こんばんは。
koiです。
はい、ペリー。
もうペリーよ。
今日(7月14日)は“ペリー上陸記念日”です。
1853年の今日(旧暦嘉永6年6月9日)、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡したことに由来します。
異国からの黒い船に、江戸の街は大混乱!
その様子は、蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて"太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられず"と狂歌に詠まれるほどだったと言います。
江戸幕府は、翌年のペリー再来に備えて、品川沖に6基の砲台(台場)を作りました。
その後、再度、来航したペリー。砲台は使われることなく、ペリーと幕府の間で「日米和親条約」が無事結ばれることとなりました。
このペリーによる「日米和親条約」が結ばれるまでの間、ロシア帝国、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などの艦船が日本に来航し、開国を求める交渉を行ったそうですが、その多くは拒否されていたといいます。
日米和親条約が結ばれたことをきっかけに、下田と箱館を開港し、8月にはイギリスと日英和親条約が、12月にはロシア帝国と日露和親条約がそれぞれ締結され、鎖国状態は崩壊することとなりました。
当時のペリー来航がなかったら、日本の鎖国は長引き、今も、侍がそこらへんを歩いている国のままだったかもしれませんね。
こんな勉強もしなくてよかったかも笑
ということで『ペリー来航』
ではまた。