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服部文祥『サバイバル登山家』

2009-02-18 17:34:40 | ノンジャンル
 2月9日の報道ステーションで衝撃的な技術の紹介をしていました。車が道路に与える振動で発電するシステムで、首都高にこのシステムを導入すると、何と東京の家庭が必要とする電力の半分を供給できるというのです。コストに関しては触れられていませんでしたが、現に橋の照明などに使われているとか。注目です。

 さて、高野秀行さんが推薦する、服部文祥さんの「サバイバル登山家」を読みました。
 著者が厳冬の知床岬でキタキツネに食糧を盗まれ、危うく遭難しかけるところから、この本は始まります。そして高度経済成長のまっただ中に生まれた著者は、「生きるということに関してなにひとつ足りないものがない時代に生まれ育ってきた。それが僕らの世代共通の漠然とした不安である。(中略)環境が満ち足りているのに、何もできないというのは恐ろしい。それはダイレクトに無能を証明するからだ。」と言います。そして「生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある。」と述べます。そして著者が先ず向かったのは、大井川源流。通信手段を持たず、食糧も現地調達で、空腹を耐え、道なき道を歩きます。そして「『なんとなく」という感覚は大事にしたほうがいい。勘という言葉を(中略)僕は言葉に還元できない総合判断だと思っている。(中略)人間は言葉を使って頭でものを考えていると思いがちだが、言葉をもたない野性動物たちもかなりの物事を判断している。」「食べられるものは旨い。食べられないものはまずい。舌をそんなシンプルな道具として使いうることは生命体の喜びである。」と考えるに到ります。そしてイワナ釣りの方法、山菜採りの方法、装備の仕方、計画の立て方から始まり、実際に服部さんが経験した「サバイバル登山」の様子が語られていきます。そうした中には、「山の奥深く入ると、広がりすぎた人間の能力が、すうっと自分に集約されてくるような感覚がある。そんなとき、僕は地球に対して自分がフェアになれたような気がする。登山とは現代社会が可能にしているディフェンス力―現代医療、人権、法律など―を一時的に放棄する行為だと僕は思っている。」「北海道の山に人の匂いがしないのは、先住民の文化が海辺の文化だったからではないだろうか。」「免疫機能からは自分とは胸あたりということができる。」など、示唆にあふれた文章が散見されます。
 自然の厳しさの中に敢えて自分を置くことで見えて来る、自分の存在の意味というものが切々と迫ってくる、見事な文章だと思います。満たされた生活に物足りなさを感じている方々にはオススメです。