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斎藤美奈子さんのコラム・その32&山口二郎さんのコラム・その17

2019-02-15 02:52:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている山口二郎さんのコラム。

 まず2月6日に掲載された「理不尽な結論」と題された斎藤さんのコラム。全文を転載させていただくと、
「昨年、大きな議論を呼んだ日大アメリカンフットボール部の悪質反則問題。警視庁は5日、タックルした選手を傷害の疑いで書類送検する一方、前監督と前コーチによる選手への指示は認められなかったと結論した。
 えーっ、なんで!? ではあの反則は選手の勝手な暴走だったのか。
 昨年7月30日に公表された第三者委員会の調査報告書は、前監督と前コーチが反則行為を指示したと認定した。ただ、弁護士らによる第三者委員会報告書格付け委員会はこの報告書にも厳しい評価を下している(8人中7人が下から2番目のD評価)。パワハラを招いた根本的な原因である大学のガバナンス体制への調査が十分でなく、理事長への聞き取りが行われたかどうかも不明というのが主な理由だった。
 それほど厳しい目でチェックされた事案を警視庁は覆したわけだ。
 女子体操選手の告発で明るみに出た体操協会のパワハラ問題では、第三者委員会が『悪質なパワハラはなかった』という報告書を発表した(昨年12月)。元早大教授の女子大学院生に対するセクハラ事件では『事実認定が不十分だ』として、被害女性が同大学調査委員会の報告書に異議を申し入れている(同9月)。
 勇気をふるって声を上げた人たちの告発が認められず、指導者側に好都合な結論が出る理不尽。とても鵜呑みにはできない。」

 そして2月13日に掲載された「金子文子って誰?」と題されたコラム。
「『何が私をこうさせたか』は、関東大震災後に連行され、獄中で二十三歳の生涯をとじた金子文子(ふみこ)の獄中手記だ。金子文子は今日でいう児童虐待の犠牲者といってもいいだろう。出生届が提出されず、子ども時代は無籍者だった。ゆえに小学校も通えず、親たちの都合で親戚の家を転々とし、九歳からの七年間は父方の親戚に引き取られ、朝鮮半島ですごした。祖母や叔母の虐待に加えて、朝鮮人の使用人に対する容赦ない仕打ち。そんな悲惨な少女時代なのに、手記はおそろしく明晰かつ率直で、みるみる引き込まれる。その金子文子と彼女のパートナー朴烈(パクヨル)を主人公にした韓国映画『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク監督)が16日から公開になる(東京、京都、大阪。その後全国各地で順次公開予定)。
 手記は彼女が上京し、朴烈と出会うあたりで終わるのだが、映画が描くのはその先だ。おでん屋でバイトをしていた文子は朴の詩に惹かれて求愛し、同居して不逞社なる結社を立ち上げた。が、関東大震災後、彼らは保護の名目で拘束され『皇太子暗殺』などの容疑で死刑を宣告される。
 国家権力に抵抗した若者たちの物語でありつつも、青春群像劇や恋愛映画の要素も含んだ快作。韓国の女優チェ・ヒソが演じる快活な文子はすばらしくチャーミングだ。本と映画、どっちもおすすめ。」

 さらに、2月10日に掲載された、「報道の自由」と題された山口さんのコラム。
「昨年末、首相官邸の報道室長が内閣記者会に対して、名指しはしないものの本紙の望月衣塑子記者を標的に、事実に基づかない質問は厳に慎むようにという文書を送り付けた。この事実は『選択』という会員制雑誌で明らかにされ、にわかにマスメディアの報じることとなった。この間、報道各社は何をしていたのかという疑問もあるが、最も悪いのは首相官邸である。
 官房長官の記者会見で政府の政策や見解について事実根拠や法律適合性を問われても、菅官房長官は『問題ない』『適切に処理している』と、人を小ばかにした、木で鼻をくくったような返答を繰り返してきた。『問題ない』も『適切』も、しょせん菅氏の主観である。記者会見で質問されたら、事実や法的根拠を示し、政府の正当性を、記者やその背後にある国民に納得してもらうのがスポークスマンの仕事である。
 菅官房長官の主観で事実を覆い隠す記者会見を繰り返しながら、記者は事実に基づいて質問しろとは何事か。公文書改ざん、統計不正、すべて握りつぶし、責任逃れをしてきた政府が、事実という言葉を使うとは恥知らずの極みである。
 望月記者がこんな言いがかりでひるんでいるはずはないと思う。ことは、報道の自由にかかわる。報道界全体が政府と対決するときである。」

 今回も「御説ごもっとも」という文章のオンパレードで、読んでいて爽快感を感じるものでした。

オリバー・ストーン監督『スノーデン』その3

2019-02-14 00:25:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 “2013年6月9日日曜日”の字幕。「僕はエド・スノーデン。29歳。ブーズ・アレン社のアナリストでハワイのNSAで働いています。リスクは覚悟の上です。NSAは国民を抑圧する構造を作り、範囲を拡大しています。私は国民に監視の是非を判断してほしいと思っています。何も変わらないのが一番恐ろしいことです。新しいリーダーが出たら、国民は誰も反対できないでしょう。独裁者の誕生です」。データはバックアップしてあるとスノーデン。一堂、散会。
 “2013年6月10日月曜日”の字幕。「スノーデンはスパイ行為、窃盗、国有財産の横領の罪で告訴されました。香港には拘束を要求。本人はホテルを出た模様です。国連による難民認定を待つ様子」。スノーデン「逮捕されたら、電話してくれ」。
 「恋人のリンゼイ・ミルズは実家でFBIの聴取を受けた。10日が過ぎたが、スノーデンは依然行方不明」。
 「スノーデンはモスクワ行きの便に乗ったらしい。ウィキリークスのスタッフが同行。政治亡命者として、最終的にはエクアドルへ行くとの情報」。
 ロシアの講演会に出演するスノーデン。「ハワイを出て全てを失った。恋人、家族、将来。しかし新しい人生が待っている」。様子はネットで世界に中継され、会場では拍手喝采を受ける。暗転。
 “現在スノーデンはモスクワに居住。彼と人生を共にすべくリンゼイもモスクワに越した。”の字幕。
 “オバマがNSAによる大量データ収集を停止”の字幕。
 “2015年5月7日、NSAによる通話データ収集に違法判決”の字幕。
 “2013年5月13日、議会もNSAに反対”の字幕。
 “2013年6月3日、NSAによる監視を修正”の字幕。
 “2013年6月2日、オバマが米国自由法に署名”の字幕。
 「将来スノーデンは? モスクワで死ぬ。帰国はない。彼は裏切り者? 英雄? 彼は重要な情報を盗みました」「最新ニュースです。議会は通話記録の収集方法の変更を検討。秘密裁判所の透明性確保を指示。スノーデンの勝利かは見方による」。
 “オバマが監視を拡大”の字幕。「米国政府は違法行為を、帰国には罰を伴うべき。スノーデンは米国民を啓発した」。
 “欧州の議員がスノーデンを支持”の字幕。「自由と憲法上の権利が侵されていた」のナレーションで映画は終わる。

 スリル感あふれる映画でした。

オリバー・ストーン監督『スノーデン』その2

2019-02-13 02:54:00 | ノンジャンル
 昨日母の補聴器の電池を買いに専門店に行きました。定価は6500円。帰りに念のため近所のメガネスーパーに立ち寄り、同じ電池を買うといくらかと問うと、会員価格だとナント2500円とのこと。あまりの差額にビックリしました! 今までわざわざ遠くまで高価なものを買いにいっていたなんて。とりあえず、お知らせでした。

 さて、昨日の続きです。
 “ブッシュが令状なき通話傍受を許可”の字幕。「裁判所を無視するのは合法か?」「いいえ、令状なき捜索と押収は違憲です」「そうだ、リオデジャネイロ。つまり最高司令官たる大統領が法を犯してる。そう言いたい訳か?」「場合によります」「記者には何と言う?」「彼らは全体を見通しておらず、一部の真実しか報道しません。外国情報監視室(FISA)とFISA裁判所」「我々は憲法を尊重し、疑わしい者に令状を発行する。だが、令状は秘密裁判所が発行し、容疑者に通知しないこともある。そして裁判の手続きは機密、つまりなんと新聞などでは報道されん」。
 スノーデン「僕のスコアを?」コービン「私もクラスで一番だった。NSAだ。だいぶ重宝された。配属は対ソ連や砂漠の嵐作戦チーム、そして次の課題はインターネット内のテロリスト捜査。一分間に数百テラバイト。メールを読むのに400年かかる。解決策は? 局内で300万ドルが使われた。国外と国内の通信を仕分けられ、標的以外の信号は読めないように暗号化するプログラムの開発だ。私の最高傑作だ。まあ、座れ。この世界でトップに登るとなると、辛いこともある。つまりすべてが順調で自分が優秀だと思っていても、仕事をつぶされることもある」「なぜ?」「理由は説明されない。その2年後、9・11が起きて、友人から請負業者のプログラムについて聞いた。展開に40億ドル。ベーマは私のプログラム。だがフィルターがなかった。全てを収集してデータの海ができ、大惨事だった」「何か目的があったんですよね? 大金をかけたんだから」「情報は諜報業界のためにあると思ってるんだろ? だがすべての方策を決めてるのは軍需産業が潤う管理体制だ。(中略)」「誰かに話を?」「法務部に問題を訴えた。その結果、ここに追いやられ、君に教えている。長い目で見れば大事かもな。君は伸びてる」。
 ここまでで約30分。映画全体は約2時間15分。ということで、これからははしょっていきます。
 雪の林でコービンと狩をするスノーデン。コービン「恋人はいるのか?」スノーデン「ええ、一応」「名前は?」「リンゼイ」「転勤に同行を?」「いいえ、危険な場所には」「危険ではない。中東には送らん。真の脅威は中国、ロシア、イラン。サイバー攻撃を仕掛けて来る。君のような頭脳がなければ我が国は負ける。下らない石油戦争で君を失いたくない」「驚きの御意見です」「政治家に迎合せずとも愛国者だ」「僕をどこへ?」「焦るな。景色を楽しめ」。コービン、去る。
 “香港2013年6月4日火曜日”の字幕。「ガーディアン」紙の記者マカスキル。「スパイ活動法違反で告訴されるぞ。マスコミが取り上げなければCIAの違法な取り調べが待ってる。私は世間に公表してほしいだけだ。その後で国民が判断すればいい。(中略)」
 “ガーディアンU.S.ニューヨーク・オフィス”の字幕。
 “スイス ジュネーブ 2009年”の字幕。スノーデン「人事部がハッキングされた」「私はNSAのガブリエル・ソルだ。世界中の人の情報を入手できる」。
 スノーデン「世界貿易機関のデ・ラ・ホーヤ、クレディ・スミス。隣がJ・P・モーガン。犯人の老婦人は銀行家。弱点を見つけて押す。盗撮もOKだ」。
 “香港 2013年6月4日火曜日”の字幕。
 “東京 横田空軍基地 2009年”の字幕。
 “メリーランド州コロンビア2011年”スノーデン「自由より安全が大切だ」。てんかんの発作を起こすスノーデン。
 “香港 2013年6月5日水曜日”の字幕。
 “「トンネル」NSA工作センター ハワイ オアフ島 2012年”の字幕。対中国の工作をするスノーデン。頭がぼーっとするため、てんかんの薬を飲むのをやめていると告白する。
 夜のパーティ。銃が暴発し、スノーデンはてんかんの発作を起こす。
 データをチップにコピーし、チップをルービックキューブに隠し、仕事場から持ち出すのに成功するスノーデンは、光の中へ進んでいく。
 “2013年6月5日水曜日”の字幕。記事がマスコミに出る。
 “2013年6月6日木曜日”の字幕。「米国政府の監視プログラムとガーディアン紙によると、NSAは9社のデータに侵入。マイクロソフト、ヤフー、グーグル、フェイスブック、スカイプ、ユーチューブ、アップルなど。あらゆる種類のデータを入手していた」。
 “2013年6月7日金曜日”の字幕。「大統領、監視は乱用しない」という新聞見出し。
 “2013年6月8日土曜日”の字幕。「秘密主義の機関の行いは脅威」という新聞見出し。「プライバシーと自由は守られるべきだ」。(また明日へ続きます……)

オリバー・ストーン監督『スノーデン』その1

2019-02-12 05:16:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、オリバー・ストーン監督・共同脚本の2016年作品『スノーデン』を見ました。
 “本作は2004~2013年の実話に基づく”の字幕。
 「ザ・ミラ・ホテル」の看板。男「ワニはここだけ」女性(ローラ・ポイトラス ドキュメンタリー作家)「もう4分も過ぎたわ」男(グレン・グリーンウォルド「ガーディアン」紙コラムニスト)。ルービックキューブをもった若者が近づいてきて、「レストランは何時から?」「正午ですが料理がかなり辛い」「こちらへ」。“香港 2013年6月3日 月曜日”の字幕。「ここの部屋です」。ドアノブに「就寝中」のラベル。
 「やっと会えてよかった」スノーデン「まず携帯を預からせてもらいます」グレン「記録はローラに任せよう」携帯を箱に収めたスノーデン「これで電波を遮断できる」。
 スノーデン「撮られるのは久しぶり」グレン「動機は? なぜ膨大な量の情報にアクセスできたのか?」「それより最初に名前を。エドワード・J・スノーデンです。29歳で国家安全保障局(NSA)の契約スタッフに。かつてCIAの職員も」。“ジョージア州フォートベニング 2004年”の字幕。「この9年間、様々な情報関連の仕事をしてきた。」(中略)
 嘘発見機にかけられるスノーデン。「法を犯して逃れたことは?」「ありません」「カンニングの経験は?」「ありません」「米国は世界一だと思う?」「はい」。
 「なぜCIAに? 子どもにネットの説明を。おじいさんは軍人でFBIにいたと? 父は30年沿岸警備隊に? 人生で最も重要な日は?」「9・11です。祖父がペンタゴンにいたからです」「軍への入隊試験では一問を除き全て正解だった。外国語も優秀で、北京語と日本語を話す。高校は中退だが?」「両親の離婚に伴い稼ぐためです」「影響を受けた人は?」「ジョセフ・キャンベル、『スター・ウォーズ』のソロ、アイン・ランドです。『一人で世界は止められる』肩をすくめるアトラス。それが僕の信念です」「もう一度。なぜCIAに?」「正直に言うと、極秘情報を扱うのがカッコいいと思ったからです」「不合格だ。平和ならな。今は平和でない。テロを止めるのは爆弾でなく頭脳だ。チャンスをやろう。(中略)私はコービン・オブライアン、指導教官だ。“ザ・ヒル”での訓練に来い」。
 門での検問。“バージニア州CIA訓練センター『ザ・ヒル』 2006年”の字幕。「コービンの教室なら廊下を突き当たったところだ」「それはエグニマですか?」「いや、エグニマは破られた。これは難攻不落のシバガだ。(中略)」「暗号に興味が。これは?」「ホットラインだ。ワシントンとモスクワを繋いで第三次大戦を防いだ。君の名前は?」「エド・スノーデンです」「私はハンクだ。どこで勉強を?」「ほとんど独学です。あれはCray━1ですか?」「そうだ。最初のスーパーコンピュータだ。性能は携帯電話程度」「あなたはエンジニアですか?」「教官でもあって、君らを監視している。ドラッグや酒に逃げないように。人生の楽しみは?」「コンピュータです」「それならこの娼館に来て正解だ」。
 コービン「テロとの戦いの前線はイラクやアフガンではない。ここだ。ロンドン、ベルリン、イスタンブール、全サーバー、全接続。現代の戦場は世界中だ。(中略)もし再び9・11が起きたなら君らの責任だ。前回は私たちの責任だった。そう感じて生きるのは辛い。まずは適性検査だ。各々が担当都市に秘密の通信網を構築し、それを展開し、バックアップして破壊して復元しろ。これはインフラを稼働させ続けるためだ。平均使用時間は5時間。8時間以上なら不合格だ。
 パソコンの画面に「成功」の文字。スノーデン「オブライアン教官、終わりました」「段階ごとの報告は要らん」「全部終わりました。38分です」「ミスを確認しよう」「順番通りとは言われなかったので、時間短縮のため、順序を無視して自動バックアップに。次は何を?」「好きにしろ」。
 “ワシントンD.C.”の字幕。リンゼイ「あなた実際に青白いの?」スノーデン「やっと会えた」。
 スノーデン「国務省で分析の仕事をしている」リンゼイ「バージニア州に国務省はないわ」。
 男「爆撃反対の請願書に署名を」。署名するリンゼイ。スノーデン「自分の国を非難したくない」「でも実際に人を殺してる」「友だちが戦場にいる」(中略)「バカ男よ」「大統領のこと?」「そう、彼は間違ってる」「政府に疑問を呈してる?」「米国人なら当然よ」「リベラルなマスコミへの疑問は? 君は意見が偏ってる」「そうかも。でも正しい」「僕も正しい」「本当に? 堅い保守派には腹が立つ」「真実を言うから?」「あなたってムカつく。分かってる?」「完璧に見えてる」。二人、キス。「これで見えた?」「いや、特に何も。リベラルの味がした。好みじゃない」。(明日へ続きます……)

篠崎誠『映画とは何か、これでもまだ映画か、という問いかけ』

2019-02-11 05:08:00 | ノンジャンル
 2016年に映画アーカイブが行った「生誕100年 映画監督 加藤泰」に寄せて、篠崎誠さんが書いた「映画とは何か、これでもまだ映画か、という問いかけ」という文章の一部を転載させていただきます。

・一つ目は出演者全員がノーメイクであるということ。

・もう一点。ノーメイク以上に重要と思えるのが、完全なる全篇同時録音(オール・シンクロ)だ。

・そこまでしてシンクロ(同時録音)にこだわった理由は何なのか。加藤泰は「嘘をつきたくないからだ」と言う。「嘘をつかない」とはどういうことか。その台詞が俳優の口から発せられた時の、二度と再現できぬ演技の一回性に賭けること、と同時に空間の残響もまるごと録るということだ。映像に置き換えれば、わかりやすい。

・おそらく『風と女と旅鴉』の時点では、「嘘のない音」という表現の仕方で加藤泰が当初目指したのは、リアリズムに依拠した同時録音だったのではないかと思う。しかし、それがある時から変わってくる。

・この二つのうち特に加藤を惹きつけてやまなかったのは、後者の、映像と音の非同時性であったことは、加藤泰の映画を見てみれば明らかである。

・画面に映し出されたものの音をリアルに再現することに留まらず、フレームの外を音によって想像させるというだけでもなく、そこで本来聞こえないはずの、ある音を響かせることで、映画にもう一つ別の位相を呼び込むような音作り(たとえば『江戸川乱歩の陰獣』(1977年)で大友柳太郎と田口久美が碁を打つ音がいつしか鞭の唸りに変わる瞬間!)。当然音作りが変われば、映像そのものも変容せざるを得ないのは言うまでもない。

・ずばり、そんな音と映像の真剣勝負によって、加藤の映画がさらに大きく飛躍し、それに呼応して画面の調子も尋常ならざるものに変貌していくのは、『日本侠花伝』(1973年)以降である。

・加藤泰が松竹に招かれて撮った『男の顔は履歴書』(1966年)と、東映に戻って撮った『緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971年)である(60年代の充実した作品群の中で、なぜこの2本なのかは後述する)。

・どちらの映画も、ジャンルや物語性の違いをこえて、通常のリアリズムを超えたような夢幻的な時間が突出した形で現れる。

・人間には誰もが、幸せに生きる権利がある。それにも関わらず、それを阻む何か、差別意識、権力の支配、そういったものが許せない。それに抗おうとする人々の魂の叫び。

・伊藤がそれを描いたこと、言い換えれば、映画が思想を語ることが出来ること、そして何よりも人間をまるごと描くことができると教えてくれたのが他ならぬ伊藤大輔であり、それこそが伊藤の映画から自分が学びとったものだった、と。

・加藤は、人間を不条理な存在に押しやる制度、差別、権力構造を心の底から憎んだ。そのことが最も激烈に、かつリアリズムを超えた音と映像の表現として描かれたのが、当時「三国人」とも呼ばれた人々を真正面から描いた『男の顔は履歴書』であり、一見すると会社からのお仕着せ企画に見えかねない『緋牡丹博徒 お命戴きます』なのではなかと思う。

・前者では無意味な差別、後者では公害問題。いわば、娯楽映画の中に、アクチュアルな社会問題をとりこみ、単にうまく映画的に処理してみせたのではなく、むしろそのことで映画が歪みを生じようとも、映画の表現に結びつけ、格闘した。この2本においては、前述した音と映像との非同時性が、商業映画としての出来の良し悪しを超えた何かとして間違いなく宿っていると思えてならない。

 一流の加藤泰論でした。