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山根貞男『映画の貌』その6

2019-02-20 07:28:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 さらに瞠目したのは、れっきとした男優諸氏が、なんとも艶やかな女っぷりを見せることである。小野寺昭の筋骨隆々たるママさんぶりもスゴイが、赤塚眞人と森川正太が素晴らしい。わたしはこれまでずっとこの二人を映画で見てきて、失礼ながら、うまい俳優だと思ったことが一度もない。それがこの映画では、信じられないような名演技で胸をうってくる。伊東四朗も光っているが、それは芸の力というもので、赤塚眞人が公園のベンチで見せる感動的な演技は、とても芸ということばでは説明できない。明らかにそれを超えたなにかが、そこには感じられる。そのなにかとは何か。瀬川昌治の正攻法をつらぬいた演出の成果なのか。めったにない異様な設定の役柄ゆえ、ふだんの演技術はとうてい通用せず、それが解体されてしまったあとに、まったく新たな形の演じる力が湧いて出てきたということか。たぶん実情としては、その両方が巧みにミックスしているのだろう。
 このことは『夜明けのシンデレラ』全体にいえるにちがいない。
 八木沢まりたちホンモノの芸人ならぬゲイ人が、妖しい美しさを撒き散らす。小野寺昭や赤塚眞人や森川正太が、それに負けじとばかりに、ふだんでは想像できない演技をくりひろげる。金田賢一だけがただ一人、ごく常識的な人物かと思っていると、何を考えているのかよくわからない。いっぽう、永島暎子のくだりでは、見慣れた家庭ドラマがしっとり描かれる。そうしたなか、片岡鶴太郎が右往左往して走り回る。
 作品全体のこの構図は、まさしく正攻法とそれの解体とが、みごとに混融していることを示している。たんにオーソドックスな映画づくりを貫徹するだけでは、こんなふうにはならない。また、頭からムチャクチャにつくろうと思ったのであれば、奇を衒っただけの作品になる。この映画では、その両方のあわいのところで、唖然とするほどの不思議なおもしろさが結実しているのである。
 瀬川昌治には『瀬戸はよいとこ・花嫁観光船』(1978年)という作品がある。これがもう飛びきりの珍品で、さきの金井美恵子や映画評論家の山田宏一などわたしの親しい映画ファンのあいだでは、「まぼろしの映画」として名高い。そのおもしろさを語り合って何度ビールを飲んだことか。名画座で上映されることがなく、ビデオでも出ていないので、語り合うほど「幻」性が深まってゆく。
 いま、瀬川昌治は、それに匹敵する珍品を見せてくれた。こんな珍品はだれにでも撮れるものではない。映画史の底には、〈珍品の映画史〉とでもいうべきものがひそかに流れているのではなかろうか。

 以上が瀬川昌治監督の『Mr. レディ・夜明けのシンデレラ』評でした。そしてもう一つ、キラ・ムラートワ監督の『長い見送り』の評をご紹介して、この本のご案内を終わろうと思います。

 どのシーンも溜め息が出るほど美しく、せつせつと胸を打つ。こんな傑作がどうして長いあいだ未公開のまま埋もれていたのか、とあらためて奇異に感じる。まさしく“幻の名作”の日本初公開である。(中略)
 黒海沿岸の地方都市を舞台に、二人暮らしの母子の日常生活がつづられてゆく。十数年前に夫と別れ、翻訳の仕事で息子を育ててきた中年女性。なにかと過保護な母親を煩わしく感じはじめている思春期の息子。どこにでもありそうな親子の姿で、筋書きも目新しくはない。しかし全篇、異様なほど迫力に満ちている。明らかにそれは、すべてがヤバイところスレスレで描かれるからにちがいない。
 たとえば母親が息子を連れて黒海の海辺の友人の別荘を訪ねる。庭で食事やアーチェリーを楽しんだり、散歩をしたり、その光景自体はなんの変哲もないけれど、まだ若く色っぽい母親が友人から紹介された男と親しくなるとき、まるで火遊びを楽しんでいるかに見える。後日、芝居に誘われる場面では、それがさらに進展する。息子のほうも、別荘で幼馴染みの少女と久しぶりに会い、匂い立つような美しさに魅せられるさまが、少女の挑発的な様子とともに、危険は遊びに突入する一歩手前を思わせる。そして、もはやいうまでもなかろうが、溺愛と反撥の関係のなかでもがく主人公二人の姿も、きわめて性的で、母子の関係を越えてしまいそうな危うさを放つ。
 画面づくりにも特徴があって、個々の映像も、それを連ねるドラマの語り口も、つねに繊細かつ力強く揺れ動いている。見る者がときおり目まいを感じるほどに。その揺れこそが、主人公たちの人間関係をヤバイところスレスレに表現するのである。
 真に映画的なセクシュアリティを実現しているキラ・ムラートワの手腕を賞賛しよう。彼女は昨年(1993年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査委員長をつとめたが、本格的にはこれが監督作品の初紹介となる。

 以上、『映画の貌』の紹介でした。