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高見ノッポ『チャップリンと私の父』

2019-02-22 12:26:00 | ノンジャンル
 国立映画アーカイブが2007年に主催した「没後30年記念 チャップリンの日本 チャップリン秘書・高野虎市遺品展」のパンフレットに掲載された、高見ノッポさんの「チャップリンと私の父」という文章を全文転載させていただこうと思います。

 「10月の初旬、東京国立近代美術館フィルムセンターの学芸員の方から電話があった。
『ちょっとお訊ねしますが、ノッポさんのお父様は昔、柳妻麗三郎という芸名で京都の方で映画に出ていらっしゃいますよね』
『ええ、そうらしいですね。なにしろ色んな名前を持ってましたから、そんな時も……』
『実はですね、当方で“チャップリンの日本”という展示会を企画しているのですが、当時の日本映画「活動狂時代」というものの中でチャップリンに扮して出演しているのがそのお父様なんですよ。東京の方にももう一人小倉繁さんという方がいらっしゃるんですがね』
『あらあ?!』
『残念ながら本篇のフィルムは見つかりませんでしたが、スティール写真だけが残ってました』
『何年ぐらいの製作ですか?』
『大正15年です』
(中略)
『ふーん……あっ、そうかあ!!』
『あ、モシモシ、なんですか?』
『あ、いえ、こっちのことですよ。うーん……そうかあ、そうなんだ。そこから“チャーリー高見”が始まってたんだ』
『モシモシ、モシモシ。なにが始まったんですかぁ?』

 オヤジは最初、松旭斎天秀と名乗るマジシャンだった。で、それからいつの間にか京都のマキノ映画で柳妻麗三郎なる映画俳優になっていて、そして最後が“チャーリー高見”なる芸名で、チャップリンの扮装そのままに他愛ないマジックとかをネタにして客の前に出ていたのである。(中略)
 実は昭和13年頃、オヤジは浮草稼業から足を洗って、東京の親類の経営する町工場の工場長になっていたのだ。妻子合わせて5人を食べさせる為にはそうするしかなかったのだろう。芸人さんとしちゃ鬱屈したものがあったろうがそんな気振りは見せたことがなかった。只、時折一番小さかった私(私の上の三人は私より一廻り上だったから、オヤジも遠慮していたのだろう)の手を引いて浅草の劇場街へ連れて行くと、楽屋口に顔を突っ込んで嬉しそうに笑っていた。
 やがて戦争が始まり、工場ごと岐阜の笠松という町に疎開し、終戦と同時にオヤジは失職した。
 ちょいとブラブラしていた。そしてそんな或る日、オヤジは押し入れの中からそれ迄見たことがなかった大型の皮鞄を出して来て、こう言ったのである。
『さあ、皆んなに見せてあげましょう』
『なにおさ?』
『私は面白いですからね。私が演ると皆んなが喜びますよ』
『喜ぶの……』
『はい、これです』
 鞄の中味はあの馴染みの衣裳が一式。
 私はそれ迄、昔の新聞の切り抜きや、小さな写真でオヤジのチャップリン姿は知っていたが、その衣裳一式が押し入れの中にあったなんて知らなかったのだ。
『参ったなあ、恥ずかしいよ、お父さん』
『いやいや』
 オヤジはにこにこしながら出て行き、にこにこしながら帰って来た。

 戦後、映画館が真っ先に開場した。そしてやがてチャップリン映画が見られる様になった。みな楽しく面白かった。だが本当を言うと、見る前に全て知っていたのだ。
 戦争中もオヤジはチャップリンに対する敬意━━うーん、勿論のことそれもあるけど、とにかく大好きな人ってことかな。とにかく小学生の私にチャップリンとその映画の話をしてくれる時はそれはそれは嬉しそうだった。
 『キッド』『担え銃』『モダン・タイムス』『黄金狂時代』『街の灯』━━この全ての筋立て、ちりばめられたギャグと名演技、それを余すことなく御講義なさっていたのだ。
 見る前に知ってたって、そりゃ真物のチャップリンの方がずうっと面白かったし、ギャグの意味や名演技のなんたるかなんて、稚ない私にはオヤジの講義はとてもありがたかった。

 さて、私が高校1年の時に東京に戻った。上の兄姉達は立派に独立していたが、一人残ったこの不肖の息子のために“チャーリー高見”は本格的に働き始めた。
 駐留軍のキャンプ廻り。ナイト・クラブ。大きなキャバレー。そして時にはミュージック・ホール。
 高校生の私も鞄持でついて行ったことがある。
 オヤジはどこに行っても見事だった。私だったらすぐにも泣き出したくなる様な悪条件のもとでも━━楽屋もなくてね、ホールの裏通路の裸電球の下で、鞄の上に手鏡ひとつ置いてね、太く眉を引き、ヒゲをつけて……
 オヤジは平然と客の前に出て行きましたよ。私は思うんですが、きっとオヤジは『私が演ると皆んな喜びます。それに私は私の大好きなチャップリンになってるんですよ』そういう自信があったんでしょう。

 大正15年の映画の中でチャップリンになって、それが始まりで、その後60才を過ぎるところまで演っていたんですね。」

転載させていただいたのは以上です。チャーリー高見、動画が存在していれば是非見てみたい方でしたね。