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ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『灼熱の魂』その3

2018-11-23 07:02:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 黒こげになったバス。呆然とするナワル。(中略)
 “南部”の字幕。無人の家々。ジャンヌ、携帯で「シモン、私よ。ママの故郷の村に来たわ。聞いて」。
 ジャンヌは写真を住民に見せるが、言葉が通じない。子供が案内する。ドアをノックする男の子。〈もう来ないでって言ったでしょ〉。「どうも。スーハ?」〈アハメッドはお姉ちゃんが好き〉〈やめなさい。二度と言わないで〉と姉妹ケンカ。「何かご用?」「フランス語か英語を話せる方はいます?」「サミアは?」。
 〈こんにちは〉「ジャンヌよ」。一所懸命に話しかけてくれる女性たち。だがジャンヌはその言葉を理解できない。困って笑う。茶。〈ありがとう〉。「私はサミアよ」「私はジャンヌ・マルワン。通訳ありがとう」「マルワン? この辺に多い名前よ」「カナダから来たの。スーハを捜してる」「スーハ? あの人よ。私の曾祖母なの」「雑貨店の人にお名前を聞きました。父を捜しています。名前はワハブ。母はナワル・マルワン。この村の出身」。皆、怒りだす。「マルワン家には不名誉なことが起きた。そして内戦に。ワハブを捜してるの? 知らないそうよ。あなたがナワル・マルワンの娘なら歓迎できない。帰ってほしいって。〈父親捜しも結構だけど、母親がどんな女か知りもしないで〉」。
 燃え上がるバスの前にしゃがみこむナワル。
 “デレッサ”の字幕。都会。爆撃後の廃墟。兵士。瓦礫。ナワル「虐殺の後、デレッサのキャンプに着いた。すべて焼かれていた。血の海の中、息子を捜した。あの光景は二度と忘れはしない」「我々の敵を憎むからって、お前が我々の味方とは限らない。どうしてお前を信用できる? 息子の父はデレッサの難民。息子は戦火に飲まれた。もう失うものはない。社会民族党への怒りだけ」「新聞に書いていたことと違うな」「叔父は言葉と書物が平和を築くと信じてた。私もそうだった。でも現実を思い知った」「お前の望みは?」「敵にも同じように思い知らせること」。(中略)
 家庭教師。「そうよ。よく出来たわ。これを忘れずに」父「フランス語は?」息子「とても上手したよ」「それを言うなら『上手になった』か『上達したよ』よ」「数か国語を話させたい。仲介者なしで理解できるように」。
 採点するナワルに電話。「ルーシンよ」「今晩は。お母さまの具合は?」「とても元気。明日の10時に」「明日の10時に」。電話を切るナワル。
 バッグに拳銃を入れるナワル。
 翌日、家庭教師に出かけるナワル。(中略)
 家庭教師中に靴を脱ぎ、階段を降りると、外テーブルにいた父とその相手に発砲。
 捕らえられて、車のトランクに入れられるナワル。
 ナワル、坊主頭にされる。握りしめるこぶし。傷だらけの足。部屋の隅で体育座り。
 砂漠を車で進む。“クファリアット”の字幕。「この監獄はアムネスティに何度も非難されました。ここは女子監房です。中は広めです。15年間収容されていた者も」「設立はいつ?」「虐殺の後。内戦勃発の直後です。政治犯600人が収容されました。どうぞ、中へ。記念写真を」。ジャンヌ、写真を見せて「彼女をご存知?」「いや」「ここで撮った写真よ」「分かりません。あまりに古すぎて。当時働いていた人は?」。
 道案内する男。
 車、到着。〈こんにちは〉。「ファヒーム・ハルサさんは?」「俺だ。俺は学校の用務員だ」「でも以前は?」「以前も用務員だ」「この女性をご存知? クファリアットにいたの」「俺は学校の用務員だ。何も知らん」「知ってる人を捜してます。話を聞きたくて。私の母です」「“歌う女”だ。収容番号72番だ。キリスト教右派の指導者を射殺した。その代償は高かった。15年だ。いつも歌っていた」「本当にこの人?」「13年間彼女を監視した。13年間誰かを監視したことがあるのか? 連中はあらゆる体罰を加えた。だが彼女は屈することなく耐え抜き、連中を睨みつけていた。大変な強さだ。決して折れなかった。連中は怒り狂った。アブ・タレクが送り込まれた」「誰です?」「言っておくが、時として知らない方がいいこともある」「何事も受け入れます」「彼は筋金入りの強姦魔だった。彼女をレイプしまくった。釈放までに身も心も打ち砕き、歌わなくさせるために。やがて彼女は身ごもった。そうとも、決して忘れない。72番はアブ・タレクに孕まされた。監獄で産むまで連中は待ち、その後彼女を釈放した」「生まれた子は? 見ましたか?」「当時診に来てくれた医者がいる。彼は精神障害になった。テルアビブでレストランを経営しているとも聞いたが、それはウソだ。気が狂ったか、死んだかだ。看護婦もいた。彼女を知ってるよ。ダレシュに住んでる」。名前を書くハルサ。(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。