1984年に刊行された、杉浦冨美子+山田宏一+山根貞男=編『水のように夢のように 宮下順子』を読みました。宮下順子さんへのインタビューとフィルモグラフィーが掲載された本です。いくつかの文章を引用させていただくと、
・━━宮下順子という女優のキャリアの出発点は〈ピンク映画〉と呼ばれる独自の映画世界なのですが、最初のピンク映画体験はどんなものでしたか。
最初は熱海に行ったんですよ。ロケで、泊りで。それをすっごくよろこんでたわけね。熱海に行くと言われて。なにしろ、旅行というと、修学旅行とかしか行ったことないでしょう。だから、熱海へ行けるなんて、もうウワーッとよろこんじゃって。温泉に入れるというだけで大騒ぎ━笑━。で、行ったら、旅館じゃないものね。なんか変な空き部屋━笑━。そこで、雑魚寝、みんな。(中略)
━━会社の寮とか……
寮なんて、そんな立派なもんじゃないの。ただ畳が敷いてあるというだけ。温泉なんかないの━笑━。(中略)だから、ただ、熱海というだけ━笑━。(中略)ロケといっても五日以内ですよね。ピンク映画の場合は。(中略)
━━そこで初めて人前でラブ・シーンを演じたわけですね。
ラブ・シーンというより、セックス・シーンなんですよね。裸になって。初めはバスタオルを巻いて、テストのときはやってるわけ。「じゃ、つぎ、本番いきますから、タオルとってください」と言われるでしょう。でも恥ずかしいのはタオルをとるまでね。思いきってタオルをとっちゃって、はじめちゃうと、もう忘れちゃうのね。裸でいることを。なんか夢中になっちゃうというか、恥ずかしさがなくなっちゃう。
・映画館でお客さんに見られると思うと恥ずかしいけれど、撮影のときはなんか普通なのね。
・━━当時はまだ〈前張り〉で隠すなんてことがなかったわけですね。
前張り、なかったです。もうスッポンポンです。男優さんも、女優さんも。日活に入って初めて前張りをしました。(中略)でも、あたしは前張りがあったほうがよかったと思うのは、ピンク映画のときは前張りがなくて、“そこ”は画面にうつらないにしても、脚をひろげたりするシーンがあるわけね。(中略)でも、前張りをしてないとき、あたし、ずいぶん見られたんじゃないかな━笑━。(中略)あたし、日活のときにね、神代(くましろ)さんに「おれ、見ちゃったよ」と言われたことがあるんです━笑━。
・━━ピンク映画のスタッフはどのくらいの規模だったのですか。
監督のほかにスタッフは助監督が一人、照明が二人、キャメラマンに助手が一人くらいかな。人数が少ないから、家庭的な雰囲気はありました。
・━━半年間にざっと四十本のピンク映画に出て、仕事としてはきつかったでしょうが、かなりお金も入ってきたわけですね。
ええ。でも、貯金はしなかった。全部使ってた。(中略)あたし、預金通帳ってのが初めて出来たのが、二十七か八になってからなのね。(中略)あと、いっしょにいたひとが全部やってくれたから。要するにお金は全部彼のほうに入ってたから、あたし、あとでお金をもらってやってたわけ。だから、別に生活に困ることもなかったのね。
ひとりになってから、貯金をはじめたんです。(後略)
・━━ピンク映画のころは舞台もやっていたということですが……
ええ、舞台、つまり実演ね。ピンク映画を上映する映画館で、映画の合間に実演を見せるんです。女二人、男二人って決まってるのね。(中略)
━━何をやるんですか。
やっぱりポルノ・シーンが主ね。裸でね。パンティーだけははいて、あとは全部脱いで。芝居もいちおうあるわけ。(中略)でも、実演はおもしろかった。舞台の快感っていうのかな、お客さんに見られるっていうか、お客さんといっしょになってね。で、あんまりまじめにやんないのね。相手役のひととふざけたりしてね。なにしろ、お客さんはストーリーなんか見てないんだから。裸になればいいんだから。(後略)
・━━高校を出てから二十一、二歳まで、三、四年もそんなフーテン生活で住所不明だった?
そう、住所不定。もう最高に楽しかった━笑━。お金なんかなかったけどね。(後略)
・あのころ、歌舞伎町に有名なジャズ喫茶があってね。(中略)そういうふうにダラダラしてるところを、ピンク映画のプロダクションの社長さんにひろわれたわけ。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
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・━━宮下順子という女優のキャリアの出発点は〈ピンク映画〉と呼ばれる独自の映画世界なのですが、最初のピンク映画体験はどんなものでしたか。
最初は熱海に行ったんですよ。ロケで、泊りで。それをすっごくよろこんでたわけね。熱海に行くと言われて。なにしろ、旅行というと、修学旅行とかしか行ったことないでしょう。だから、熱海へ行けるなんて、もうウワーッとよろこんじゃって。温泉に入れるというだけで大騒ぎ━笑━。で、行ったら、旅館じゃないものね。なんか変な空き部屋━笑━。そこで、雑魚寝、みんな。(中略)
━━会社の寮とか……
寮なんて、そんな立派なもんじゃないの。ただ畳が敷いてあるというだけ。温泉なんかないの━笑━。(中略)だから、ただ、熱海というだけ━笑━。(中略)ロケといっても五日以内ですよね。ピンク映画の場合は。(中略)
━━そこで初めて人前でラブ・シーンを演じたわけですね。
ラブ・シーンというより、セックス・シーンなんですよね。裸になって。初めはバスタオルを巻いて、テストのときはやってるわけ。「じゃ、つぎ、本番いきますから、タオルとってください」と言われるでしょう。でも恥ずかしいのはタオルをとるまでね。思いきってタオルをとっちゃって、はじめちゃうと、もう忘れちゃうのね。裸でいることを。なんか夢中になっちゃうというか、恥ずかしさがなくなっちゃう。
・映画館でお客さんに見られると思うと恥ずかしいけれど、撮影のときはなんか普通なのね。
・━━当時はまだ〈前張り〉で隠すなんてことがなかったわけですね。
前張り、なかったです。もうスッポンポンです。男優さんも、女優さんも。日活に入って初めて前張りをしました。(中略)でも、あたしは前張りがあったほうがよかったと思うのは、ピンク映画のときは前張りがなくて、“そこ”は画面にうつらないにしても、脚をひろげたりするシーンがあるわけね。(中略)でも、前張りをしてないとき、あたし、ずいぶん見られたんじゃないかな━笑━。(中略)あたし、日活のときにね、神代(くましろ)さんに「おれ、見ちゃったよ」と言われたことがあるんです━笑━。
・━━ピンク映画のスタッフはどのくらいの規模だったのですか。
監督のほかにスタッフは助監督が一人、照明が二人、キャメラマンに助手が一人くらいかな。人数が少ないから、家庭的な雰囲気はありました。
・━━半年間にざっと四十本のピンク映画に出て、仕事としてはきつかったでしょうが、かなりお金も入ってきたわけですね。
ええ。でも、貯金はしなかった。全部使ってた。(中略)あたし、預金通帳ってのが初めて出来たのが、二十七か八になってからなのね。(中略)あと、いっしょにいたひとが全部やってくれたから。要するにお金は全部彼のほうに入ってたから、あたし、あとでお金をもらってやってたわけ。だから、別に生活に困ることもなかったのね。
ひとりになってから、貯金をはじめたんです。(後略)
・━━ピンク映画のころは舞台もやっていたということですが……
ええ、舞台、つまり実演ね。ピンク映画を上映する映画館で、映画の合間に実演を見せるんです。女二人、男二人って決まってるのね。(中略)
━━何をやるんですか。
やっぱりポルノ・シーンが主ね。裸でね。パンティーだけははいて、あとは全部脱いで。芝居もいちおうあるわけ。(中略)でも、実演はおもしろかった。舞台の快感っていうのかな、お客さんに見られるっていうか、お客さんといっしょになってね。で、あんまりまじめにやんないのね。相手役のひととふざけたりしてね。なにしろ、お客さんはストーリーなんか見てないんだから。裸になればいいんだから。(後略)
・━━高校を出てから二十一、二歳まで、三、四年もそんなフーテン生活で住所不明だった?
そう、住所不定。もう最高に楽しかった━笑━。お金なんかなかったけどね。(後略)
・あのころ、歌舞伎町に有名なジャズ喫茶があってね。(中略)そういうふうにダラダラしてるところを、ピンク映画のプロダクションの社長さんにひろわれたわけ。
(明日へ続きます……)
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