昨日の続きです。
ゴダールもまた、映像と言葉を親密に結びつける方法を探求している。ただし、彼の場合、物に対する名前の優位、役者や演技に対する演出の優位、映画に対するシナリオの優位を打ち砕くことによってである。『パッション』(1982年)では、登場人物の一人がこうつぶやく。「見なければ書くことはできず」、その逆はない。しかし「それを語る前にものを見ることは難しい」。それゆえ、ゴダールはスクリーンの中に語をはめ込む。言葉(パロール)、音楽、ノイズ。それらはリミックスされ、しまいには区別がつかなくなる。引用も素材と化し、反復され、断片化され、意味を歪められていく。最新作『さらば、愛の言葉よ』(2014年)のフランス語原題である「さらば、言葉(ランガージュ)よ」という文句は、言葉の消滅ではなく、身体性への、映像の物質性の中への散逸である。この散逸は、短編ビデオ作品『言葉の力』における天使たちのおしゃべりの主題でもある。天使たちは互いに問いあう。「言葉は一語一語が大気に与える運動ではないでしょうか?」。1988年に制作されたこの短編は、本書に載録したデュラスとの最後の対話の直後に作られている。それはまるで最後の対話の真の結論であるかのようだ。作品は火山の爆発と激流の映像とがものすごいスピードで入れ替わるモンタージュの反復で終わる。しかも、サウンドトラックには、ボブ・ディランの〈ホェン・ヒー・リターンズ〉、レナード・コーエンの〈テイク・ディス・ワルツ〉と、シュトラウス、ベートーヴェン、ラヴェルの最高潮のフレーズがミキシングされている。水、火、声とオーケストラとが融合し、破滅的かつ原初的なマグマとなり、デュラスが初めて全編を監督した作品となる『破滅しに、と彼女は言う』(1969年)の結末と響きあう。この作品でも、いくつかの長い対話のあと、バッハのフーガと爆撃音とが混ぜ合わされている。ただし、このリミックスの場面でデュラスが画面に映し出すのは、静かな森と不動の人物のシルエットだけである。
デュラスとゴダールの三回の対話には、また別のやり取りが隠されている。伝統的な配給スタイルから距離を取り、政治的作品と実験的なビデオ作品に十年を費やしていたゴダールは、1980年代、より近づきやすい映画の制作に回帰する。ゴダール本人の弁によれば「映画における第二の人生」である。それと同時期、十年以上にわたって映画に関係するテクストばかり書いていたデュラスもまた、映画制作とは関係ない作品の執筆に回帰する。『愛人ラマン』(1984年)の文学的成功は彼女の映画作家としての活動の終点と一致している。彼女の最後の映画作品は1985年制作の『子供たち』である。彼らの対話は、まさしくこうした彼ら自身の変化の時期と重なっている。ゴダールが対談に応じたのは、自分が決してなれなかった物書きに質問をぶつけるためである。デュラスが対談に応じたのは、彼女にとって「世界の映画作家の中でもっとも偉大触媒」であるとともに、彼女が手を切ろうとしている芸術分野において彼女が認めるわずかな人々の中でももっとも優れた映画作家と対峙するためである。しかも、対話しながら明らかになったのは、言葉と映像の交差という同じ問題意識を共有する他の映画作家を二人ともほぼ誰も知らないということだった。1987年の対話では、フィリップ・ガレル、ジャン・ユスターシュの名をゴダールは即座に挙げたが、ジャン=マリー・ストロープとダニエル・ユイレ、シャンタル・アケルマンやハンス=ユルゲン・ジーバーベルクの名前は出なかった。それは二人の輝ける孤立の証しであると同時に、美学的な後退の証しでもある。映像と音のラディカルな分離に立脚した偉大な作品群が作られた時代は終焉しつつある。ただ、ゴダールとストローブ=ユイレだけが、この道を今日も追及し続けている(ダニエル・ユイレは2006年没)。デュラスとゴダールによる三回の対話という例外的状況は、こうした作品群の後退期と一致している。それゆえ、これらの対話は、こうした作品群を支えていた思考のもっとも優れた証言の一つでもあるのだ。
約200ページと分量的には読みやすいものであり、蓮實重彦先生が帯で「ゴダールがデュラスに向かって『ええっ、ビール!』と絶句する瞬間の真摯な滑稽さ……。『同じコインの表と裏』だというこの二人の対話は、かろうじて存在しているかも知れない映画やサルトルをめぐるやりとりはいうに及ばず、キスについてさえ真摯にしてかつ滑稽である。この真摯で滑稽な言葉のやりとりを読まずにおく理由など、存在するはずもない」と絶賛しているにもかかわらず、デュラスとゴダールが語る言葉はほとんど理解することができませんでした。残念です。
ゴダールもまた、映像と言葉を親密に結びつける方法を探求している。ただし、彼の場合、物に対する名前の優位、役者や演技に対する演出の優位、映画に対するシナリオの優位を打ち砕くことによってである。『パッション』(1982年)では、登場人物の一人がこうつぶやく。「見なければ書くことはできず」、その逆はない。しかし「それを語る前にものを見ることは難しい」。それゆえ、ゴダールはスクリーンの中に語をはめ込む。言葉(パロール)、音楽、ノイズ。それらはリミックスされ、しまいには区別がつかなくなる。引用も素材と化し、反復され、断片化され、意味を歪められていく。最新作『さらば、愛の言葉よ』(2014年)のフランス語原題である「さらば、言葉(ランガージュ)よ」という文句は、言葉の消滅ではなく、身体性への、映像の物質性の中への散逸である。この散逸は、短編ビデオ作品『言葉の力』における天使たちのおしゃべりの主題でもある。天使たちは互いに問いあう。「言葉は一語一語が大気に与える運動ではないでしょうか?」。1988年に制作されたこの短編は、本書に載録したデュラスとの最後の対話の直後に作られている。それはまるで最後の対話の真の結論であるかのようだ。作品は火山の爆発と激流の映像とがものすごいスピードで入れ替わるモンタージュの反復で終わる。しかも、サウンドトラックには、ボブ・ディランの〈ホェン・ヒー・リターンズ〉、レナード・コーエンの〈テイク・ディス・ワルツ〉と、シュトラウス、ベートーヴェン、ラヴェルの最高潮のフレーズがミキシングされている。水、火、声とオーケストラとが融合し、破滅的かつ原初的なマグマとなり、デュラスが初めて全編を監督した作品となる『破滅しに、と彼女は言う』(1969年)の結末と響きあう。この作品でも、いくつかの長い対話のあと、バッハのフーガと爆撃音とが混ぜ合わされている。ただし、このリミックスの場面でデュラスが画面に映し出すのは、静かな森と不動の人物のシルエットだけである。
デュラスとゴダールの三回の対話には、また別のやり取りが隠されている。伝統的な配給スタイルから距離を取り、政治的作品と実験的なビデオ作品に十年を費やしていたゴダールは、1980年代、より近づきやすい映画の制作に回帰する。ゴダール本人の弁によれば「映画における第二の人生」である。それと同時期、十年以上にわたって映画に関係するテクストばかり書いていたデュラスもまた、映画制作とは関係ない作品の執筆に回帰する。『愛人ラマン』(1984年)の文学的成功は彼女の映画作家としての活動の終点と一致している。彼女の最後の映画作品は1985年制作の『子供たち』である。彼らの対話は、まさしくこうした彼ら自身の変化の時期と重なっている。ゴダールが対談に応じたのは、自分が決してなれなかった物書きに質問をぶつけるためである。デュラスが対談に応じたのは、彼女にとって「世界の映画作家の中でもっとも偉大触媒」であるとともに、彼女が手を切ろうとしている芸術分野において彼女が認めるわずかな人々の中でももっとも優れた映画作家と対峙するためである。しかも、対話しながら明らかになったのは、言葉と映像の交差という同じ問題意識を共有する他の映画作家を二人ともほぼ誰も知らないということだった。1987年の対話では、フィリップ・ガレル、ジャン・ユスターシュの名をゴダールは即座に挙げたが、ジャン=マリー・ストロープとダニエル・ユイレ、シャンタル・アケルマンやハンス=ユルゲン・ジーバーベルクの名前は出なかった。それは二人の輝ける孤立の証しであると同時に、美学的な後退の証しでもある。映像と音のラディカルな分離に立脚した偉大な作品群が作られた時代は終焉しつつある。ただ、ゴダールとストローブ=ユイレだけが、この道を今日も追及し続けている(ダニエル・ユイレは2006年没)。デュラスとゴダールによる三回の対話という例外的状況は、こうした作品群の後退期と一致している。それゆえ、これらの対話は、こうした作品群を支えていた思考のもっとも優れた証言の一つでもあるのだ。
約200ページと分量的には読みやすいものであり、蓮實重彦先生が帯で「ゴダールがデュラスに向かって『ええっ、ビール!』と絶句する瞬間の真摯な滑稽さ……。『同じコインの表と裏』だというこの二人の対話は、かろうじて存在しているかも知れない映画やサルトルをめぐるやりとりはいうに及ばず、キスについてさえ真摯にしてかつ滑稽である。この真摯で滑稽な言葉のやりとりを読まずにおく理由など、存在するはずもない」と絶賛しているにもかかわらず、デュラスとゴダールが語る言葉はほとんど理解することができませんでした。残念です。