こんにちは
八木校一発目を飾るのは私、koiです。
私はもともと高田校で永久欠番のNo.1講師として在籍していたのですが、昨年度にFA権を行使し、三年間だけではありますが社員として芽育学院八木校に迎えて頂く運びとなりました。
三年間?とお思いの方は私の以前のブログを読んでいただければと思います。
さて、自己紹介はこれぐらいにして、一つお話を。
最近、私はある女性と友達になりました。
彼女はソフィアという名前で、ドイツに住む21歳の大学生です。
きっかけは一年前にフェイスブックで、私が誤って彼女に友達申請をしたことに始まります。
その時は“sorry”とメッセージを送り、申請を取り消したのですが、先週彼女からなぜか友達申請が送られてきました。
「ん?誰だっけなー?」と思っていたら、彼女から“sorry”のメッセージ。
一年前のことなんて全く忘れていた私は「あぁ誰か知らないけど間違えて送ったんだな」と気にも留めてなかったのですが、続けて彼女から「もしかしてあなた、前に間違って私に友達申請してきた人じゃない?」とメッセージが送られて来ました。
「そう言われれば、そんなこともあったな…あー、あの時の人もこんな名前だった!」と思い出し、私は“yes”と返事を出しました。
それに対し、彼女から送られてきたメッセージがこちら。
“I suppose once is a mistake but twice is what is written. So would you be my friend?”
これは「一度ならミスだけど、二度ならwhat is writtenだと思うの。だからあなたが良かったら、お友達にならない?」という感じの意味なのですが、ポイントはwhat is writtenという表現。
whatは先行詞を含んだ名詞節を作る関係詞だから「~なこと」、is writtenはwriteの受動態で「書かれている」という意味なので、直訳すると「書かれていること」という意味になります。
ここまでなら大学受験を志している高校生なら誰でも訳せます。
では「書かれていること」とはどういうことでしょう?何に書かれているのでしょう?
さあ少し考えてみてください。
どうです?わかりましたか?
ドイツはプロテスタントの多いキリスト教国です。
おそらく彼女もキリスト教徒でしょう。
彼女の名前がソフィア(sophia:「聖」や「知」という意味でキリスト教徒の女性名としてよく使われる)なことからも想像がつきます。
ではキリスト教で「書かれている」と表現するものは?
そう、『聖書』ですね。
“what is written”.「(聖書に)書かれていること」。
つまりこれは「運命」や「神の導き」というニュアンスになります。
たまたま一年前に間違って申請を送ってきた相手に、次は自分が間違った申請を送る。
確かに運命的ですよね。
だからこそ彼女は、わざわざこの表現を使ったのだと思います。
で、この話で何を伝えたいかというと「ドイツ人の女の子と仲良くなったぜ!イェーイ!」ということではなくて、「なぜ日本人は英語が出来ないのか」という問いに対する私なりの考えです。
英語は言語です。
言語は文化の一部です。
文化を学ばなければ言語は理解出来ません。
今回の“what is written”という表現はターゲットや即ゼミには載っていない、いわば「生きた英語」であり、こういった言葉を理解するには、その言葉の話者の文化を知らなければなりません。
日本の英語教育は言語に力を入れすぎて、その言語が話されている文化の教育を全くと言っていいほど行いません。
だからこそ日本人は、本質的な英語の理解が出来ないのだと思います。
英語が嫌いで苦手な諸君。
どうぞ好きな洋楽や映画、歴史上の人物等何でも構わないので、教科書には載っていない、英語の背景にある文化を学んでみてください。
そうすれば必ず英語に対する理解が深まることでしょう。
以上、koiでしたー。
来週は、八木校が誇る「奈良の相葉雅紀」こと信組てんてーです。お楽しみに。
八木校一発目を飾るのは私、koiです。
私はもともと高田校で永久欠番のNo.1講師として在籍していたのですが、昨年度にFA権を行使し、三年間だけではありますが社員として芽育学院八木校に迎えて頂く運びとなりました。
三年間?とお思いの方は私の以前のブログを読んでいただければと思います。
さて、自己紹介はこれぐらいにして、一つお話を。
最近、私はある女性と友達になりました。
彼女はソフィアという名前で、ドイツに住む21歳の大学生です。
きっかけは一年前にフェイスブックで、私が誤って彼女に友達申請をしたことに始まります。
その時は“sorry”とメッセージを送り、申請を取り消したのですが、先週彼女からなぜか友達申請が送られてきました。
「ん?誰だっけなー?」と思っていたら、彼女から“sorry”のメッセージ。
一年前のことなんて全く忘れていた私は「あぁ誰か知らないけど間違えて送ったんだな」と気にも留めてなかったのですが、続けて彼女から「もしかしてあなた、前に間違って私に友達申請してきた人じゃない?」とメッセージが送られて来ました。
「そう言われれば、そんなこともあったな…あー、あの時の人もこんな名前だった!」と思い出し、私は“yes”と返事を出しました。
それに対し、彼女から送られてきたメッセージがこちら。
“I suppose once is a mistake but twice is what is written. So would you be my friend?”
これは「一度ならミスだけど、二度ならwhat is writtenだと思うの。だからあなたが良かったら、お友達にならない?」という感じの意味なのですが、ポイントはwhat is writtenという表現。
whatは先行詞を含んだ名詞節を作る関係詞だから「~なこと」、is writtenはwriteの受動態で「書かれている」という意味なので、直訳すると「書かれていること」という意味になります。
ここまでなら大学受験を志している高校生なら誰でも訳せます。
では「書かれていること」とはどういうことでしょう?何に書かれているのでしょう?
さあ少し考えてみてください。
どうです?わかりましたか?
ドイツはプロテスタントの多いキリスト教国です。
おそらく彼女もキリスト教徒でしょう。
彼女の名前がソフィア(sophia:「聖」や「知」という意味でキリスト教徒の女性名としてよく使われる)なことからも想像がつきます。
ではキリスト教で「書かれている」と表現するものは?
そう、『聖書』ですね。
“what is written”.「(聖書に)書かれていること」。
つまりこれは「運命」や「神の導き」というニュアンスになります。
たまたま一年前に間違って申請を送ってきた相手に、次は自分が間違った申請を送る。
確かに運命的ですよね。
だからこそ彼女は、わざわざこの表現を使ったのだと思います。
で、この話で何を伝えたいかというと「ドイツ人の女の子と仲良くなったぜ!イェーイ!」ということではなくて、「なぜ日本人は英語が出来ないのか」という問いに対する私なりの考えです。
英語は言語です。
言語は文化の一部です。
文化を学ばなければ言語は理解出来ません。
今回の“what is written”という表現はターゲットや即ゼミには載っていない、いわば「生きた英語」であり、こういった言葉を理解するには、その言葉の話者の文化を知らなければなりません。
日本の英語教育は言語に力を入れすぎて、その言語が話されている文化の教育を全くと言っていいほど行いません。
だからこそ日本人は、本質的な英語の理解が出来ないのだと思います。
英語が嫌いで苦手な諸君。
どうぞ好きな洋楽や映画、歴史上の人物等何でも構わないので、教科書には載っていない、英語の背景にある文化を学んでみてください。
そうすれば必ず英語に対する理解が深まることでしょう。
以上、koiでしたー。
来週は、八木校が誇る「奈良の相葉雅紀」こと信組てんてーです。お楽しみに。