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セルジオ・レオーネ監督『続夕陽のガンマン 地獄の決斗』

2020-09-08 00:11:00 | ノンジャンル
 今朝の朝日新聞で、チェコの映画作家イジー・メンツェルさんの訃報が報じられていました。「65年の初長編『厳重に監視された列車』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。69年の『つながれたヒバリ』は完成直後に上映禁止となり、21年後のベルリン映画祭で金熊賞に選ばれた」とのこと。アマゾンでブルーレイが買えるので、在庫がなくならないうちに注文されることをおススメします!

 さて、セルジオ・レオーネ監督の1967年作品『続夕陽のガンマン 地獄の決斗』(原題『The Good, The Bad and The Ugly』)をテレビ朝日で再見しました。あらすじをサイト「映画.com」から引用(一部改変)させていただくと、

 南北戦争末期の西部。「いい奴」(クリント・イーストウッド)と「醜い奴」(イーライ・ウォラック)の二人はコンビを組んで賞金をかせいでいた。「醜い奴」が人を殺し、賞金つきのお尋ね者となる。その「醜い奴」を「いい奴」がとらえて賞金をうけとり「醜い奴」が絞首刑となる寸前に「いい奴」が絞首刑の縄を銃で撃って切り、「醜い奴」を救い出す、といった方法だった。
 だが、「いい奴」は「醜い奴」の賞金が限度に達したと考え、「醜い奴」を荒地のど真ん中に置いて、馬で去ってしまう。悪態を放つ「醜い奴」。
 怒った「醜い奴」は、「いい奴」を罠におとしてとらえ、砂漠の中で渇きの苦しみを与え、痛めつける。その時、南軍の兵士の死体をのせた馬車が疾走して来た。その中には唯一人瀕死の兵士が生きていて、水を求めていた。その兵士が墓地に隠した二十万ドルのありかを知っているというので、「醜い奴」は水を取りに行ったが、戻ってくると兵士はすでに死んでいた。そして「いい奴」はその墓の名を聞いていた。墓地の名を「醜い奴」が、墓石の名を「いい奴」が知っているということで、二人は相棒になるしかなかった。
 二人はほこりにまみれて白くなった軍服を着た軍隊を北軍と間違えて、「醜い奴」が「リー将軍、万歳!」と言ってしまい、それが原因で南軍に捕えられ、南軍の兵士にされてしまう。しかし南軍の砦には、以前から、隠されていた二十万ドルをさがしていた「悪い奴」(リー・ヴァン・クリーフ)がおり、「醜い奴」は「悪い奴」の拷問を受け、両目をつぶされそうになり、自分が知っていることを白状する。が、「いい奴」がいくら拷問をかけても口を割りそうにないとみた「悪い奴」は、同盟を結び一緒に金を捜すことにする。「醜い奴」は「悪い奴」によって、拷問人と手錠でつながれ、列車の荷台に乗せられるが、小便をするふりをして拷問人とともに列車を飛び下り、拷問人の頭を石にたたきつけて殺し、死んだ拷問人をレールとレールの間に置き、やってきた列車がその鎖を踏むことによって、鎖から解放され、金が待つ墓場へ向かう。墓場に到着し、踊り喜ぶ「醜い奴」。彼は「いい奴」から聞いていた名前の墓を発見し、夢中になって手で掘っていると、やがて箱に行き渡る。するとそこへ「いい奴」が現われ、「醜い奴」を銃で脅し、スコップを渡して、箱を開けさせるが、中はただの人骨だった。「いい奴」は嘘を言っていたのだ。そこへやはり銃で武装した「悪い奴」が現われる。「いい奴」は石に墓の名前を書き、その石を地面に置く。三すくみの状態になる三人。そしてまず「悪い奴」が残りの二人に射殺され、その遺体は棺をおさめるために掘った穴の中に転がり落ちる。残った二人はお目当ての金を掘りあてるが、「醜い奴」は「いい奴」の罠にかかってしまい、掘り出した金の半分を与えられた後、「いい奴」に絞首刑の恰好をさせられる。不安定な墓板の上に立たされ、首に縄を巻き付けられ、両手も後ろ手にしばられ、砂漠の中の墓場に置いていかれる。「醜い奴」。彼は「いい奴」に必死になって命乞いをするが、「いい奴は馬にほりだした金の半分を乗せて、その場を後にする。足がぐらぐらし、今にも絞首刑になりそうな「醜い奴」。遠方に消えた「いい奴」の姿はしばらくするとまた現われ、「いい奴」は遠方から狙い撃って、「醜い奴」のクビにかけられた縄を吹っ飛ばす。九死に一生を得た「醜い奴」は、悪態をつきながら、「いい奴」の後を追っていくのだった。

 かなり残酷な暴力シーンが多く存在しましたが、エンニオ・モリコーネの音楽がその暴力性を叙情的にさせる力を持っていて、有名なメインテーマだけでなく、他にもいい音楽が随所に聞かれました。(そもそもこの映画放映は、先日亡くなったエンニオ・モリコーネに捧げるための放映でした。)セルジオ・レオーネの秀逸なショットも数多く見られ、ショットのつなぎも作品全体に緊迫感を与えていました。激しい暴力性と書きましたが、イーライ・ウォラックの存在がユーモラスな雰囲気を作品に吹き込み、ただただ残酷な映画というものから映画を救っていたと思います。改めてエンニオ・モリコーネの死を悼むとともに、セルジオ・レオーネの再発見をした作品でもありました。

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