昨日から先程まで、伊豆の河津桜見物と、そのついでにサボテン公園に母と行ってきました。河津桜はもう盛りを過ぎていましたが、サボテン公園では近くに行っても逃げない鳥たちと出会え、また猛烈な霧の中を車で走るという経験もでき、楽しい1日でした。サボテン公園、オススメです。
さて、山田宏一さんが'02年に出された「恋の映画誌」を読みました。様々な恋を扱った映画についての本、というよりも恋にこじつけて、素晴らしい映画のすべてについて語られたような本です。
「祐子へ」という献辞から始まるこの本は、映画への愛に満ち満ちた本であり、その文章は映画そのものといってよいほどの素晴らしさです。例えば'19年のグリフィス作品「散り行く花」についての文章。「川霧に包まれた薄明のなかを、小さな中国船(ジャンク)がよぎっていく冒頭のイメージから、息を飲む美しさだ。詩人のギヨーム・アポリネールが『失恋した男の歌』のなかでうたったような『薄霧こめたある夕(ゆうべ)、ロンドンで』テムズ川をおおう夕暮れの光のなかに白い帆が通りすぎていく光景を見ながら、思い出されるのは映画『散り行く花』である―とフランス映画監督、ルネ・クレールも回想する(『映画をわれらに』山口昌子訳、フィルムアート社)。(中略)夜、窓から月光がもれてくる。リチャード・バーセルメス扮する中国青年(イエローマン)は立ち上がって窓辺に行き、岩間から流れ落ちてくる清水をすくうように、月光をてのひらにつかみとり、こぼさないようにそっとベッドまで持ってくると、眠れる美少女、リリアン・ギッシュの上にやさしく撒いてやるのである。」この映画を見たことがある人は、この文章を読むことによって、あの素晴らしかったシーンを追体験することができますし、映画を見たことのない人でも、この映画を見たい気を起こさせるとともに、映画を既に見た気にさえさせてしまう(もしかしたら、実際の映画以上のイメージを抱く人さえいるかもしれない)ほどに、あまりに映画的な文章だと言えるでしょう。句読点が極端に少ない文章は、延々と回るフィルムを想起させるものでもあり、ワンシーン・ワンカットを文で体現しているようでもあります。また、言葉使いの適切さにも脱帽します。
ちなみにここで扱われている映画は1人の監督について1作品というルールに乗っ取っていて(例外はハワード・ホークスとウィリアム・ワイラーとルネ・クレマン)、私が特に映画的な興奮を掻き立てられた文章は、上にも一部紹介した「散り行く花」についての文章以外に、'24年のハロルド・ロイド主演作品「猛進ロイド」、'27年のトッド・ブラウニング監督作品「知られぬ人」、'31年のノーマ・シアラー主演作品「自由の魂」、'33年のヴィリ・フォルスト監督作品「未完成交響楽」、'34年のモーリン・オサリヴァン助演作品「ターザンの復讐」、'34年のジョージ・ラフト主演映画「ボレロ」、'34年のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品「西班牙狂想曲」、'39年のレオ・マッケリー監督作品「邂逅」、'41年のバーバラ・スタンウィック主演作品「レディ・イヴ」、'44年のやはりバーバラ・スタンウィック主演映画「深夜の告白」、'46年のフランク・キャプラ監督作品「素晴らしき哉、人生!」、'47年のジャック・ベッケル監督作品「幸福の設計」、'52年のジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン共同監督作品「雨に唄えば」、'52年のルネ・クレマン監督作品「禁じられた遊び」、'52年のジェニファー・ジョーンズ主演作品「黄昏」、'53年のオードリー・ヘップバーン主演作品「ローマの休日」、'57年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品「めまい」、'61年のミハイル・ロンム監督作品「一年の九日」、'72年のルネ・クレマン監督作品「狼は天使の匂い」などなどに関して書かれた文章でした。
掲載された写真も素晴らしく、その多くが川喜多記念映画文化財団から提供されたもので、私はそこからお母さまよりも、生前多くの埋もれた海外映画を日本に紹介してくれた川喜多和子さんのことを思い出しました。
とにかく映画好きの方には一生ものの本です。文句無しにオススメです!
さて、山田宏一さんが'02年に出された「恋の映画誌」を読みました。様々な恋を扱った映画についての本、というよりも恋にこじつけて、素晴らしい映画のすべてについて語られたような本です。
「祐子へ」という献辞から始まるこの本は、映画への愛に満ち満ちた本であり、その文章は映画そのものといってよいほどの素晴らしさです。例えば'19年のグリフィス作品「散り行く花」についての文章。「川霧に包まれた薄明のなかを、小さな中国船(ジャンク)がよぎっていく冒頭のイメージから、息を飲む美しさだ。詩人のギヨーム・アポリネールが『失恋した男の歌』のなかでうたったような『薄霧こめたある夕(ゆうべ)、ロンドンで』テムズ川をおおう夕暮れの光のなかに白い帆が通りすぎていく光景を見ながら、思い出されるのは映画『散り行く花』である―とフランス映画監督、ルネ・クレールも回想する(『映画をわれらに』山口昌子訳、フィルムアート社)。(中略)夜、窓から月光がもれてくる。リチャード・バーセルメス扮する中国青年(イエローマン)は立ち上がって窓辺に行き、岩間から流れ落ちてくる清水をすくうように、月光をてのひらにつかみとり、こぼさないようにそっとベッドまで持ってくると、眠れる美少女、リリアン・ギッシュの上にやさしく撒いてやるのである。」この映画を見たことがある人は、この文章を読むことによって、あの素晴らしかったシーンを追体験することができますし、映画を見たことのない人でも、この映画を見たい気を起こさせるとともに、映画を既に見た気にさえさせてしまう(もしかしたら、実際の映画以上のイメージを抱く人さえいるかもしれない)ほどに、あまりに映画的な文章だと言えるでしょう。句読点が極端に少ない文章は、延々と回るフィルムを想起させるものでもあり、ワンシーン・ワンカットを文で体現しているようでもあります。また、言葉使いの適切さにも脱帽します。
ちなみにここで扱われている映画は1人の監督について1作品というルールに乗っ取っていて(例外はハワード・ホークスとウィリアム・ワイラーとルネ・クレマン)、私が特に映画的な興奮を掻き立てられた文章は、上にも一部紹介した「散り行く花」についての文章以外に、'24年のハロルド・ロイド主演作品「猛進ロイド」、'27年のトッド・ブラウニング監督作品「知られぬ人」、'31年のノーマ・シアラー主演作品「自由の魂」、'33年のヴィリ・フォルスト監督作品「未完成交響楽」、'34年のモーリン・オサリヴァン助演作品「ターザンの復讐」、'34年のジョージ・ラフト主演映画「ボレロ」、'34年のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品「西班牙狂想曲」、'39年のレオ・マッケリー監督作品「邂逅」、'41年のバーバラ・スタンウィック主演作品「レディ・イヴ」、'44年のやはりバーバラ・スタンウィック主演映画「深夜の告白」、'46年のフランク・キャプラ監督作品「素晴らしき哉、人生!」、'47年のジャック・ベッケル監督作品「幸福の設計」、'52年のジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン共同監督作品「雨に唄えば」、'52年のルネ・クレマン監督作品「禁じられた遊び」、'52年のジェニファー・ジョーンズ主演作品「黄昏」、'53年のオードリー・ヘップバーン主演作品「ローマの休日」、'57年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品「めまい」、'61年のミハイル・ロンム監督作品「一年の九日」、'72年のルネ・クレマン監督作品「狼は天使の匂い」などなどに関して書かれた文章でした。
掲載された写真も素晴らしく、その多くが川喜多記念映画文化財団から提供されたもので、私はそこからお母さまよりも、生前多くの埋もれた海外映画を日本に紹介してくれた川喜多和子さんのことを思い出しました。
とにかく映画好きの方には一生ものの本です。文句無しにオススメです!