って見てたの。試写室の雰囲気って、どうも好きじゃないのね、関係者ばっかりで。(中略)みんな楽しんで見てないわけ。“あら”をさがそうとか、ね。(中略)だから、だいたい映画館でひとりで見ることにしてるの。渋谷の、いまは洋画ものになっちゃったけども、西武デパートの脇を入ったところの映画館ね。
━━渋谷パレス劇場。
 あそこ、まえ、日活だったんです。(後略)

(また明日へ続きます……)

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杉浦冨美子+山田宏一+山根貞男=編『水のように夢のように 宮下順子』その1

2020-06-11 04:38:00 | ノンジャンル
 1984年に刊行された、杉浦冨美子+山田宏一+山根貞男=編『水のように夢のように 宮下順子』を読みました。宮下順子さんへのインタビューとフィルモグラフィーが掲載された本です。いくつかの文章を引用させていただくと、

・━━宮下順子という女優のキャリアの出発点は〈ピンク映画〉と呼ばれる独自の映画世界なのですが、最初のピンク映画体験はどんなものでしたか。
 最初は熱海に行ったんですよ。ロケで、泊りで。それをすっごくよろこんでたわけね。熱海に行くと言われて。なにしろ、旅行というと、修学旅行とかしか行ったことないでしょう。だから、熱海へ行けるなんて、もうウワーッとよろこんじゃって。温泉に入れるというだけで大騒ぎ━笑━。で、行ったら、旅館じゃないものね。なんか変な空き部屋━笑━。そこで、雑魚寝、みんな。(中略)
 ━━会社の寮とか……
 寮なんて、そんな立派なもんじゃないの。ただ畳が敷いてあるというだけ。温泉なんかないの━笑━。(中略)だから、ただ、熱海というだけ━笑━。(中略)ロケといっても五日以内ですよね。ピンク映画の場合は。(中略)
 ━━そこで初めて人前でラブ・シーンを演じたわけですね。
 ラブ・シーンというより、セックス・シーンなんですよね。裸になって。初めはバスタオルを巻いて、テストのときはやってるわけ。「じゃ、つぎ、本番いきますから、タオルとってください」と言われるでしょう。でも恥ずかしいのはタオルをとるまでね。思いきってタオルをとっちゃって、はじめちゃうと、もう忘れちゃうのね。裸でいることを。なんか夢中になっちゃうというか、恥ずかしさがなくなっちゃう。

・映画館でお客さんに見られると思うと恥ずかしいけれど、撮影のときはなんか普通なのね。

・━━当時はまだ〈前張り〉で隠すなんてことがなかったわけですね。
 前張り、なかったです。もうスッポンポンです。男優さんも、女優さんも。日活に入って初めて前張りをしました。(中略)でも、あたしは前張りがあったほうがよかったと思うのは、ピンク映画のときは前張りがなくて、“そこ”は画面にうつらないにしても、脚をひろげたりするシーンがあるわけね。(中略)でも、前張りをしてないとき、あたし、ずいぶん見られたんじゃないかな━笑━。(中略)あたし、日活のときにね、神代(くましろ)さんに「おれ、見ちゃったよ」と言われたことがあるんです━笑━。

・━━ピンク映画のスタッフはどのくらいの規模だったのですか。
 監督のほかにスタッフは助監督が一人、照明が二人、キャメラマンに助手が一人くらいかな。人数が少ないから、家庭的な雰囲気はありました。

・━━半年間にざっと四十本のピンク映画に出て、仕事としてはきつかったでしょうが、かなりお金も入ってきたわけですね。
 ええ。でも、貯金はしなかった。全部使ってた。(中略)あたし、預金通帳ってのが初めて出来たのが、二十七か八になってからなのね。(中略)あと、いっしょにいたひとが全部やってくれたから。要するにお金は全部彼のほうに入ってたから、あたし、あとでお金をもらってやってたわけ。だから、別に生活に困ることもなかったのね。
 ひとりになってから、貯金をはじめたんです。(後略)

・━━ピンク映画のころは舞台もやっていたということですが……
 ええ、舞台、つまり実演ね。ピンク映画を上映する映画館で、映画の合間に実演を見せるんです。女二人、男二人って決まってるのね。(中略)
 ━━何をやるんですか。
 やっぱりポルノ・シーンが主ね。裸でね。パンティーだけははいて、あとは全部脱いで。芝居もいちおうあるわけ。(中略)でも、実演はおもしろかった。舞台の快感っていうのかな、お客さんに見られるっていうか、お客さんといっしょになってね。で、あんまりまじめにやんないのね。相手役のひととふざけたりしてね。なにしろ、お客さんはストーリーなんか見てないんだから。裸になればいいんだから。(後略)

・━━高校を出てから二十一、二歳まで、三、四年もそんなフーテン生活で住所不明だった?
 そう、住所不定。もう最高に楽しかった━笑━。お金なんかなかったけどね。(後略)

・あのころ、歌舞伎町に有名なジャズ喫茶があってね。(中略)そういうふうにダラダラしてるところを、ピンク映画のプロダクションの社長さんにひろわれたわけ。

(明日へ続きます……)

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ロバート・アルドリッチ監督『ガン・ファイター』その2

2020-06-10 06:04:00 | ノンジャンル
 昨日、文芸雑誌『文學界』の最新号(2002年7月号)に掲載された、蓮實重彦先生の「ジョン・フォード論 第一章―Ⅲ そして人間」を読みました。一部こちらに転載させていただくと、

「それにしても、なぜ、この監督は、口をきかぬまま歩く━━あるいは、走りぬける━━男女の群れにキャメラを向けることにこれほど執着していたのか。その正確な理由はわからない。ただ、それぞれの作品において、その無言の歩行が素晴らしいアクセントを作品に導入していたことだけは、間違いない。
 これまで読まれたことからも明らかなように、フォードは、それぞれの作品において、複数の男女が、ものもいわずに、ある程度の距離を踏破することになる。なぜかという、その真の理由は誰にもわからない。だが「そして人間」と題されたこの段落が、いわゆる人間一般に関する抽象的な考察でないことだけは理解されたと思う。人間というものは、黙って歩く━━あるいは、走るものだ━━というきわめて特殊な状況を設定し、それが「不自然さ」に導かれることであろうと、それにふさわしいキャメラ・アングルを通してそれを描ききってみせるという奇態な監督こそが、ジョン・フォードという特異な映画監督なのである。」

 ジョン・フォード監督作品での行進といえば、私はまず『バッファロー大隊』のラストで疑惑が晴れた黒人兵が堂々と行進していく様や、『プリースト判事』でのラストで、フランシス・フォードが飛び入り参加するパレード(これは無言ではありませんが)が鮮やかに蘇ります。確かに蓮實先生の言うようにフォード映画では「行進」が大きなテーマになっているようですね。今後フォード映画を観る際、意識して観てみようと思いました。

 また同じ『文學界』に武田砂鉄さんも「時事殺し」と題するコラムを書いていました。これも面白いので、一部転載させていただきます。

「コロナ禍に便乗して通そうとした「検察庁改正案」や今国会での成立は断念されたが、その旨を発表する安倍首相は、「国民の皆様から様々なご批判があった」としたうえで、「そうしたご批判にしっかり応えていくことが大切なんだろうと思う」と他人事のように述べた。さすが、4月7日の会見でイタリア人記者から「(コロナ対応について)失敗だったらどういう風に責任をとりますか?」と問われ、「私が責任を取ればいいというものではありません」と返しただけのことはある。
『誰かの責任にする技術』というタイトルで新書を出せばベストセラーになると思う。なにせ、「批判にしっかり応える」のではなく、「批判にしっかり応えていくことが大切なんだろうと思っている」のである。「明日こそ、お風呂の鏡にこびりついた水アカを掃除することが大切なんだろうと思う」と発言した人が翌日掃除をする可能性は10%くらいだろう。」

 さて、昨日の続きです。

 メリッサは馬車を襲ってきた荒くれ者の1人を撃ち殺す。(中略)
 川に到着する一同。明日の朝一で川を渡ることにする。ベルはオマリーに「国境を越えなくても報酬を送れる」と言うが、オマリーは「考えとく」としか答えない。
 パーティ。メリッサはベルが16歳だった時に着ていたドレス姿で現れ、オマリーは瞠目する。
 「メキシコにとどまるなら、私もそうする」とオマリーに言うメリッサ。
 渡河。「日暮れに会おう」と約束するストリブリングとオマリー。(中略)
 ベルはオマリーに「国を出て。メリッサはあなたの娘よ」と言うと、オマリーは「嘘だ!」と言って、ベルを殴る。
 「荷造りを終えた」とオマリーに告げるメリッサ。オマリーは「俺は君より早く死ぬんだから、そうしたら新しい恋人を見つけてほしい。日暮れに戻る」と言う。
 決闘に及ぶストリブリングとオマリー。オマリーは倒れるが、彼の拳銃の弾倉は空だった。オマリーに駆け寄るメリッサに、オマリーに渡すように頼まれていたというサクラソウを渡すミルトン。オマリーを抱くメリッサの姿を俯瞰でカメラはとらえ、映画は終わる。

 詩人をカーク・ダグラスが演じるという珍しい映画でした。

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ロバート・アルドリッチ監督『ガン・ファイター』その1

2020-06-09 06:31:00 | ノンジャンル
 NHKプレミアムで、ロバート・アルドリッチ監督の1961年作品『ガン・ファイター』を観ました。

 メキシコ。ダナ・ストリブリング(ロック・ハドソン)は、黒づくめでデリンジャーの拳銃を持つ男・オマリー(カーク・ダグラス)を探している。
 荒地の真ん中に立つ家に口笛を吹きながら馬に乗り現れるオマリー。それを出迎えたベル・ブレッケンリッジ(ドロシー・マローン)は、今は主人(ジョセフ・コットン)が留守だが、夫なら困っている人に宿を貸すだろうと言って、オマリーを迎え入れる。牧場の牧童頭ミルトンと雇人のメキシコ人ホゼとロザリオ、そして自分の娘メリッサをオマリーに紹介するベル。
 夜。自分を探しに来る男とじきに対面するだろうとオマリーは、ダンスにベルを誘うが、夫以外の男とは踊らないとベルに断られる。
 旅人用に用意されている納屋。「なぜここへ」とベル。「隠れるため」とオマリー。16歳の黄色いドレス姿のベルを忘れられないと言い、ベルにキスをするオマリーだったが、ベルは「私に近づかないで。あなたが怖い」と言って身を引く。
 砂嵐の中を進むブレッケンリッジ。
 帰宅したブレッケンリッジは「もうすぐこの貧しい牧場ともおさらばだ」と言い、1000頭の牛をテキサスで売るので、日給1ドル、食事込み、そしてボーナスとして牛をクレイジー・ホースまで牛を運べれば25ドルを払うとオマリーに言う。オマリーは危険な仕事で、早撃ちガンマンと牛追いの責任者だと言い、牛の5分の1と奥さんをもらうと答えると、ブレッケンリッジは笑いながらその条件を受け入れる。
 やがてストリブリングがやって来る。オマリーとともに相手を逆光の位置に置こうとするストリブリング。彼は「ジミーも太陽を向いて死んでいた。証人は多数いて、逮捕状も出ている。テキサスのフリオ郡で裁判にかける」と言い、リオ・グランデ川を渡ったら逮捕すると言う。
 オマリーは「牛泥棒や先住民、南軍兵らから牛を守らなければ」と言うと、ブレッケンリッジは「自分もバージニアの南軍将校だった」と言う。
 ストリブリングはベルに「オマリーは殺人罪で絞首刑になる」と言い、「女に見境がない」とも言う。
 夜の庭。メリッサはオマリーに「人を殺したの?」と尋ね、オマリーは海の中を美しく語る詩を述べる。うっとりとそれを聞くメリッサ。
 オマリーはジミーのことを侮辱し、ここまで追ってくる保安官はいないと言うと、ストリブリングは「ジミーは妹の夫だった」と答える。
 夜。口笛を吹くオマリー。
 ストリブリングはメリッサに親を失った仔馬がいると言い、メリッサにその親代わりをしてやるように言う。
 ブレッケンリッジはトレス・サントスに人を雇いに行くと言うが、ストリブリングは「あそこは荒くれ者だらけの町だ」と言う。
 数日経ってもブレッケンリッジが戻ってこないので、ストリブリングは様子を見に行ってくると言い、ベルとオマリーが二人だけになることを恐れ、オマリーに自分と一緒に行くように命令する。
 ブレッケンリッジは酒場で皆に酒をおごり、ジャクソン将軍に乾杯しようとするが、一人が「こいつは前線から逃げ出した臆病者だ」と言い出し、「脚をケガした」と言うブレッケンリッジはズボンを脱いでケガの痕を見せろと言われ、そこに現れたオマリーとストリブリングがブレッケンリッジを助けだそうとするが、ブレッケンリッジは背中を撃たれて死ぬ。
 夜。オマリーは「ジミーは生きる屍だった。妻が誰とも寝ていたからだ」と言い、ストリブリングと殴り合いになるが、ベルは契約が果たされてから争ってほしいと言って、殴り合いを止める。ストリブリングは「妹は夫の死後3日目に首を吊って自殺した」と言い、ベルに「これからは俺を頼ってくれ」と言う。
 ベルの姿を遠くから見た荒くれ者は「あの女ならベラ・クルスで1500ドルで売れる」と言い、ストリブリングらの前に現れ、雇われる。そのうちの一人がさっそくベルに言い寄ろうとするが、オマリーは彼の馬を暴れさせ、恥をかかせる。
 小鳥の巣を発見し、それをメリッサに見せるオマリー。
 夜。オマリーはベルにセントエルモの火を見せるが、ベルからは「女を口説かせたら天下一品ね」とからかわれる。
 一方、ストリブリングはベルに「先住民に妻と子供を殺された。君と結婚したい」と言う。
 昼。現れた3人の先住民のうち、こちらに突っ込んできた1人をオマリーは撃ち殺す。襲撃に備えろとストリブリングは言い、死んだ先住民の死体とともに先住民の部落へ向かう。大勢の先住民と現れたストリブリングはオマリーの取り分の牛5分の1を先住民に渡す。
 砂嵐。暴走を始める牛。流砂に足を取られたストリブリングは、オマリーに助けられるが、オマリーは「ベルのためだ」と言う。

(明日へ続きます……)

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斎藤美奈子さんのコラム・その60&前川喜平さんのコラム・その21

2020-06-08 02:42:00 | ノンジャンル
恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず6月3日に掲載された「アマビエグッズ」と題された、斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「ひとつの妖怪が日本中を席巻している。アマビエという妖怪が。疫病の際は私の絵を見せなさいといった半人半魚の妖怪は、イラストの競演と拡散にはじまって三カ月で大増殖。本紙ほかでも紹介されている通り、各地で華麗に変身した。
 Tシャツや布バッグはもとより、マスクにつける豆バッジ、アマビエ柄のポーチ。だるま、こけし、焼き物、南部鉄器、江戸風鈴、京うちわ、博多人形…。全国各地の伝統工芸品に化けて「疫病退散」の祈願に励むアマビエはみな健気(けなげ)だ。
和洋スイーツ方面への憑依(ひょうい)も見逃せない。上生菓子に饅頭(まんじゅう)に煎餅に飴(あめ)。クッキー、ケーキ、ドーナツ、マカロン。大人向けにはアマビエラベルの酒やワインもある。
 日本赤十字社のHPは感染症には三つの顔があるといっている。①病気そのものである「体の感染症」②不安や恐れなどの「心理的感染症」③嫌悪、偏見、差別といった「社会的感染症」。①の対策が手洗いやマスクなら、アマビエは②の感染症に効きそうだし、③の感染症も吹き飛ばしてくれるんじゃないか。
『ゲゲゲの鬼太郎』の中で「最近はめっきり出番がないんだよ」とこぼしていたアマビエ。出番が来てよかったねともいえないが、役には立ってる。官製のマスクや自衛隊の編隊飛行よりずっといい。」

 また5月31日に掲載された「大阪人権博物館の休館」と題された、前川さんのコラム。
「大阪人権博物館(通称リバティおおさか。以下「リバティ」)が五月三十一日限りで休館する。1985年大阪人権歴史資料館として開館以来、日本で唯一の総合人権博物館として170万人の来館者を迎えてきた。2017年の夜間中学生展は僕も見学に行った。
 リバティは、大阪府、大阪市、部落解放同盟大阪府連などが供出した公益財団法人だ。所在地は市有地だが、もともと地元被差別部落の住民が大阪市に寄付した土地に建てた旧栄小学校の跡地だ。リバティの建物はその校舎を模している。
 リバティの休館に至る因縁は、08年橋本徹大阪府知事(当時)が展示内容の変更を求めたことに始まる。リバティは府教委・市教委と協議の上展示内容を改変したが、12年に橋本大阪市長(当時)が「僕の考えに合わない」と非難。「公益性がない」として13年度から市の補助金を打ち切った。14年には土地の無償貸与をやめ、年間2700万円の地代を要求。さらに15年には、土地の明け渡しなどを求めて提訴した。それから5年、リバティはついに力尽き、建物を撤去し土地を明け渡す和解に応じた。22年の再出発を期しているが、具体的なめどは立っていない。
 大阪人が世界に誇るべき人権の拠点が、大阪市によってつぶされた。大阪人の皆さん、本当にこれでいいのですか?」

 そして6月7日に掲載された「香港の国歌法」と題された前川さんのコラム。
「香港立法会が制定した「国歌法」。五日本紙によれば、中国国歌の替え歌を禁止し、学校や公的行事のほか、立法会の議員宣誓などの際に斉唱を義務づけ、違反者には禁錮刑と罰金を科すという。言論の自由の制約が懸念されるほか、立法会の議員資格や立候補資格を取り消す口実にされるという見方もあるという。
 日本にも1999年に制定された国歌国旗法があるが、義務づけ規定や罰則はない。しかし、学習指導要領は89年改訂以降、入学式・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱の指導を義務づけている。2003年には東京都教委が「教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」と通達した。11年には大阪府が「教職員は起立により斉唱を行う」とする条例を制定。13年には府教育長が、起立斉唱を目視で現認(口元チェック)するよう通知した。思想良心の自由を侵すとの訴えに対し最高裁は、起立斉唱の職務命令には必要性・合理性があると認めた。僕は文部官僚だったが、個人としては最高裁の判断はおかしいと思っている。
 自民党改憲草案には「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」とある。こんな改憲が行われたら、国旗国歌法に香港の国歌法のような罰則を設けることも可能になる。自由は普遍的なものだ。自由を侵す法は、香港でも日本でも許されない」。

 アマビエの流行も、リバティおおさかのことも、これらのコラムを読むまで知りませんでした。国歌斉唱に対する最高裁の判決は、明らかにおかしいと私も思います。やはり東京新聞の日曜日の前川喜平さんのコラムと、水曜日の斎藤美奈子さんのコラムは必読です!!
 
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