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川上未映子 訊く・村上春樹 語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』その1

2018-11-19 05:17:00 | ノンジャンル
 2017年に刊行された「川上未映子 訊く・村上春樹 語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』」を読みました。川上未映子さんによる「はじめに」という文章を全文転載させていただくと、

 村上さんに初めてお会いしたのは今からちょうど十年前、ある授賞式でのことだった。登壇を待っているときに「どうしよう、話すこと何も考えてないんですよ」と話したら「そういうときはにっこり笑えばいいんですよ」と言ってくださり、安心したのか本番では気づけばたくさん話していた。会場を出たあと、くるりとこちらを振り返った村上さんに「けっこうしゃべったじゃん」と言われて、大笑いしてしまった。
 時は流れ、柴田元幸さんから、村上さんへのインタビューの依頼をいただいた。これは『職業としての小説家』の刊行を記念し、2015年に文芸誌「MONKEY」に掲載されたもので、本書の第一章に収められている。このインタビューはいろんな人から「面白かった」と言ってもらえてとても嬉しかったのだけれど、村上さんもわりに気に入ってくださっていたようで、そのあと、福島の文学ワークショップでお会いしたときに「あれ、よかったね。一冊になるといいよね」なんて話してくださった。そして2016年の秋。村上さんは長編『騎士団長殺し』を書きあげられ、ついてはその作品を中心に本格的なインタビューを、という依頼があった。内容はもう、わたしの好きなように、好きなだけ。そして冬の真ん中あたり、三日間にわたるインタビューが行われ、こうして一冊のかたちになった。
 最初は「たくさんの読者の思いを背負っている」という責任のようなものを感じて準備しながら色々と考え込んでしまった。でも、あるときに「ききたいことを、ききたいようにきけばいい」━━こう書くと相田みつをみたいであれだけど、そのことにふと気づいた。そうだ。誰のことも気にせずに、十代の半ばからずっと読んできた作品の作者に、今の自分が本当にききたいことをききたいだけ、きけばいいのだ。村上さんの井戸をうえから覗き込んであれこれ想像するのではなく、入ってしまえばいいのだ。そしてもし可能なら、村上さんと一緒に。それで気持ちが、すっとらくになった。
 インタビュアーの経験が一度もなく、あっちへいったりこっちへいったり混乱し、また、しつこいわたしのどんな質問にも、村上さんはじっくり丁寧に答えてくださった。書き手として読み手として、わたしは村上春樹という作家から、そしてその作品から多くのことを学んでいるけれど、今回の出来事はそのどれとも違う位相と迫力でもって、じつに多くのものを見せてくれた。
 対話のなかに、原稿のやりとりに、ふとあらわれる比喩に、冗談に━━至るところに村上さんのマジックタッチの瞬間があって、わたしはそれを文字通り体験したのだと思う。そんな強力な磁場のなかでわたしはいつも少しだけ謹聴していたけれど、でも、最初に村上さんにお会いしたときの印象はそのままずっとそこにあってくれて、笑いのたえない、とても楽しい時間を過ごすことがきでた。
 読者のみなさんが本書をどんなふうに読んでくれるのかはわからないし、今回の仕事がわたし自身にとっていったいどんな意味をもつのかも、今はまだわからない。でも、大切なのはうんと時間をかけること、そして「今がその時」と見極(みきわ)めること。村上さんはくりかえしそれを伝えてくれたように思う。ミネルヴァの梟(ふくろう)がそうであるように、物語の中のみみずくが飛びたつのはいつだって黄昏、その時なのだ。
 でもそれはそれとして━━まずはみなさんも一緒に入ってくださると、すごく嬉しいです。ようこそ、村上さんの井戸へ。

 章立てについても書くと、
「第一章 優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」
朗読会の思い出・“語りかけ”の変化・キャビネットの存在・“人称”をめぐって・登場人物、囚われない魂たち・本当のリアリティは、リアリティを超えたもの・物語を“くぐらせる”・文章のリズム、書き直すということ・村上春樹の驚くべき“率直さ”・中上健次の思い出・“頭が沸騰”している時間・自分にしかできないことを追求する・本との出会いから始まった奇跡・ゆくゆくはジャズクラブを……

「第二章 地下二階で起きていること」
タイトルと人称はどのように決まる?・“悪”の形が変わったような気がする・地下へ降りていくことの危うさ・それが僕の洞窟スタイルだから・僕は芸術家タイプではありません・ノープランで小説を書き上げるためには・みみずくと作家のキャビネット・水先案内人は三十代半ばがいい・信用取引、時間を味方につけること・地下二階の“クヨクヨ室”問題・“渥美清と寅さん”では困りますからね・免色さんに残された謎・僕のイデアはそれとは無関係です(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。