うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
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  《うれし涙》家族で流す。

冗談の巻

2021-07-14 02:14:00 | koi先生より
こんばんは。


koiです。


はい、ペリー。


もうペリーよ。


今日(7月14日)は“ペリー上陸記念日”です。


1853年の今日(旧暦嘉永6年6月9日)、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡したことに由来します。


異国からの黒い船に、江戸の街は大混乱!


その様子は、蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて"太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられず"と狂歌に詠まれるほどだったと言います。


江戸幕府は、翌年のペリー再来に備えて、品川沖に6基の砲台(台場)を作りました。


その後、再度、来航したペリー。砲台は使われることなく、ペリーと幕府の間で「日米和親条約」が無事結ばれることとなりました。


このペリーによる「日米和親条約」が結ばれるまでの間、ロシア帝国、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などの艦船が日本に来航し、開国を求める交渉を行ったそうですが、その多くは拒否されていたといいます。


日米和親条約が結ばれたことをきっかけに、下田と箱館を開港し、8月にはイギリスと日英和親条約が、12月にはロシア帝国と日露和親条約がそれぞれ締結され、鎖国状態は崩壊することとなりました。


当時のペリー来航がなかったら、日本の鎖国は長引き、今も、侍がそこらへんを歩いている国のままだったかもしれませんね。


こんな勉強もしなくてよかったかも笑


ということで『ペリー来航』


ではまた。
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