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ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『灼熱の魂』その6

2018-11-26 06:07:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 シモンと2人の男、車へ。
 橋のたもと。ジャンヌ、車から降りる。「君はよくやった。だから君を助けよう。国を去るのだ。楽に暮らせるぞ。家と仕事を提供する。いい人生を送ってほしい。アメリカには協力者も多い。子供たちを連れて行け。2人は生きている。共に飛び立て。子供たちがやがて男の力となるだろう」「そんなこと望めない。」「君の子供は我々の子供。君の家族は我々の家族だ。私を信じろ。君を助ける。君や子供たちのため、我々はいつでも力になろう」。“シャム・セディン”の字幕。目隠ししたシモンがソファに座っている。「やあ、サルワン。警戒するのは君を守るためなのだ。私はワラット・ジャムセディン。私にどうしてほしい? サルワン・マルワン」シモン「母をご存知ですね」「私のために仕事をした。望みは何だね?」「ニハド・ド・メを捜しています」「なぜニハドを捜す?」「僕の兄です。母が見つけだせと」「なぜニハドがナワルの息子だと言える?」「兄はクファリアットの孤児院に託されました。出生証明と記録が見つかり、日付が一致しました。ニハドは兄です」。男たちは去り、1人だけシモンにささやく。「我々はクファルワット村のキリスト教徒を襲撃した。ムスリムの難民を脅かされたことへの報復だ。クファルワットに孤児院があった。子供たちは殺さず、全員連れていった。ニハドもその中にいた。我々は子供たちを訓練し、戦士に育て上げた。ニハドの優れた能力は際立っていた。たちまち一流の狙撃手となったが、“母親を見つけたい”と言い、何カ月も捜しまわった。やがて理由は知らないが、ニハドは戦いに執着した、“殉教者にしてくれ”と言いだした。国中に貼られる写真を母親が見るからだと。私は拒んだ。彼はダレシュへ戻り、最も恐れられる凄腕の狙撃手になった。冷酷無情に誰でも撃ち殺した。その後、あの一帯は敵に侵略された。ある朝、ニハドは捕まった。敵を7人射殺していた。奴らは彼を殺さず洗脳してクファルワットの監獄へ送り込んだ」「兄を監獄に?」「そうだ。拷問人として」「父と一緒に?」「いや、君の父アブ・タレクと一緒ではない」。
 廊下を一人で歩くジャンヌ。シモンの部屋に入る。「大丈夫?」「1+1=2だ」「何のこと?」「1+1=2。1のはずがない」「熱があるみたい」「ジャンヌ、1+1=1があり得るか?」。ヒューと言って頭を抱えるシモン。
 プール。「デッキチェアに座ってていいわ」。泳ぐ母ナワルとジャンヌ。足に3つの点がある男(シモンの兄が生まれた時に入れた刺青)。ナワル、プールから上がる。ジャンヌ「どうかしたの?」。呆然とするナワル。
 泣くジャンヌ。
「ハゲタカは冬の鳥だ」「拷問人になって君の兄は名を変えた。その名はアブ・タレク。ニハド・ド・メはアブ・タレクだ。彼は現在新たな名前でカナダに住んでいる。ニハド・ハルマニだ。車両のメンテナンスを仕事にしている」。
 帰宅するハルマニ。「ハルマニさん?」「そうだ」「あなたに」とシモンは封筒を渡す。
 “父親への手紙”と書かれている封筒。「震えながら書いています。私は気づいたのに、あなたは気づかなかった。驚くべき奇跡だわ。私はあなたの“72番”。手紙を渡したのは私たちの子よ。あなたは気づかない。美しい子たち。彼らはあなたを知っている」。去るシモンの後を追おうとするハルマニ。(また明日へ続きます……)

 →私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。