うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
 《うれし涙》こうして流す。
  《うれし涙》家族で流す。

無知の知

2019-06-08 13:29:00 | 講師から
こんにちは。八木校の新田です。
 
 
 
先日、髪を二月ぶりに切りました。髪が伸びるのが非常に速くて、本当はひと月に一回切るべきなんですけど、髪が長いなら長いなりにいろいろなセットをして遊べるし、何よりお金がかかるので、だいたい二月に一回くらいのペースで切りに行きます。
 
また、今回の散髪では、カラーした部分の髪を切って真っ黒に戻り、就活関連のイベントに備えるという重要な意味合いもありました。
いよいよ就活か……と気が引き締まるような、あっけないような感じです。
 
あまりに世の中を知らなすぎる。このまま社会でまともにやっていけるものか。
そんな不安があります。
 
これまでの自分の生き方を振り返ってみると、いかに自分が無知を晒しながら生きてきたかが分かります。勉強をしたり、何かを経験したりして新たな刺激があるたびに、これまでの自分の怠惰と勘違いと無知を突き付けられるようです。
 
 
 
「世の中は大人の思い込みでできている」と、ある人が言っていました。その通りなのだと思います。ある一つの事象に対してそれぞれの人間が抱く考え・思いは、その差が大きいか小さいかはともかくそれぞれで異なっており、それぞれがそれぞれの「思い込み」を持っています。みながみな違う脳をもって生まれてきたのだから、当然のことです。そんな一人ひとりが、世の中をつくっているのです。
 
私も自分なりに浅い思い込みを持って生きてきました。浅い思い込みというか屁理屈というか、そういったものでダメな自分を何度も赦して生きてきました。
 
しかし、二十歳を過ぎ、いよいよ社会人かという今になって思うのは、自分が、ある崇高で固定的な思い込みを持って生きるのが可能なほど、成った人間ではないということです。少ない知識と人生経験で、いったい何を思い込めるというのか。浅い自分を、信じすぎていました。
 
 
高校生までは、世の中のことをほとんど知らない、また、知ることから逃げていたがために、恵まれた環境と、自分という檻の中でぼうっと生きてきました。最近になってようやく檻の外を見るようになり、世の中というものの広さを、畏怖と好奇心を持って認識し始めました。
 


何かを知るたびに、こんなことも知らなかったのか、と嫌になることが多いですが、それでも、地道に一つ一つ自分の無知を知に変えていけたらいいなと、そう思う今日この頃です。
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